女性の心を落ち着かせる言葉

女性が心の不安をなくすために|バタイユのエロティシズム、禁止と侵犯の分析のパサージュ

投稿日:2017年10月9日 更新日:

女性が心の不安をなくすための哲学への回帰の実践。バタイユのエロティシズムから禁止と侵犯のパサージュ

「侵犯行為がひらけるのは、微光を煌めかせる(きらめかせる)、つねに肯定されている世界、影のない、薄明のない世界、果実を噛んでその核に果実自体の矛盾をさしこむ、あの『否、ノン』の滑り入りのない世界に向かってである。」バタイユの世界 侵犯行為への序言;ミシェル・フーコー p102(2)

「侵犯行為は悪魔的否認の太陽的反対物・・神的なるものと切りはなちがたくつながっており・・聖なるものが指し示すあの限界から出発して、神的なるものの戯れが行なわれる空間を開く・・限界の実体(エートル)について問いかける、そんな哲学が・・神的なるものといったカテゴリーを再発見していること・・われわれの道が回帰の路であること・・われわれは毎日ますますギリシャ人になってゆくということの無数の徴候の一つである。」p104(4)

「この回帰を、起源の地の約束、あらゆる種類の対立関係がそこで生まれるような・・解消されるような原初の土壌の約束として理解してはならない・・神的なる体験を思考の中核に据え直すことによって、ニーチェ以来の哲学は、自分が是認性のない起源と、否定的なるものの忍耐とは縁のない入口を問うているということをちゃんと知っている、あるいは知っているべきであろう。」p104(8)

・ニーチェ;起源と有限性と存在
「いかなる形而上学的動きも、諸組織形体とそれらの超越的土壌とのいかなる分析も・・体験への手がかりをさえも思考するための助けをもたらすことはできない・・限界と侵犯行為との一瞬のはたらきあいは・・ニーチェがその著作活動の冒頭からわれわれの眼を向けさせていた、『起源』の思考の本質的な試錬であるのだろうか・・存在論であるような思考、有限性と存在とを思考するような思考?」p104(12)

・眼を逸らしてきた回帰されるべき思考
「この思考は、カントが・・形而上学的言説とわれわれの理性の諸限界についての省察とを接合した日に・・西欧哲学に穿たれた(うがたれた)開口からわれわれのもとにやって来たのだ・・カントは、結局のところあらゆる批判的な問いかけをそれに参照した人間学的質問のうちにおいて・・みずから閉ざしてしまった・・この開口は、形而上学に無際限に認められた猶予として理解されてきた・・。」p105(3)

・弁証法と人間学の言説の解放
「弁証法は存在と限界との問題化に取って換えるに、矛盾と全体性とのはたらきあいをもってしたから・・弁証法と人間学との絡み合った眠りからわれわれを目覚めさせるためには、悲劇的なるものとディオニュソス、神の死、哲学者の槌(づち)鳩の歩みをもって近づく超人、そして『永劫回帰』といったニーチェ的な形象が必要だった。」p105(7)

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tak

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