女性が自立し不安なく生きる方法

女性の幸せとは?幸福感と充足感は知的好奇心と享楽の領域を想像するホルモンから。

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女性の幸せを考える。実践的哲学と40代女性の生き方。

 

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この世に生まれ、せわしなく、焦るように、幼い頃は大人は小さかった幼いあなたを表面的に扱い、子供は一人で自然に育つという理論と子供は親次第で育ち方が変わるという観念が弁証法がかかり、あなたは自分を持てずに育ちました。
生まれて、子供が大きくなる過程において、何が大切だったのか、周囲の大人たちもその知恵は持っていなかったため、そのことについてそこまで関わってくれる試しはありませんでした。

そのお陰で、女性にとって生きることとはどのようなものであるのかの哲学はまだ何も始まっていないのです。
一見、女性であるあなたには不利な状況なのかと思われるところですが、それが本記事のような実践的哲学が出来上がったことで、それが一転し、女性が生きることについて実践的哲学により、本当に独自の概念を一から立たせられるようになったのです。

あなたが生まれてから、一度も真実を伝えてくれませんでした。
生きることとは、どのような旨みがあるのか、をあなたの周囲の大人は知らなかったのです。
西洋哲学で古典的哲学である弁証法的超越論は物質が人間の精神よりも根底にあると、最も本質に近いところまで説いた唯物論は、19世紀に『資本論』を著したマルクスが提唱したのですが、彼に群がった全体性しか思考できない男性たちに歪んだまままとめられ、それが現在の資本主義になっていきました。

この現在の資本主義という表現は、少し皮肉を内在させたエクリチュールであります。この現在という世界に生きるあなたは、女性という性を抱え、この世界を生きているので、資本主義システムの一員として生きているのです。
あなたが生まれたときから、世界は最大値でその中に社会を内属させ、あなたは社会に強いられて生きてきたのです。

あなたの親も同じく、少し前の世界に生まれ育ったのですが、あなたと同じく創出された恣意的な世界で生きてきましたので、親から聞いたこの世界についての常識というものはパロール(話し言葉)のレトリックで、あたかもそれが真実であるかのようにあなたは信じ込んだのでした。

パロールは反知性であるため、あなたは周囲の大人から話をされても論理的であないと思うことはたくさんありました。
でも、パロールというのは、大人という権威を脱しないままで、あなたの視覚と聴覚を抑制して、閾値を低くされ、過敏性を出し、固定された反知性を強めるために同じパターンを反復させられます。
その経験はパロールがいつの間にか、親や他の大人が語った体系としてそれが常識になり、経済的に親に依存していた無力さは、世界というものを規定させた要因となったリビドーにより、そこで発生した抑圧は労働に向けられたと思い込まされました。

歪んだ幸せの定義;口唇期の性的欲求の抑圧を解放するのは労働から婚姻という歪曲。労働をし婚姻すると、成人としての自立によりリビドーが効き、満たされたと規定されている。

あなたは女性として、今日まで、その常識のまま生きてきています。
観念が体系化され、イデオロギーとなり、連合させていき、知性は発揮できる場を失われます。
つまり、反知性という全体性を生みます。
幼稚園から小学生、中学生、高校生までは、独自性を出す機会はありませんでした。ということは、独自性のない状況では、あなたはどのように生きてこられたのでしょうか?

反知性ですので、あなたは自分で考えたり、考え直したり、そういった自主的な行為はほぼできないでいました。
次に挙げる人間道徳観も人間を反知性としてのイデオロギーでありますが、人間は他者と共有することが絶対であるとする反知性のモデルがあります。
この思惟は反知性から作られたため、誤謬であることは間違いはないのですが、自分で立ち直りながら、思考を運動させる体感がないため、少し自立性が興奮すると、そこに発生する揺れ、それを反知性状況の神経系は恐怖感と代償された解釈が生まれます。

