女性の心を落ち着かせる言葉

女性の内面を磨きうつ病を予防、改善へ|マルクスで新しい女性の概念のパサージュ

投稿日:2017年10月2日 更新日:

女性が悩むうつ病を改善へ。女性の内面を磨き、生き方を美しく。マルクスとフォイエルバッハの命題

・カール・マルクスのフォイエルバッハについての命題

(1)これまでの唯物論すべて(フォイエルバッハのものを含めて)の主要な欠陥は、対象、現実、感覚が客体または直観の形でのみ捉えられて、感覚的・人間的な活動として、実践として、主体的に捉えられてはいないことである。そのために活動的な側面は唯物論とは反対の観念論ーー当然ながら実際の感覚的な活動というものを知らないーーによって抽象的に考察されている。フォイエルバッハは感覚的な、つまり思考の対象とは実際に区別された対象を求める。しかしかれは人間の活動自体を対象的な活動としては捉えはしない。そのためにかれはキリスト教の本質に、真に人間的なものとしては理論的な行動のみを見て取り、実践を不潔でユダヤ的な現象形でだけ捉え、固定することになった。したがってフォイエルバッハは『革命的』活動、実践的・批判的活動の意義を理解していない。

(2)人間の思考が対象の真理に達するかどうかという疑問は理論の問題ではなく、実践的な問いである。実践において人間は自分の思考の真理性を、すなわち現実性と能力と現世性とを証明しなくてはならない。思考ーー実践から切り離されたーーが現実的か非現実的かという論争は机上の理屈にすぎない。

(3)状況と教育の変革にかんする唯物論の意見は、状況は人間によって変革されねばならず、教育者自身が教育されねばならないことを忘れている。だから、社会を二つの部分に分離し、その一方を他方の上に高めざるをえなくなるのだ。

状況の変革と人間の活動つまり人間の自己改革との一致は、革命的実践としてのみ捉えられ、合理的に理解されうる。

(4)フォイエルバッハは宗教による自己疎外、つまり世界の、宗教的世界と世俗的世界とへの二重化から出発する。かれの仕事は、宗教的世界をその世俗的基盤へと還元することである。しかしこの世俗的基盤が自己自身から分離して、独立の領域として空中に確立されるということは、世俗的基盤の自己分裂と自己矛盾からしか説明できない。したがって世俗的基盤自体の内部の自己矛盾を理解するとともに、世俗的基盤を実践的に革命によって変革しなくてはならない。つまりたとえば聖家族の秘密として地上の家族を発見したなら、次に後者自体を理論的、実践的に抹殺しなくてはならない。

(5)フォイエルバッハは抽象的思考に満足せず、直観を欲する。しかしかれは感覚を実践的な、人間的。感覚的活動とは捉えない。

(6)フォイエルバッハは宗教の本質を人間の本質に還元する。しかし人間の本質とは、個人に内在する抽象的概念ではない。人間の本質の実態は、多様な社会的関係の組み合わせである。フォイエルバッハはこの実際の本質を批判しないので、どうしても、(1)歴史的経過を無視して宗教的情念をそれだけで固定し、状況から切り離された抽象的な人間個体を固定することになってしまう。(2)そのために、本質が『類概念』として、つまり、多数の個を自然の観点だけから一つにまとめる内的で無言の普遍性としてしか捉えられなくなる。

(7)したがって、『宗教的情念』自体が社会の所産であること、そしてかれが分析する抽象的な個人が一定の社会形態に固有そのものであることを、フォイエルバッハは見て取らない。

(8)すべての社会的生活は本質的に実践的である。理論を神秘主義へ誘う神秘はすべて、人間の実践と、この実践の理解において合理的に解決される。

(9)直観的唯物論、すなわち感覚を実践的活動として把握しない唯物論が到達するのは、たかだか個々の個人と、ブルジョア社会との直観である。

(10)古い唯物論の立場はブルジョア社会、新しい唯物論の立場は人間的社会あるいは社会的人間である。

(11)哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。重要なのは世界を変革することである。

マルクス論;ブロッホ p63(1)

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tak

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