女性の心を落ち着かせる言葉

女性の悩み解決に近づくには|フリッチョフシュオンの秘儀と信仰の哲学で女性の悩みへパサージュ

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女性の悩みを楽に解決できるためにフリッチョフシュオンの秘儀と信仰でパサージュ

・形而上学とエゾテリスム;フリッチョフ・シュオンー春秋社

伝統の世界、位格的な面の神秘

・神を最も愛したのはイスラーム預言者
「イスラームの預言者ほど神を愛した『使徒』あるいは宗教の創設者は存在しない・・彼ほど神に愛された者は存在しないという、かなり驚くべき見解に人の一部のムスリム著作家において出会う・・宗教的な感情あるいはほとんど道徳的行為として、純粋に人間的な選択の次元を超えた背景から恩恵を被っているから・・」p91(1)

・神の宗派的な面と位格的段階
「謎を解く鍵は、超位格的な神性の言わば『人間的』あるいは『人格化』された面である唯一つの人格的な神だけがあるわけではなく、神の『宗派的な面』と呼べるものが、この最初の位格的段階の下に、そしてその機能として、存在するということ・・それは神が特定の宗教に向ける面である・・それは神がその宗教に投げかける眼差しであり、そしてそれなしではその宗教は存在することすらできない・・神の『人間的な』あるいは『人格的な』『面』は、諸々の宗教的、宗派的、あるいは霊的観点に対応した様々な様態を取るのであり、それゆえそれぞれの宗教はそれ自身の神を持つと言うことができる・・」p91(7)

・イスラームの神とキリストの神の違い
「神は一つであること、そしてこの一性は何時でも多様性のヴェールを突破することができるということを否定するわけではない・・イスラームの神が、自分自身をキリスト教の神とは違った仕方で顕現しあるいは顕現することができるという事実は、キリスト教徒とムスリムが本質的には同じ神を崇拝しているということは妨げない・・」p92(1)

・神的有に霊的な可能性をたくさん含んでいる
「神的有は、あらゆる霊的可能性、そしてその帰結としてあらゆる宗教的・神秘的原型を包含している・・そして有は、それらを存在へと投影し、各々に特定のそして適切な眼差しでそれらを見る・・天使達はそれぞれの個人にふさわしい言葉で語ると言われる・・この『眼差し』あるいは『面』は、それ自体としての神の主観に従属する一種の新しい『神的な主観』であり・・それを人間に対して特定の様態で伝達する・・それは色のない光が光であることをやめることなく虹の色を投影するようなもの・・それは水が氷へと変容し結晶化を引き起こし・・異なったそして対立しさえする顕現を引き起こすようなもの・・」p92(7)

・宗教的対立とは諸原型の間で競い合っている
「諸宗教や諸宗派や諸々の道の間に対立が存在するならば、それは諸原型の間に競合が存在するからである・・これらは決して根本的に矛盾するものではあり得ない・・赤色や緑色の外見的な対立は正しくそれらの色のない起源において解消される・・それにもかかわらずそれらは相互に排他的である・・その中心部を除いては・・その中心部は定義上、形式を超えており、そして純粋な光へと開かれている・・」p92(14)

・信仰は特定や集団での具体的な神の自己限定
「位格ー面あるいは、単なる抽象ではなく、特定の或いは集団的な人間的受容者に向けられた具体的な神の自己限定であるということ・・それは人間的なマーヤーの中に、それ自身の法と、それ自身の可能性と、それ自身の驚異を持った特定の世界全体を投影するということを理解することが重要・・」p93(1)

・各宗教とは各惑星であることを意味する
「宗教を換えることは惑星を換えるようなものだと言うことができる・・他の宗教を現象として理解することは何よりもそれが惑星であり単なる大陸ではないということを把握すること・・遠さや差異や・・他の宗教的環境が引き起こしうる違和感の程度の違いはある・・」p93(4)

・太陽は一つ、それを見る各惑星には種類がある
「太陽は一つであるが・・それは諸惑星を様々な眼差しで見ているのであり、そしてそれは宇宙における諸惑星の位置によって様々な仕方で見られるのである・・これはおそらく単純なイメージであろうが・・要点を説明するのには十分に適切なもの・・」p93(8)

・イスラームを創設するためにムハンマドを神は遣う
「顕教的には、ムスリムの言葉で言えば、神はイスラームを創設するためにムハンマドを遣わしたと言えよう・・秘教的には、神における『イスラーム的可能性』の原型がこの可能性を存在へと投影し・・それによってこの投影のために神そのものとなったと言える・・この投影は、それ自体としての神と分離されていないが、ある種の仕方で神を『特定化』するのであり、それにもかかわらず、人間的受容者に対して、それ自体としての神のあらゆる特質と働きを伝達する・・それはまさしくこの特定化によって要求される特定の『様式』に従ってである・・」p93(11)

・それぞれの神は属するひともすべてとなる
「それぞれの神の面はそれを表現する中心観念によって働く・・その観念が全てである・・人がキリスト教的な環境において『キリスト』と言うならば、その人は全てを言うのである・・救済する顕現の神秘が他の全てに勝る・・唯一の決定的な真理のみがあり、それがすなわち『神が人間となったのは人間が神となるためである』ということである・・」p94(1)
『神が人間となったのは人間が神となるためである』 シュオン