あなたという独自で、ひとりひとりの人間は各自、皮膚という膜でセグメントされています。
つまりあなたとあなたの友人は構造的には繋がり合わない関係で構成されています。
これが構造から現実にあるもの、事象という諸要素の総体を、恣意的に創造された世界というものに構造から見つめ直す行為が実践的哲学です。
それがあなたが生きることに着目すると、あなたに備わってる中枢に高い電圧でさえも、脱分極できる器官である形態を持つ脳というサーバーは、誤作動を起こし、装置に徹してくれたら良かったのに、人間らしく生きようとし、構造は皮膚と皮膚でセグメントされていることも見えなくなっていきます。

人間らしくという思惟は、どこから持ってくるのかと言うと、曖昧さのまま反知性であなたに伝わってきた道徳観という形式です。
これを人間学ということもあり、古典に由来させた観念の体系化で、国家というイデオロギーが高まり、あなたの構造はほぼ消えていきます。
この世に世界という存在はありません。
世界があると思っているのは、内部運動の振幅を知らない人間になろうとし、古来から継がれている道徳観に引き込もろうとする欲望が象徴界にシニフィアンとなり、去勢されているからです。

欲望を喪失されると、あなたは生きることに意欲がなくなり、そこらに見えている現象に言語で抑圧された意欲の減圧、つまりシニフィアンが生の欲動を停止させるのです。
これからどうしたらいいのか分からなくなっているあなた自身は、いまを楽観的に考えるようとするのです。
しかし、そこには言語の執拗以上の参加と活動が見られます。
言語の活動が増長すると、どうなるのかというと、無意識の領域に対して意識という領域が膨大な世界となっていきます。
そこは、意識の領域が広がり、欲望がシニフィアンによって抑制する不快感をアンチテーゼにする作用が促進され、不快感の不快感覚は欲望と根底から繋がってる知覚を高めることにエラーが出ています。

行き場を失った不快感はそのままそこに滞留させ、シニフィアンは意識と無意識を区別し、どんどん意識の運動は非知覚の世界に導いていくのです。
不快感に対するアンチテーゼは、偽装された快楽が起こり、あなたが知っている快楽は妄想であるため、意識は必死にそこに同じ想定されたイメージをつけていきます。
意識された領域には、楽観的に物事を他物として外部から入力されたわけではないのに、意識の中で楽観的に装う反射が生まれます。
あなたは、手が届くところに、意識の領域が見えています。
勝手なもので、あなたが自分のことを構造から見れなくなると、意識が不快感の代償が起きていることには到底気づけないでしょう。

でも見えているのは、意識の世界なのです。
不快感まで感じなくされ、しかも偽りの快楽まで、そこに感じるように非表象としてたたずむのです。
どれがあなたの感覚なのか、どの部分があなたの感情なのか、あなたにも分かりません。
もし、世界を謳歌し、デジタル機器に囲まれ、いつでもスマホを持ち、一人の空間を孤独で寂しくなっているあなたはそのまま立たせていけば、心に差異が生まれ、あなたは人間を忘却できたのです。
人間を忘却するとは、少し恐ろしく、やや不適切なことではないのかとお思いでしょう。
この人間の忘却とは、人間のすべてを失うことではなく、人間を規定する人間らしさを深部に立ち上げている道徳観をなくすことであります。
ここのフィールドでは、実践的哲学という無所属な非規定であなたを人間から有機体に脱構築できるように哲学性を入力していきます。
入力というのはどこに行なうのかというと、あなたの固有さな独自のものではなく、あなたが象徴界で創出された大衆というシーニュ(意味を固定された状態)に対してです。

シーニュとなって、外部から固定されたあなた自身はもともと幼い頃に知覚と欲望が解除されてしまっていましたので、それが40代女性になっている今、これからの心配や不安を思うことでいろいろと安心できる元素(要素)を探し出そうとし、それが近いところで見えるのがシーニュが介在された意識の領域であります。

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女性の幸せは無意識の領域にある。シニフィアンをシーニュに形骸化した意識の領域に哲学を入れる。

女性は40代になると、与えられた生きる時間のおおよそ数量的ですが寿命という半分の期間を通過していて、それまでほとんど思考をしていなかったのに、焦るようにやり始めます。
そこで女性は自分についての悩みを抱えるのですが、その悩みというものが、思考を運動させたわけではなく、すぐに目に付くところの事象に目を向け、そこに見えるあなたに向かって語りかけてくる対象を一部割愛して、あなたの所有する悩みとします。

