女性の心を落ち着かせる言葉

哲学は女性の副交感神経で心癒す|フロイトと倒錯とユートピアのパサージュ

投稿日:2017年10月25日 更新日:

女性の副交感神経。身体の不快感、むくみ、冷え性、不眠症を哲学から心を安定させる。

フロイトの文明批判

・『文明とその不満』の重要な一節

『じつにさまざまな理由で、わたしには、人間文明を全体として評価するなどという意図は毛頭ない。わたしはただ、われわれの文明はわれわれが所有している、ないしは手に入れうる一番貴重なもので、黙っていても文明はわれわれを夢想だにしないような完全性の高みへと連れていってくれるにちがいないという神がかった先入観に立ち入るまいと努力してきただけである。文化的努力の目的や文化がそのために使う手段を見渡してみれば、そういう努力は全部骨折り損で、行きつく先は個人が耐え切れないと感じるにちがいない状態だけだと結論せざるをえないと主張する批評家の言葉を、少なくともわたしは平静な気持ちで聞くことができる。わたしがこういう公平な立場をつらぬきうるのは、この種の時柄についてわたしの知識がまことに貧弱だからである。・・わたしには人々のまえで預言者面しようという勇気などないので、むしろ、おまえはなんにも慰めを与えてくれないではないかという世間の非難を甘んじて受けようと思う。』

「文明の価値にかんするこの懐疑は、文明の機能についてフロイトが与えた、徹底的に唯物論的で、内在主義的で、醒めきった説明と歩調を合わせている。」p30下段(13)

・フロイトの文明の懐疑論
「第一に、文明は『自然の力を統制し、人間の必要を満たすための富を引き出すことを目的に、人々が獲得してきた知識と能力のすべて』を含んでいる・・第二に、人間のもつ内的自然の本質的な(とりわけ攻撃的な)性格のために、『個人はだれもが事実上文明の敵なのだ』から、『文明は個人の攻撃から守られなければならず・・文明の組織、制度および命令は・・任務に向けられてのである』p30下段(15)

・社会的諸制度の主要な機能
「内的な自然を統制することであり・・『強制という』直接的な『手段』か『人間を(文明)と宥和(ゆうわ)させその犠牲を補償するように作られた手段』のどちらかによってなされる。」p31上段(8)

・フロイトのマルクス解釈
「『文明のふたつの流れは互いに独立ではない』・・欲動的な満足の可能性の範囲と、一定の社会でその可能性の統制するのに必要な諸制度とを、物質的な進歩のレベルがある程度まで決定するという・・。」

・フロイトの文明代替物批判
「1930年は、文明の価値に一致して否定的な裁決を下して、何であれそれに代わるものを探しはじめるには・・時期尚早であった・・マックス・ウェーバーは、近代という『鉄の檻』に代わって受け入れられるようなものはないと論じた・・フロイトは、文明の非退行的な代替物を発見する可能性については懐疑的であった。」p31上段(18)

・想像できる代替物はどうなるのか
「『しかし、文明を捨て去ることを求めるとは、何と恩知らずで、なんと近視眼的なことであろうか。そのとき残るのは自然状態であろうし、それはもっと耐えがたいものであろう』。想像できる代替物はどんなものも、フロイト自身が証明するのに非常に苦労した文明のもつ高い価値よりも、必ずずっと高くつくであろう。」p31下段(4)

・『文明とその不満』から状況は劇的に変化
「『努力全部が骨折り損』であるばかりか、今なお続いている発展・・近代の発展は、悲劇的な結末を迎えることが実際に明らかとなりえたとの論調が・・説得力をもつようになってきた・・極端な解決を求めること・・理論的には受け入れられるようにした・・ファシズム、スターリニズム、全面戦争、ホロコースト、爆弾(そして後には生態系の危機)は・・文明そのものの最深部の力学から帰結した・・。」p31下段(12)

・文明の力学からの結論
「左派と同様に右派でも・・文明の諸前提の根本的な再評価をもたないものはなにひとつ、西洋近代にふりかかった危機に応えうるものではありえず・・危機の解決を十分明確にするものでもありえない、という結論・・全体的な解決・・文明それ自体の全体的な変貌を欠くものはなにひとつうまくいかないだろう、と論じることがもっともなことになってきた・・。」p32上段(2)

・フロイトがもし生きていたなら
「ラディカルな改革派と、変容を望むユートピア主義とのあいだの区別は・・フロイトに見いだされる・・前者は文明の基本構造を受け入れ、そのなかにある特定の不正を排撃する者であり、後者は、文明を全体として排撃する者である。」p32上段(15)

・フロイト『文明とその不満』

『個人の自由は文明の賜物ではない。自由は文明が存在する前が最大であった。もっとそのときは、たしかに、自由にはたいてい価値がなかった。というのは、個人は自由を守る立場にいることはほとんどなかったからである。文明の発達は自由に制限を与え、正義はだれひとりとしてそうした制限から逃げてはならないと要求する。人間社会のなかで自由への欲望として感じることができるのは、現存する不正に対する反抗であろうし、だからこそ、文明より一層発達にとって好都合なものであることがわかるであろう。それは文明と共存しつづけるであろう。』

