女性の心を落ち着かせる言葉

ショーペンハウアーの存在と苦悩から性愛の哲理で女性の幸福感と豊かさをパサージュ

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ショーペンハウアーの存在と苦悩から性愛の哲理で女性の幸福感と豊かさをパサージュ

*存在と苦悩;ショーペンハウアーー白水Uブックス

性愛の哲理

*生への意志の核心、性欲

・男女関係から性愛の行動を見ていく
「男女関係は、人間生活のなかでもきわめて重要な役割を演じている・・これは生活のいかなる面についても妥当することである・・男女関係は、人間のあらゆる行動や働きの見えざる中心点であり、これをおおい隠そうとするヴェールの間からおのずと顔を出してしまう・・色恋ざたは、戦争の原因ともなれば、平和の目的ともなる・・まじめさの基盤でもあれば、冗談の対象でもあり、機知の尽きざる源泉でもあれば、あらゆる暗示を解くかぎとなる・・秘密の合図を送ること、表現しにくい申し込みをすること、ひそかに盗み見ること・・すべてが色恋に基づいている・・」p111(1)

・恋愛が習性となってしまうのは非常に厳粛なものだから
「若者ばかりか、ときには老人の日々の行動もこれによって決定される・・ひとたび異性と関係した者は、毎時間ごとに性愛の問題で思い悩み、童貞の者も、おのれの意志に反し、繰り返しこのことを夢想する・・恋愛がいつでも冗談の豊かな材料になるのは、実はこれがもともと非常に厳粛なものであるからでもある・・」p111(6)

・性愛は人間が一番関心をもっているのに秘密に包まれる
「だがすべての人間にとって最大関心事が、人目のつかぬようにひそかにとり行われ、がんこなまでに、できるかぎり無視されるということは、世のなかというものがいかに奇妙なおかしなものであるかということを示している・・実際には性愛こそ、この世の世襲の主君である・・」p111(9)

・性愛が生まれるのは性欲が生への意志の中核
「先祖代々継承してきた王座におのれの権力の偉大さを意識しながらふんぞりかえる性愛が、その高みからも軽蔑したようなまなざしで、変愛を制御し、閉じこめておこう、少なくともこれを制限し、できればひた隠しておこうという策略や、あるいは恋など、人生にとって取るに足らない横道、副産物にすぎないのだとみせかけようと努める、あらゆる手だてをあざわらっているのは、だれにもよくわかっている・・これらのすべてのことは、性欲が生への意志の中核であり、あらゆる欲望の焦点であるということに基づいている・・」p112(4)

・ショーペンハウアーの性愛の哲理+生殖器は意志の焦点
「そのため私は、さきに生殖器は意志の焦点であると名づけた・・そればかりではない・・人間は具体化された性欲であるとすらいえる・・それは人間が男女の交合によって生まれ、人間の欲望のなかの欲望は、異性を交わることだからである・・この欲望だけが人間のすべての現象を結合し、永続させる・・生への意志は、確かに、はじめは個人の維持への努力として現われるけれども、これは単に種族の維持への努力の一段階にすぎない・・種族の維持への努力は、種族の生活それ自身より激しいものである・・」p112(9)

・種族の維持への努力は、個人の生存よりも上まわっている
「この努力は長続きのする点、広がりのある点、価値のある点では、個人の生存への努力を上まわっている・・かくて性欲は生への意志の最も完全な表現であり、生への意志のもっとはっきりした形態である・・このことは、個人がそもそも性欲から生まれること、性欲は自然のままの人間にとって、他のすべての欲望にさきがけるものであることに完全に即応している・・」p112(14)

・ショーペンハウアーの基本的理論
「私の基本的理論をよりはっきりさせるために、生物学的な説明をここで取り上げてみようと思う・・性欲は情欲のなかの最も激しいもの、欲望のなかの欲望、われわれのすべての欲求の結集である・・個人的な性欲・・特定の個人に向けられたその人特有の性欲の満足は、幸福の絶頂、王冠であり、これさえ獲得できれば、すべてのものが得られる半面、これを獲得しそこなえば、あらゆることに失敗したかのように思われる・・」p113(3)