その悩みというのは、あなたが求めている幸せという前提にとって障壁となりそうな語りかけで、まずをもって目に付くのは言語という表記になります。
誰かが話してる音声が出力された発話をパロールといいますが、それも真っ先に耳にし、聴覚神経を発作的に興奮させます。
語りかける言語でない、表記された書かれた言語であっても、あなたが目にする言語というのは、そのほとんどが消費を誘導された宣伝文句が入っています。
ですので、あなたはそれらの表記を見ると、誰かがあなたに語りかけてきたかのように感じてしまうのです。
つまり、語りかけられた言語も書かれた言語もあなたのすぐ身近であなたに向かって言ってるのかというぐらいに思ってしまいます。

あなたが40代女性になって、これからのことを少しは真剣に考え始めますが、神経系に発生している悩みの核である非言語の不安という心象、それらは不安のまま放置すると、不安は言語の総体のままであり、不安を知るとずっと不安から抜け出せなくなります。
それは言語があなたにシニフィアンでピン留めされた知覚と欲望の繋がりを遮断されている抑圧を知る段階が介在され、そこであなたは今、不安になっている感覚を認識します。

知覚と欲望というのは、運動の起点となり、そこから神経系の興奮と抑制という神経物質の濃度の上下で圧縮が変わる物理的作用が起こります。
この物理的作用は、生きることを想起する構造と形態の享楽という生きる意欲に繋がります。
その力が人間をあなたが知っている身体知覚を感じ取る時期に、親や他の大人から育てられるにあたり、過度に出力された言語介入により、身体知覚が物理的作用で発達するまでに、物理的作用の実感を抑圧という運動によって内面から発する外部への出力させる機会を失い、それを言語によって意味付けされた他者の見方からあなたは自分を持ちました。
この意味付けされた固定性シニフィアンと表記しているのです。

女性は自分についてどういう人間なのか意味付けを反復し、変化を生む基底の覚醒というトーンを感じ取れなくなっている。

このシニフィアンというのは意味付けし、それが変化しないように記号にされている状態をいいます。
そのままなら運動を起こすのが生物体の享楽を導く生成ですが、シニフィアンは知覚と欲望と固定し、それがあなたにとって抑圧という不快な感覚を生みます。
あなたはこれからも生きていこうとしていますので、生存活動という運動しなければいけないのですが、そのままではどうしても動けないから、シニフィアンをシーニュに変換し、抑圧を解放するのではなく、違う外部に新しく世界を持とうとする自分がシーニュであります。
シニフィアンは運動を停止させるために意味付けに使用され、抑圧は解除せず、内圧は高いまま、内部運動は逆向きになっています。
でも生きないといけないのを、不安を持つ人間として解釈するための不安を不安と再確認する意味付けの再開がシーニュというのです。
とても簡素な言い回しをいたしますと、シニフィアンとシーニュへの変容は生きるという実態から起こすものではなく、あいかわらず非現実を現実にしている幻想的世界観の中だけの文脈です。
つまり、シニフィアンからシーニュへは、エネルギー変換作用は起こされておらず、でもエネルギー変換を起こしたかのように思えるところが、認識という幻想の世界観であります。
その欺瞞な思考で行為を起こしたようにさせられ、結局は何も変わっておらずに、当人だけは悩んでいるかのように感じ取ってしまい、未来を理想する観念と幻想の中の無動なユートピアの高低差があなたを苦しめてしまうのです。
自分では悩んでいるし、これだけのこともやっているといった超越な観念は置き去りにされた時間の形骸があなたを今の起点に立たせてくれません。

このような展開を知ってしまうのが、女性が40代に突入してしまう時期からであります。
女性が40代になると、生きることの経験が増え、そのたびに自分を喪失したシニフィアンをシーニュにした逆向きの言語活動を行ってきています。それまでは、象徴界が主張した人間の原理を活用してきました。それは、親の教えを従属すること学校入学卒業就職結婚出産親の死別による喪の文化の継承、などです。慣例の行事に徹してきたあなたの生きるスクリーンには、何も刻まれていないという空虚さに40代になると今までは気づかなかった地点に出会ってしまったのです。

そしてこのまま40代のうちに、シニフィアンの解除のより知覚と欲望をあなた自身の運動の起点にしないで生きるとどうなっていくのでしょうか?
あなたが女性40代になるまで、放置し、自分の所有する生の時間から他物に依存してきた無力感をこれからの不安を認識して、どうしようかとあなたはそう思い、非運動であるシニフィアンを崩せずに生きる力に変えるために今日までの過去に意味付けをしたシーニュをこのままにすると、いったいどうなっていくのでしょうか?

