女性の心を落ち着かせる言葉

女性自分磨きで美しく女性内面磨き|フロイト回帰したラカン考案の自我についてのパサージュ

投稿日:2017年10月8日 更新日:

女性が自分磨きで美しく。女性が内面を磨き心を癒すための文献学。フロイトの自我をラカンが説きなおす。

*四つの要因をフロイトが実践で行なった精神分析にラカンはフロイトの実践に生息する知の理論を探求し、回帰して、再構築した。

器質的な次元の欠陥

「人間の子どもは未熟な状態で生まれる。ほとんどの動物はみずからの運動性や食物摂取能力によって独力で生存できる。ほとんどすべてを学んでいかなければならない人間の子どもに比べ、哺乳類の子どもは本能によってはるかに多くのことをより早く遂行できる。実際、人間の子どもは最初から他者の意向に委ねられており、子どもの生存は他者にかかっている。神経組織の発達の不十分さによって彼は本源的に他人の行動に依存している。人間の新生児は最初から社会性を受け入れるかさもなくば死ぬ運命である。動物に比較されたときのこの生物学的劣性は彼を他者の手に委ねるための扉を開くのである。フロイトはそれを寄る辺のないことHilflosigkeitと言い、それは人間に永遠の痕跡を残す。

通時性

「他者を見ることによって子どもは自らの未来の運動能力を予見する。己の依存状況において今行なうことができないことを、他者のなかに実現されたものとして見るのだ。かくして、視覚と他の感覚能力の間に時間的ずれが生まれる。この視覚の優位は子どもの身体の未来を見ることを許すのだ。他者のイメージによる魅了は、彼の目が他者の動作を取り込むかのように彼を呼び起こし、奮い立たせ、引き込む。やがて彼はまなざしによって見つめられ親しいものとなった母親の微笑み返すようになる。
この視覚の優位は動物と人間との断絶をなす。文化のなかでは、それは実践に対する理論の予知能力を規定する。実際、鏡から観察が生じるとき、後者は行為を生みだし正当化するのであって、その逆は成立しない。認められた最初の倫理は実際どこでも支配者のものであったということがわかる。schole(余暇そして学校)の人間は、戦いと労働の場所である自らの身体(そして奴隷の身体)を支配する。

統一化された全体性

「すでにワロンは1934年に、鏡像のなかで子どもは初めて自分を部分的だけではなく、全体性として見ると指摘していた。この機能の特殊ケースとして二次元の影のない全体像としての他者の姿がある。鏡は分断された身体の細分化に対する勝利であり、全身の統一性、支配、自由を与える運動の連携を保証する。
身体のゲシュタルトにおいて見られたものとしての他者の身体は、時間的空間的連続性を持った自己の身体の統一された感覚の源泉にある。この連続性とは世界のすべての対象の連続性そのものである。それゆえ鏡像段階は、子どもが母親の微笑みに答えるやいなや数日の間に生まれると言うだけでは不十分である。この段階はよりあとになって、人により6カ月から18カ月の間に位置される。なぜなら、そこにかかっているものは他にあって、あとで見るように、自我そのものが問題なのであり、身体の部分的イメージではない。」

リビドー

「ラカンの考察の新しさは鏡像段階のリビドー備給を明らかにしたことである。ワロンは鏡像を、表象という認識的表現で表している。つまり子どもが自分自身を認めるということで、世界のなかの対象としての自分の身体について認識の次元で進歩するというわじぇである。ラカンはこれを否定するのではないが、別の点を強調する。子どもの『アー』という歓びの表現である。同類のイメージは子どもを歓喜させる。なぜなら子どもはそれを愛しているからである。そこで子どもは統一性、支配、運動の自由よいう自分に欠けたものを見いだす。まなざしによって彼はまったく外に位置されるのである。
ところでーーこれは本質的なことだがーーこのイメージは形態形成能力を持っている。つまりそれは単なる受動的な反映ではなく、子どもの自我を生み出すものである。自らの身体の感覚と呼ばれるもの、もしくは身体の内部受容的感覚は他者のイメージという母胎からやってくるのである。子どもは自らを外に表わすのでも、イメージで投影するのでもない。いや逆に、フロイトの第二局所論に相当する過程にしたがって、イメージにより、そしてイメージに倣って(ならって)構成されるのである。つまりそこには同一化による伝達、外部から内部への移行があるのだ。イマーゴとは、Urbild(原形態)であり、情報伝達(informaition)(何かを特定する、identificationということ)と形成(formation)(何かに同一化すること)の効果を持つ心的因果性を与えるものである。
『主体は自己感覚のなかで他者のイメージに同一化する。そして他者のイメージは主体において』自分は身体を保持しているという『この感覚を捕獲するのである』
これが隣人愛のトランシティヴィズムである。私はおまえの胸に、おまえの叩かれた頬に痛みを感じる。それは私に自分の身体的存在の感覚を与えてくれた同類(semblable)に対する賛辞なのである。『直立姿勢の安定性、直立していることの威光、全身像の持っている強い印象、これらはぬぐい去ることのできない痕跡を残すものとして、自我の起源となる同一化の様態を与えるのである』。
こうしてラカンは鏡像段階によってフロイト的自我の基盤を示し、一次ナルシシズムを逆転する。それは自分自身に閉じこもった内部ではなく、内部を構成する外部であり、原初的疎外である。」

;ラカン、フロイトへの回帰 ラカン入門;フィリップ・ジュリアン

 

 

 

 

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tak

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