・性欲と客体化された意志
「こうした事情からしても、われわれは、性欲の生物学的側面として、客体化された意志のなかで・・人間の組織のなかでも、精液が分泌物中の分泌物であり、あらゆる液体の精髄であり、有機的なすべての機能の最終結果であることを思い出すのである・・またこのことによって、肉体は意志の客体化にすぎないこと、すなわち、表象という形式を通した意志そのものであることが再認識されることになる・・」p113(7)

*恋の情熱

・愛しあう二人の男女の恋心は新しい個人の生への意志
「もともと愛しあう二人の男女の恋心がつのることは、既にこの二人が生むことができるし、生みたいとも思っている新しい個人の生への意志である・・そればかりではない・・二人が互いにまなざしをかわしあうときに既に新しき生が生まれいで、将来のよく調和し、結合した個性として姿を現わすことになる・・愛する二人は、自分たちがつくる新しい生命を通じて将来もなお生き続けてゆくために、現実に一個の存在として結びあい、とけあうことをあこがれる気持ちをいだく・・」p114(1)

・一個の存在としてのあこがれ
「このあこがれは、二人のそれぞれの個性が新しい生命のなかに遺伝して結合され、融合された場合に、その新しい生命によって実を結ぶことになる・・これとは逆に、ある男とある乙女の間に決定的なぬきがたい嫌悪の気持ちがわだかまっていることは、二人がもし子供をつくったとしても、悪い体質の内面的にも不調和な不幸な人間ができるであろうことを示している・・カルデーロンがそのようにしてできた恐るべき女性セミラミスを空気の娘と名づけ、それにもかかわらず彼女をしまいには夫殺しを引き起こす<強姦の娘>として登場させたことには深い意味が隠されている・・」p114(5)

・性愛はあらゆる生物の種族ななかの生への意志
「ともかく、性を異にする二人の個人をあのように強力に、しかも何物をも押しのけて互いに結びつけるものは、とどのつまりあらゆる生物の種族のなかに現われる生への意志である・・生への意志は、二人の愛しあう男女がつくる新しき個人のなかに、目的にかなったおのれの本質の客体化を先取りするのだ・・」p114(12)

・新しい生、父からは意志や性格、母からは知性を
「新しき生は、父からは意志あるいは性格を、母からは知性を、そして両親から形態を譲り受ける・・だがたいがいの場合、どちらかといえば、姿かたちは父親似、体の大きさは母親似も傾向をたどる・・こうなるのは、動物が雑種をつくるとき、はっきりとわかるが、主として胎児の大きさは母体の子宮の大きさに従わなくてはならないという法則があるからである・・」p115(1)

・独特の他の人とは違う特別の個性
「どの人間をとってみても、その人独特の、他の人とは全然違う特別の個性が何であるかは、なかなか説明しにくいものだが、愛しあう二人の人間が互いにいだく、全く特別な個人的な情熱についても同じようなことが言える・・根本的には、個人の個性も、二人の男女が互いにいだく特別の情熱も、実は同じものであり、一方が判然としている半面、他方が含蓄的であるにすぎない・・」p115(5)

・新しい個人の生命の要は両親の互いに思いそめしとき
「新しい個人のそもそものはじめは何か、その人の生命の要は何かというと、それは、その人を生んだ両親はが現に互いに愛し始めた瞬間、きわめて適切な英語の表現によれば、互いに思いそめし(to fancy each other)ときにあると考えられる・・世間でよくいわれているように、男女が会って互いにあこがれに満ちたまなざしをかわしたときに、新しい存在の芽が発生する・・」p115(8)

・新しい個人は、新しい理念
「もちろんこの新芽も、他のすべての芽と同様、ほとんどが踏みにじられてしまう・・新しい個人は、いわば新しい(プラトン的な)理念である・・すべての理念は、因果律がそれぞれの理念に分配した材料を貪欲にとらえながら異常な激しさで、現象界に乗り出そうと努めている・・これと同様に人間の個性の特別の理念も、きわめて貪欲かつ激しく、現象のなかで実現されることを目ざして努力する・・この貪欲な激しさこそ、いずれは両親になる二人の男女の間の情熱である・・」p115(12)