ここに関わってくるのが、女性の知覚の生の運動という無規則で自由な運動に刻まれてる享楽という領域です。
これらを女性の全身の分泌腺というホルモンなどの体液が放出される起点が連合され、生と死のリズムがたえず繰り返される細胞の運動があなたに向かって、なるべく迅速な対応で返答を求めています。
知覚は体内で伝達するために、伝播させている諸連合された情報は、あなたに知らせる境界線で言語を通過しなければならない運命です。
その言語のフィルターがかると、知覚は諸エネルギーの放出が集合し、体内の全体に発散するのですが、その後すぐに収束します。
この収束大量の感覚神経システムが運動され、知覚だった心象が分解され、心象に明暗の射点が入り、あなたは心が動かされたと感じるのです。
その時、あなたはその普段はあまり感じていない感覚であるため、それに対し懐疑の意識と道徳観による啓蒙の観念が無のままで対立し、これまでと同じようにシーニュにしようとしてきます。
あなたはシーニュにすること慣例として、人間に道徳観から人間化した誤認識で捉えるか、全を一にし、あなたが独自の享楽を再形式させるのか、とても重要なフレーズ(時期、時間)となるのです。
この境地で、再度、シーニュにし非運動に正当化を与える選択は、あなたの生のエネルギーとは逆向きであるため、自転車を前進ではなく、後進で進ませるようなものです。
ここで負荷がかかるのは物理的作用であるのですが、そこに逆らおうとして進むには、進まない現状を進んでいると思わせる言語を与えると、「そうだよね、そんな気がしているよ」となって、あなたは前に進んでいると思ってしまうのです。

実践的哲学の未来領域、未来空間での役割は、神経系の誤作動である後退する観念を抑制し、女性が心が軽い状態で生きていけるためにある。

女性は、今日まで継続してきた男性社会は、一面性から開始され、そのうち古典時代に突入し、神を前提にした善と悪の二面性を抱え、それらはそのままでは抱えきれないため観念に化合し生の中に内在させ、その後、その二面性を証明することに男性社会は取り組み、科学に内在させた哲学から発展させた弁証法で、絶対性を創出した社会に、巻き込まれずに生きてこれました。

日本では、戦後これもまた男性社会の顕示欲により、女性を政治に投与し、選挙での票を稼ぐために使用し、そこから女性活動や女性解放運動は活発化されましたが、女性はそんな男性社会の都合に少しずつ気づいてきました。
今挙げましたように、男性社会の陰謀(いんぼう)から、女性を政治家として起用することが、女性の生き方を省みる機会を与えてしまい、権力を握った同性である女性を見て、女性はその方々に魅力をまったく感じなかったのです。

今まで常識であるとか、それが慣例であるとか、ごく普通に生きることの一コマとして、善や悪、暗と明、そうやって二つの対抗する項目が一瞬の物事の見方によって反転することに、男性はしかり、女性は社会に出ていなかったため、社会の出来事に関心を持たされていませんでした。
その時は、男性だけの女性に対する見方としては、自分たちより女性の方が身分が低いと誤認識され、男性はそれで誤った資本主義システムの一員になるために、そこに発生していた歪みをうめていたのでした。

男性は自己顕示欲が男性らしさで、男性は労働をして、給与を得たお金の数量で自尊心を高めるというオイディプスを背負っています。
この事実と男性への見方は象徴界に固められた男根化のシーニュに、女性であるあなたは寄り添っている場合ではありません。
男性に今ここで少し見方をシフトさせてみようとプログラムしてみますと、女性であるあなたは、現在、婚姻していようとそうでないのと、パートナーとして付き合ってる男性がいるのといないのとは関係なく、男性を性別による男性以外の見方で見ることはできません。