・特定の側面を世界へと投影した神の面
「『位格的特定化』ー『神と人間』の関係のこの特定の側面を世界へと投影した『神の面』ーは・・その原型が人間世界において引き起こすあらゆる結果について責任を引き受けた・・宗教的偏見という極めて自然な現象も含めて・・この限定においても、神は神をやめるわけではない・・ただ一つの神があり、そして神は、神の特定の投影のうちのいずれの一つにも絶対的な勝利を許すことはない・・神は外からあるいは内からそれに対抗するのである・・他の宗教によって、あるいは永遠の叡智によって・・spiritus autem ubi vult spirsat.(風(霊)は、その望むところに吹く)・・」p94(4)

・ムスリムの中心観念唯一の神の公理
「ムスリムの環境においては、中心観念ー言わば存在論的に議論の余地のない観念ーは、唯一の神の公理である・・アッラーと言うことは、全てを言うことである・・この言葉はあらゆる異議に対して殆ど存在的な仕方で扉を閉ざす・・この絶対性の特質は必然的に使徒に及ぶ・・」p94(11)

・位格的な面=相対的絶対性
「アッラーの使徒すなわちこの名が表現し顕現する中心観念の代弁者よりもアッラーにより多く愛された者は存在しないということを、清い良心のうちに、そして対応する『位格的な面』の眼差しのもとで主張することを許すのである・・これはわれわれに一度ならず『相対的な絶対性』と呼んできたものの一例である・・これは確かに逆説的な表現であるが、形而上学的な分析においては不可欠なものである・・」p94(14)

・キリスト教とムスリムにおける中心観念とは?
「キリスト教における中心観念は、唯一の神人の目も眩むような現象であり、その人は比類がなく、ましては超えることはできない・・彼のみが霊魂達を救うことができる・・ムスリムにとって中心観念は、分割不能、不可侵、無敵の唯一の原理、絶対の眩い自明性である・・絶対の確実性は絶対的である・・『一性の教義は、唯一である』ように、そして救い主へと信仰が人を救うものであるように・・」p95(2)

キリスト教における中心観念;唯一の神人の目を眩むような現象であり、その人は比類がなく、まして超えることはできない。彼のみが霊魂達を救うことができる。
ムスリムにおける中心観念;分割不能、不可侵、無敵の唯一の原理、絶対の眩い自明性である。絶対の確実性は絶対的である。

・宗教の構造的形式
「それぞれの宗教は、単に教義的・神話的・方法的な体系であるのみならず宇宙的そして終末論的な体系でもある・・人は一つの体系の価値を他の体系の基準で計ることはできない・・このことは、それらの共通の本質の明白な同質性と矛盾することはない・・」p95(8)

・キリスト教には伝達者の使徒の神性は事実を変えない
「宗教としてのキリスト教は一つの方便、『救済的な術策』であり、それゆえ幾つかの可能な形式的体系の中の一つの形式的な体系である・・そして伝達者の神性はこの事実を変えはしない・・『神のみは善い』とキリストは語った・・キリスト教の体系の限定はまず、『罪人』としての人間の公理的定義において現れる・・人間はこの基盤からのみ神に近づくことができるのであり・・そこからあらゆる覚知(グノーシス)に対する暗黙裡のあるいは明示的な拒絶が生じる・・また人間は『神の子供』であり、神は『父』であり・・『私の王国はこの世のものではない』のである・・これらすべてのことは、霊的な人間の社会を対象とする愛のエゾテリスムを示している・・」p95(10)

・キリスト教の歴史は人間から信仰を分離させた
「人間全体に対して向けられたものではない・・実際、この『聖人達の知恵』の法律的な適用は、社会体において危険な分裂を引き起こした・・とりわけカトリックの世界における聖職者と俗人の間の潜在的な緊張あるいは間歇的(かんけつてき)な争いによって、キリスト教の歴史に示されているように・・」p96(1)

・イスラームの位格的な面はアプリオリの反発
「イスラームを管轄する『位格的な面』は、この観点に対して『反発』した・・分裂と不均衡の危険に対してのみならず、『人間は罪人に等しい』という観念・・『神が人間となった』という観念に対してもアプリオリに反発した・・この第二の観念は、三位一体論を決定づけ・・三位一体の側面と絶対の同一視をもたらしている・・事実上すべてを支配する『キリスト教中心主義』が生じる・・イスラームは・・原初の意味へ・・超越的な本質へと連れ戻し・・人間をその原初のそして『超自然的に自然な』祭司職へと連れ戻す・・そのことによって社会全体を聖化する・・」p96(5)

・イスラーム;神は父ではない
「イスラームにとっては神は『父』ではない・・少なくともアプリオリには万人にとってはそうではない・・神は『主』であり、それは集団全体に関する限りはより適切なもの・・人間に関しては、彼は『下僕』であり、『子供』ではない・・その表現はムスリムの感情にとっては神秘的な親しさを前提とするであろう・・人間はまた・・その人間的尊厳によって、地上における『代理』であり・・神の代理者である・・」p96(13)

・卓越したイスラームの神の立ち位置
「神への愛は、それがイスラームの公理に基づいている程度に従って、卓越したもの・・神は、奴隷であり代理者である者、神の一性の鏡である者を、最も優れた仕方で愛する・・ムスリム達は、彼らの体系の枠組みの中では、そのようにしか推論できない・・」p96(17)


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  • この記事を書いた人

tak

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