・情熱のいろいろの度合いの差異
「情熱にもいろいろの度合いがある・・その両極端をそれぞれ、最低の愛欲および天上の愛と呼びならわすのは勝手だが、本質に従えば、情熱はどれもこれもみな同じことである・・だが、情熱の度合いとなると話が違う・・情熱の度合いは、それが個性的になればなるほど激しくなる・・ということは、恋する人が、その肉体や個性のすべての面で、相手の独特の個性から生じた望みや欲望をこれ以上はないというほど、完全に満足させることができればできるほど、それだけ二人の情熱の度合いも高まっていることを意味している・・」p116(1)

・愛欲が高まりあうのは、健康、精力的で若い
「ではどうしてそうなるかについては、先を読めばいっそうはっきりしてくるであろう・・人に恋心を起こさせるうえでまず肝心なのは、健康であり、精力的で美しくそれに若いということである・・それは意志が、人間という種が持っている種族としての特性を、何物にもさきがけて、すべての個性も基礎として表現しようと求めるからだ・・日常的な色恋ざたなどは、その程度から先へは進めない・・」p116(6)

・特別の要求が現われてくると、次は情熱の高まり
「次の段階になると、これから調べてゆくことになる特別の要求が現われてくる・・こうした要求を持ち、しかもおのれの恋心を満たすことも眼前にひかえている場合には、情熱はいやがうえにも高まってくる・・だが最高度の情熱は、恋する二人の男女の個性がしっくりあったときに生じてくる・・」p116(10)

・意志が新しい個人を完成させる
「こうなると意志が、すなわち父の性格、母の知性が、二人の結合を通じ、新しい個人を完成する・・新しい個人を生み出すことに対し、あらゆる種族のなかに現われる生への意志は、その本来自然の強大な力に即して、換言すれば、死すべき人間の心臓などではとうてい制御できるすべもないほど、高揚された憧憬を感じるのだ・・またこの憧憬の念のそもそもの動機も、個々の人間が知恵をしぼってもわかるものではない・・まさにこのことこそ、本質的な偉大なる情熱の魂なのである・・」p116(14)

*恋と憎しみ

・人が恋をすると
「人が恋をしているときには、しばしば喜劇的な、あるいはまた悲劇的なありさまを見せてくれる・・それは、悲劇的であると悲劇的であるとを問わず、恋のとりこになった人が種族の精神に占有され、支配されると、もはや本来のおのれ自身ではなくなり、その人の行動も、もともとの個性と食い違ってくるからである・・」p117(3)

・恋心の最高の段階;きわめて詩的、崇高な色あい
「恋心も最高の段階に達すると、その人の思想はきわめて詩的かつ崇高な色あいを帯びる・・そればかりか経験を超越し現世を逸脱したような方向をたどり、そのため、その人本来の目的、実はきわめて肉体的な目的をすっかり見失ってしまうように思われる・・」p117(6)

・恋心から愛欲。本来の肉体的な目的を忘れてしまう
「ではなぜこうしたことが起きるのだろうか?それは、恋に身に焼く人が、単なる個人に関するより、はるかに重大な使命を担う種族の精神に満たされるからである・・その使命とは、この人だけが備えている特性を生かすこと、すなわち、この人が男の場合なら、この人を父とし、恋人を母とすることだけによって、はじめて可能となる将来無限に続く子孫の基礎をつくることである・・」p117(8)

・このような恋からは子孫は生み出せない
「もっとも、生への意志の客体化がはっきり子孫をつくることを求めていても、このような恋からは、子孫を生み出すことはできない・・日常経験をはるかに越えた重大事にかかわっているという感情をいだくために、恋する人たちの気持は、あらゆる地上的なるものを超越し、おのれ自身よりも高く舞い上がり、本来は肉体的な欲望にあまりにも神々しい色彩をほどこすため、ふだんはおよそ散文的な、人の生活のなかにすら詩的な物語が繰り広げられることになる・・こんなときには、この恋物語は喜劇的な色あいを帯びてくる・・」p118(1)

・種族のなかの客体化する意志は無限の幸福の予感
「種族のなかに客体化する意志が担う使命は、恋する男の意識のなかでは、相手の女性と結ばれれば、必ずや、無限の幸福が得られるであろうという予感となって登場する・・恋心も最高度になると、こうした妄想はきわめて法外な形をとる・・相手の女性と結ばれないとなると、恋する男にとって生自体がすべての魅力を失うばかりではなく、この世のすべてが喜びのない、はかないあじけないものに思われてくる・・」