あなたは男性についてどのように見て、男性を解釈しているのであるのかを知るには、現在のままの物事の見方では、何も変わりません。
男性というのは、女性よりも優位に立とうとするところで自分を価値という意味を捉え、男性は女性という性に興味があって、いつも性欲を抱えて、性欲をどこかで発散しなければ生きていけないなどの強い認識が、男性を超えたところの超越した世界にあなたは自分自身を女性として立たせているのです。

このように男性に対する女性の性別の対象で解釈する思考のパターンは、事象をシーニュしている構造となっています。
シーニュというのは、シニフィアンで欲望を幼い頃に象徴界という人間が人工的に作られた世界で、置き去りにしてきている人間らしさを認めるために意味付けした事物となったことを示しています。
これが女性が現実の世界という世界で女性が二重性を抱えてしまい、自分らしさを失い、みずから生きるという実感をなくしてしまう要因なのです。

少しずつ実践的哲学は、あなたが見えていることや見えていると思っているものに問いかけをしています。
現に、今あなたはこの実践的哲学を実現するための形式にしているエクリチュールで、あなたは心の不安定な空洞さにこれだけ細かく自然にそれらがあるものだとして、そこまで丁寧に見つめなかった事象が分節されていると、架空の心を安定させる足場になり、心が安定しているのではないの、と感じてきています。

そこで見つかってきたのが、女性が抱えている二重性という関係性です。
女性が求めているのは、一度も今日まで手にしてきていない幸福感や充足感で、この二つの要素は実践的哲学で当たり前に見えていた事象を解体して分節となったモナドという要素のこれ以上細かくできない細片を集めて、合成して概念にして、あなたの中でプラモデルを組み立てるように設定しなければなりません。
すべては小さなものが合わさって一つの全体になってしまうことを総体といいます。
当たり前にあなたの目の前にあるのに知覚が運動しないとそこにあってもあるとは感じないのは、あなたの意識ではそれらが総体となっていると思うからです。
この現象は、総体となっている事象はあなたの中に存在はしているけれど、感じてはいません。
つまり、あなた以外の人である他者にそこにそれがあるよね?と問われたらそうだよね、って思えるのは知覚という感覚神経の根底の神経線維が始まる部位である起始にブレーキがかかり、問われたら知っていることは存在としてはあなたの中に知らされています。
あなたから見えている無のままで有にできないために、存在があると、たえずあなたのなかに入ってくるさまざまな情報はまとめられている総体の事象と同化されてしまうのです。

そうなると、実践的哲学を行わないで毎日過ごしていると、あなたが頼りにしている生きるために必要な情報は、見えている感覚が一致するいつも同じ総体となって事象に意識のプラグはさされたままです。
この現象は、人の内部で行われているため、あなたが知ったときには、神経系の運動が行き渡り処理されたあとになります。
何があったのだろうと、感じたものを追いかけても、神経系の運動はそのときには終わっていますので、何なのだろうと問いかけた限り何かを見つけ出すのが、人の内部に組織として広がっている器官の役割です。
その求心的な作用は、内部に残っているけど比較的大きな形のまま痕跡になるものを捉えていくのです。
それを求心的運動は、何を思うのかといえば、それを本当は細かく細片の組み合わせでつながっているだけの一時的グループなのですが、求心的運動は仕方がなく痕跡であるものに生きてるものとする認識を入れるしかありません。
この現象を言語にすると、存在するという言語表現になります。

あなたが生きているのは、全身の細胞が生命体の力、それは心臓と肺、そして神経系に生きているという実感を連絡させて知覚する身体像が、言語を通じないで身体を身体として運営することで可能となっています。
生きるという現象は、今という時間を追いかけても追いつけない速さで生きることを選択しています。
それが実現できているのは、物体のなかの最小単位であるモナドという小さな細片は物質に変換されていき、あなたの身体を支えているのは、神経系の求心的運動が形態的に持っているからです。
求心的運動には、あなたが生まれたときに無規定に、無意識に非連続的に運動し欲望の源の生きようとする根源とつながる知覚、知覚から発したものが内部において微分積分された制御により再構築でき、あなたはそれを概念として保存できる感覚というものが形態です。
これらは、器官という形態的作用を持つものです。