・フロイト;ユートピア主義者の考察
『しかし、それはまた原初的人格の残滓(ざんさい)から生じるのかもしれない。それは、いまだ文明によって飼い慣らされておらず、したがって、その残滓のなかにある文明への敵意の基礎にもなりうるものである。それゆえ、自由への切望は、文明の特定の諸様式と諸要求に、あるいは文明それ自体に対立する』。p32下段(12)

・フロイト;文明の起源と倒錯の理論
「文明による根本的な拘束を侵犯したいと切望することの起源を『原初的人格の残滓』に・・倒錯した衝動にまでフロイトが遡ることは、幼児性欲が成人期の先祖返り的に再開したものとする倒錯の理論と、文明の起源にかんする説明との両方に整合的・・。」p32下段(17)

・文明は性的欲動の断念
「『トーテムとタブー』でフロイトは、原殺人とその後遺症が文明の構築を行うのであり、文明に基礎構造を与える断念の配置をもたらす・・エピソード全体は・・ホッブス的ないい方をするなら、兄弟のあいだの社会契約となり、その契約を通して兄弟は、文明化された社会生活から恩恵を得る代わりとして、性的で攻撃的な欲動の十分な表現の権利を相互断念することになる。」p33上段(3)

・社会契約の断念
「『トーテミズムのふたつのタブー』であり、同時にエディプス・コンプレックスのふたつの禁止・・近親相姦と父親殺しの禁止・・禁忌の確立は、フロイトにとって・・法に支配された社会的世界が作られる構成的行為・・エディプス的に構造化された文明の社会的存在論・・。」p33上段(10)

・エディプス的構造化ふたつのタイプ
「『現存する不正』に対抗する第一のタイプの反抗は、相互断念というエディプス的構造の世界を基本的に受け入れ、このような断念という負荷が公正に分配されていないという事実にだけ反対する・・そのような反抗者は、正義の名のもとで、基本構造内部からの文明の改善を求める・・第二のタイプは・・変容を望むユートピア主義者であるが、エディプス的な構造の枠組みそれ自体を全体として拒絶する・・かれらは禁止をもっと公平に分配することなど望まず・・禁止するシステムの完全な終焉を望む。」p33上段(17)

・批判理論の主張者『啓蒙の弁証法』
「フランクフルト学派の社会理論家たちは、フロイトが差し控えていた文明のラディカルな再評価にとりかかった・・基本的にマルクス主義であって・・ずっとラディカルにせざるをえなかった。」p33下段(6)

・ホルクハイマーとアドルノ;ラディカル化の本質
「政治的経済のどちらかというと伝統的な批判から、自然の支配と道具的理性の批判への移行にあった・・かれらにとって右翼の側の主要な論敵であったハイデガーとあまり違わないやり方で、かれらは20世紀の危機に源を資本主義的発展の力学ばかりでなく、西洋の啓蒙のプロジェクトへもどろうとした。」p33下段(14)

・西洋の啓蒙プロジェクトの起源
「ギリシア人がはじめてミュトス(神話)をロゴスでもって置き換えようとしたときであり・・概念がその対象から最初に区別されたときであった。」p33下段(21)

・ホルクハイマーとアドルノの課した問題
「啓蒙のプロセスと自然の征服とは、自由主義、マルクス主義両陣営によれば、人間を何世紀もの束縛から解放することを意図したものであったが・・行き着いた先が、新しくかつ歴史的に前例のないかたちの野蛮であったのはいったいどのようにしてであったのか、という問題・・。」p34上段(4)

・なぜ新しい考えが野蛮的になってしまったのか
「ベーコンからマルクスに至る近代の伝統全体は、外的な環境の支配と十分な社会的な富の創造がすくなくとも人間性のもつ地位の改善のための必要条件であるという点では一致しているが、ひとつの根本的な点を理解しそこなっていた・・人間が外的な自然を支配するためには、自分自身の内的な自然を支配しなければならなかったということ・・。」p34上段(10)

・フロイト思考を批判理論へ
「・・自分自身の内的な自然を支配しなければならない・・体系的に組み込むための手がかりを提供・・ホルクハイマーとアドルノは・・物質的な環境の征服を実現するために、人間存在は、自己を訓練され目的意識をもった行為者に変え、社会を完全に官僚化され管理されたシステムに変えなければならなかった・・かれらは『専制的な』自我の統一性を道具的理性の統一性と同じものと考え・・どちらもが、異質なもの、差異あるもの、他なるものに対して、抽象的で強制的な統一を押しつけると論じている。」p34上段(18)

・内に向かう力と倒錯
「内に向かっては、同じ専制的な自我は、統一された自己を偽造するために、個人の欲動的な性格がもつ多様な倒錯性を抑圧する・・外に向かっては、同じ自我が、外的な自然を制御し操作するために、外的自然のもつ特殊性と拡散性に対して道具的理性を押しつける・・統一化としての、この支配の二重プロセスが・・外的な自然の物象化とは互いに他を含んでいる。」p34下段(7)

・自然の物象化とは
「自然を生きたものとすることを拒む主体的精神が、生命を抜き取られた自然を支配することは・・自然のもつ堅固さを模倣し、つぎは自分自身の生命を抜き取ることによってのみ可能である。」

 

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tak

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