・種族の意志が強力に個人の意志を圧倒すると生きることに嫌気がさす
「そのために全く生きていることに嫌気がさし、死の恐怖をも克服し、自分の命を断つ者も出てくる・・こうした人の意志は、種族の意志のうずまきのなかに巻きこまれるか、あるいは、種族の意志があまりにも強力に、個人の意志を圧倒するのだ・・そうした人は種族の意志を発揮することができないために、個人の意志のなかにひそんでいることをさげすむのだ・・」p118(11)

・自然が生を救い、絶望状態の意識をヴェールで覆う
「こうなると個人などはあまりにも弱い器であり、決まった相手に集中された種族の意志の無限のあこがれに耐えることなどできはしない・・この場合、もし自然が生を救うために、恋する人を気違いにさせ、さらに絶望状態の意識をヴェールでおおい隠してくれることがないならば、自殺に脱出が求められる・・ときには相愛の男女の心中も行なわれる・・この種のできごとが何度も起こり、私がいま述べたことの真実性が裏づけられないで過ごされる年などはけっしてない・・」p118(15)

・恋の情熱は幸福より不幸がつきまとう
「しかし、満たされなかった恋の情熱ばかりが悲劇的結果をたどるばかりではなく、恋の情熱が満たされても、幸福よりも不幸がつきまとう場合が多い・・それというのも、恋心を満足させることは、きわめてひんぱんに恋する人の個人的な利益と衝突する場合が多いからだ・・恋が成就したとしても、その人のまわりの環境とはそぐわず、その人の生活設計をぶちこわしたたりするために、その人の個人的利益はひどくそこなわれてしまう・・」p119(4)

・恋愛がぶつかるのはその人の個性にも
「恋愛は単に外的な環境と衝突するばかりではなく、恋するその人の個性とぶつかる場合もしばしばある・・それというのも、こうした人々は、性的関係を除けば、憎たらしい、軽蔑すべき異性、そればかりか本来は嫌悪するはずの異性に夢中になっているからである・・」p119(8)

・恋愛はおのれの情熱の対象にとわに結びつけられる
「だが、何といっても、種族の意志は個人の意志より強力なために、恋する人々は、本来ならいみきらうべき相手のかずかずの特徴に目を閉じ、すべてを見過ごし、すべてを誤解し、おのれの情熱の対象にとわに結びつけられるのだ・・このように迷妄(めいもう)にとらわれている間は、恋する人の目はくらんでいるけれども、いったん種族の意志が充足されるやいなや、迷妄は去り、残るものは憎たらしい生涯の伴侶だけとなる・・」p119(11)

・男性が選ぶ婚姻相手は古代人によるとアモール(愛の神)は盲目とした
「われわれは、きわめて理性的な、すぐれた男が竜や悪魔のようなものすごい女と結婚しているのをしばしば見受けながらも、なぜ彼らがこうした嫁選びに踏みきれたのかということがわからない・・この疑問も、前述の根拠からじゅうぶん説明できることである・・このために古代人はアモーレ(愛の神)を盲目であるとした・・」p119(15)

・恋する男は初志を曲げることはできない
「そればかりか恋する男は、たとえ彼に苦しい生涯しか約束してくれないいいなずけの、およそ耐えられない性格ならびに性質上の欠点をじゅうぶんに悟り、これをつらいことだと感じることができたとしても、それだからといって、初志を曲げることはできない・・」p120(2)

『私は聞かない、尋ねない、
 お前に罪があるかどうかを。
 私は、私がおまえを愛していることを知っている。
 たとえおまえがどんな人であろうとも。』

・恋する日人は将来生まれる第三者のためのもの
「なぜなら、恋する人は自分のためのものを求めているのだという迷妄にとらわれているけれども、根本的には、その人は自分のためのものではなく、将来生まれ出づるはずの第三者のためのものを求めているのだ・・おのれのためのものを求めないという偉大さの風格を備えているこの態度は、情熱的恋愛にも崇高な趣きを与え、これを詩の価値ある素材たらしめる・・そのうえ性愛は、とどのつまりその対象に極度の憎しみをいだくこととも両立できる・・そのためプラトンは、性愛を羊に対するオオカミの愛になぞらえた・・こうした事態は、情熱的な恋する人がどんなに努力しても、けっして相手に聞き入れてもらえないときに起こる・・」p120(10)