女性が今という時間での楽しみよりも、今よりもこれから先の未知な時間領域に出会う快楽や悦楽を求めているのは、全身の運動性を持つ器官をつなぎ合わせる形態的作用のお陰なのです。
つまり、女性が生きることについては、言語による連続性と体系性で構成されたイデオロギー、これを観念といいますが、そこに女性の生きることを合成させる共感性を手に入れることはなく、しかしこの世に生きていると、この観念の世界でしか物事を思考する以外の選択は見えてこないため、女性は日々不満や愚痴をため、生きているのです。

追いかければ、追いかけるほど、形骸された記憶のイデオロギーしか見当たりません。
女性は何を求めて生きているのかを、言語を通じないで表現する方法が今のところ、女性が生きているところが観念で固められたイデオロギーの世界であるため、言語を通じる以外ありません。
でも、ここは理解しておかないといけません。
女性が求心的運動によって求めているのは、イデオロギーではないということをです。
その中でも、女性であるあなた自身に伝えようとするためには、言語という形式を使うしかありませんが、あなたが器官に備わってる知覚と感覚に最大値の運動を促しながら、あなたには生きることを伝えていこうとしていきます。

そこで言語の威力の少ない言語を使用することで、あなたが求める未来の快楽や悦楽に近づくことができます。
この選択された言語に選んだのが、幸福感と充足感です。

幸福感と充足感は未来の快楽と悦楽。実践的哲学で一番近づくことができる。

エクリチュールは、まとめるという言語の要求の結果である帰結に引きづられながらも、実践的哲学では、知覚を欲望に近づけ、立ち直らせる反応から帰結させてしまう誘惑と闘います。
多くの人は、単調でマンネリとする汎用さ(はんようさ)に自己の不信と喪失を埋めてしまうものなのです。
実践的哲学は器官に直接的に連環させる入力と出力を交互作用にした介入方法です。
なるべく、もっと本質的にいえば、帰結させることから回避しなければ、生きることを面白いと感じることはなく、すぐにマンネリという悪魔に取り憑かれ、されに顕示欲が出てしまい、あなたが自分自身を省みてしまうと、いつも自己の中の存在を振り返ってしまうことになりかねません。

そうなってしまうと、幸福感と充足感は求めても求めても手に入ることはなく、断片的な事象を言語に変換させ、全体の一つの無価値な人間だといった断定解釈となっていき、話をするというエネルギー消費の手がかりで生きていく選択が循環されていくのです。
そこは、あなたが求めている幸福感と充足感とは、対極に存在する世界です。
対極した世界ですので、イデオロギーが主体となり、あなたはそこに生きていても、あなた自身に価値はなく、イデオロギーの集まりとしての一人と換算された人間である意味があるだけで、あなたは生きていないのも同然であるのです。

幸福感と充足感は、未来に手に入る快楽と悦楽です。
未来の見方を、実践的哲学を通じてお伝えします。
未来は、時間的な感覚では、これから先にある時間のように思われますが、未来は今と対立しない交互作用で現前されています。
あなたに実践的哲学を形式に、そしてそれを手段にして、あなたが今日まで生きてきた意識して作ってきた世界を眺めてみましょう。

すると、幸福感や充足感は、あなたの根源とつながっていなかったのです。
神経系には予測性という事前活動、寸断での運動性の準備という前段階の時間を持っています。
それが、あなたには世の中を固定する規定しか描かれておらず、世界に書かれた現状の生きる展開は、あなた自身が計画したものでした。
この計画をいつ考えてきたのかは、幼少期であります。
乳児期から幼少期に入り、無意識を非言語で生きてきたそれまでの領域からあなたは言語を使用できる表現する武器を手に入れました。
この武器により、自分が思っている心象を他者に伝達する困難な状況を経験します。
思っていることが、言語を使ってもなかなか伝わらず、聞いてくれた相手からあなたが期待する返答がほとんど返ってこなかったのです。
その時、あなたは自分の気持ちが伝わらないのなら、自分の気持ちを持っていても仕方がないという欲求という全身の器官とつながる不規則で非連続な運動を抑制し、規則的な固定作用(これは運動ではありません)であなたの気持ちをピン留めしたのです。

女性のために作られた実践的哲学をしよう

実践的哲学は、欲望のピン留めを言語を通じ、全体でしか見えなかった物事や人間に関わることを丁寧に問いかけを与え、そしてそこからもっと分かりやすくするために、女性の知覚と感覚に強い連環である知的欲求を高め、モナド(最小単位)にします。

女性の心の安定をつくり出し、女性が社会に屈することなく、自分がやりたかった未来像を叶えるために実践的哲学は生まれました。
未来像といっても、そこまでは難しいとお思いなら、現状を満たすためにも、複雑に見えるあなたからの視野を分かりやすくする必要があります。

今のままでは、あなた自身は何も変わらず、今のままの見方は変わりません。
つまり、世の中の問題とは世の中にある問題なのではなく、世の中のついての見方の偏りに思考が変わらないというところにストレスとなり、それが要因で心の疲れを溜めてしまうのです。

実践的哲学の目的

・心の心象を整理し、心の安定をはかる
・心の構造を知って、心を自分の制御のもとにおく
・心の疲れを取り、身体と心をつなげる
・心を楽にし、やりたいことを見つけてみたい
・純粋に自分を知るために哲学がしたい
・美意識を高め、美しい女性になってみたい

などです。
挙げれば、それは個別性が生まれますので、人の数だけニーズは変わってきます。
あなたが持っている価値基準から入り、そこから緩ませていき、見えなかったものが見えるようになり、感じなかったものが感じるようになる、そうなっていきますと、生きることに喜びも生まれ、自我の抑制である自虐思考ではなく、本質的に幸福感や充足感を求め、それを知から入っていけて、あなた自身でも自分の変化に気づくことができるようになります。
これほどに、面白くなる生き方はなく、それが精神的にも変わっていき、あなた自身の雰囲気やオーラも美しくなっていきます。
ぜひ、実践的哲学を体感してみましょう。

 


本サイトのご説明をいたします。
美意識には、刺激として入力が必要だと申し上げました。
そして、入力には自分で刺激を用意しては、予期しないことでないため、それでは入力系にはならないとお伝えしました。

それを容易に叶えるのが本サイトであります。
本サイトは、女性であるあなた自身が今よりも充実感や幸福感を高め、日々が満たされるよう、そのお手伝いをさせて頂くことがビジョンです。
そのための入力を反復して頂くことが充実感や幸福感、美意識による生き方の変更、日々感じておられる仕事や人間関係などの疲れ、心に限らず身体に感じるイライラ、倦怠感、憂鬱な気持ちにも対応できるようになっています。

入力を促すには、本サイトが無料でお読み頂ける実践的哲学で構成された記事をお読みください。
これは、本来の普遍的傾向でしたら、無料でお読み頂く記事を無料にはしないほどの内容と質と量が伴っており、この記事が有料となるのですが、入力は自由にやって頂く方が適切だと考え、生の哲学を現代に合った文体で読むことができます。
これが、始原的な入力となり、何度も読んで頂きますと、入力の神経系は解放され、そのうちあなたの内部運動が持つ制御が生まれ、発散から収束され、あなたの思考の資材となります。

そこからより個別的に自分磨き、または疲れがなかなか取れない、孤独感があって、一人で過ごすことは不安や焦りが出てくる感覚がある方は、一歩進んで個別的実践的哲学に導入することをお勧めいたします。

・スタンダードメンバー;月額864円
本記事への質問し放題、月二回にあなたに合った個別的哲学のエクリチュールを提供させて頂きます。

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あなたという一人の人を哲学により解体し、実際の未来へのビジョンや理念を立たせるお手伝いをいたします。必要に応じて、パロール(話し言葉)が必要ならオプションで実践的哲学をトレーニングしている哲学者とコミュニケーションの時間を作ります。

 

 

 

  • この記事を書いた人

tak

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