『私は彼女を愛し、しかも憎んでいる。』
                 (シェイクスピア『シンベリン』第三幕)

・燃え上がった恋人はときには自殺にまでおいこまれる
「こうして燃え上がった恋人に対する憎しみは、ときには、恋人を殺したうえに自殺するところまでこうじることがある・・この種の事件の二、三の例は毎年起こっており、新聞から拾い上げることもできる・・ゲーテの次の詩はこの点でも全く正しいことをいっている・・」p121(4)

『すべてのはずかしめられた愛にかけて!
 地獄の元素にかけて!
 私は呪うことができるような
 憤りが何であるかを
 せつに知りたいと思っている。』

・恋する人はほかのすべてのことを無視する
「恋する人が、相手が冷淡で、恋するその人が苦しんでいることに喜びを見い出してる態度を残忍だと名付けたとしても、現実にはけっして誇張ではない・・それというのは、恋する人は、虫の本能にも類似した衝動に影響され、理性のあらゆる説得に耳を貸せばこそ、おのが目的をひたすら追求し、ほかのすべてのことを無視するからだ・・その人は離脱することができないのだ・・」p122(1)

・イタリアの恋愛詩人ペトラルカ
「これまで既に、満たされない愛の衝動を一生涯、まるで鎖か鉄製の足枷(あしかせ)のようにひきずり、寂しい森のなかでため息をつかざるをえなかったた(*)ペトラルカはただの一人ではなく、大ぜいいた・・だが、ただ一人のペトラルカだけに、同時に詩人としての素質が備わっていた・・彼には、次のゲーテの美しい詩がふさわしい・・」p122(4)

『たとえ余人が苦悩のなかにあって沈黙していても、
 神は私に、私がどんなに悩んでいるかを語らせてくれた。』   

・個人の幸福は大きな力によって傍若無人に破壊される
「事実、種族の守護神はいたるところで、個人を守る神との間に戦いを交え、個人に敵対して追跡し、おのが目的達成のために、常に個人の幸福を無慈悲に破壊する構えをみせている・・そればかりではない・・国民全体の幸福が、種族の守護神のきまぐれによって犠牲にされるときすらある・・この種のできごとの例を、シェイクスピアは『ヘンリー六世』第三部、第三幕、第二および第三場で示している・・」p122(11)

・なぜ個人の幸福は無慈悲に破壊することがあるのか
「そもそも、こうしたことが起きる理由は何であろうか?それは、われわれの本質がそのなかに根ざしている種族は、われわれ個人の存在に先んじて存在したという権利を持っているばかりでなく、われわれに対して、われわれの個人の権利よりも、いっそう切実な権利を保持しているからほかにならない・・そのために種族にかかわる問題が、個人にかかわる問題に先行するのだ・・この事実を痛感した古代人は、種族の守護神をクピードの形を借りて表現した・・クピードは子供のような顔かたちをしているにもかかわらず、敵意をいだき残忍なため呪われつづけた神であり、きまぐれな専制的な悪魔である・・それでいて、神々や人間の主君である・・」p123(1)

『なんじ、神々と人間の暴君であるエロスよ!』

・翼とは移り気をあらわしている
「凶悪な矢、盲目と翼が彼の属性である・・翼というのは、移り気を表現している・・移り気は一般に、欲望が満たされたあとはじめて生じる幻滅とともに登場する・・そもそも情熱は、単に種族にとって価値のあるものが、個人にとってもあたかも価値のあるもののように思われる迷妄に基づいている・・そのため種族の目的が達成されるとなると、この迷妄は消滅する・・個人をそれまでしっかりかかえこんでいた種族の精神は、こうなると再び個人を解き放してくれる・・種族の精神から解き放された個人は、再びもとのもくあみの状態に、かずかずの制約を受けた貧しい状態に立ちもどるために、楽しみを得ようとして、あのように高貴にしかも雄々しく努力したにもかかわらず、あらゆる性の満足がそうであるように、結局何物も残らなかったのを知って驚かされることになる・・」p123(9)

 

 

 

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tak

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