女性の心を落ち着かせる言葉

ベートーベンを乗り越えたリヒャルト・ワーグナー|女性の心を癒すオキシトシンを増やすパサージュ

投稿日:2017年12月19日 更新日:

ひとつであることを求めるベートーベンを乗り越えたワーグナーで女性の心を癒すオキシトシンをパサージュ

・ヴァーグナー 西洋近代の黄昏;樋口裕一ー春秋社

*中世よりバッハまで

鏡は泥濘(でいねい)に映し出す
そこで諸君はその鏡を非難しようというんだ!
それより水溜りをこさえておくような大道をとがめたまえ(『赤と黒』より)

中世の芸術とルネサンス以降の芸術

・中世美術はどれも同じ構図ばかり
「ルーブル美術館などのヨーロッパの施設をのぞきながら、いつも感じることがある・・中世絵画の展示場に入る・・ルネサンス以降の絵を見慣れた目には、プリミティブな手法で描かれたキリスト磔刑(たっけい)図やマリア像は新鮮に映る・・中世芸術の魅力に圧倒される・・中世美術の部屋を見て歩くうち、どれも同じような構図で同じような題材の絵ばかりだということに気づかざるを得ない・・だんだんと飽きてきて、部屋を出るころには、別の時代の絵を見たい気持ちになっている・・テレビやFM放送でグレゴリオ聖歌を聴いたことがある・・グレゴリオ聖歌というのは、中世に修道院などで演奏された音楽の総称・・これらを聴くと心が洗われ、敬虔(けいけん)な心持ちになり、音楽の原点に触れた気分になる・・そこで、レコードショップで安売りの10枚組のグレゴリオ聖歌のCDを購入し、とりあえず全部聴いてみた・・初めのうちは、その美しさ、その単純さの中にある信仰心に感動した・・いくら聴いても、同じような曲が続くばかり・・少なくとも素人の耳には曲の識別ができるようにならなかった・・声の編成に多少の差異があるだけで、ほとんどが同じような曲に聞こえる・・」p3(1)

・なぜ中世の芸術は単調で退屈なのか
「ルネサンス以降の美術やバロック以降の音楽は、現代人にも普遍的に訴える力がある・・レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの絵画、ヴィヴァルディやバッハ、ヘンデルの音楽は今では多くの人を感動させ、たくさんのファンを持っている・・なぜ中世の芸術は単調で退屈なのか・・ルネサンス以降の芸術は、私たち現代人を感動させる力を持つのか・・そこにはテクニックの問題がある・・中世においては、器具を含めて、さまざまな技術が未発達だった・・子どもの描く絵や音楽が単調で退屈なのと同じこと・・私はそこにも大きな問題がある・・その場合のキーワードとなるのが、『ひとつであること』という問題だと私は考える・・」p4(11)

*遠近法の意味

「中世の絵画とルネサンス絵画の技法上の最大の特徴は、言うまでもなく遠近法である・・遠近法は、15世紀のはじめに建築家ブルネレスキが発見したといわれる・・その後、理論化され、実体化されて、多くのルネサンス絵画にこの技法が用いられた・・ダ・ヴィンチの『モナリザ』や『最後の晩餐』は15世紀末ごろの作だが、ここにももちろん遠近法が用いられている・・この技法によって、遠くのものと近くのものを明確に描き分けることができるようになり、立体的な風景をリアルに描けるようになった・・それが現代に通用する芸術を生み出したと言えるだろう・・」p5(7)

・遠近法の意義は主体と客体の関係性の変化
「遠近法の用いられていない中世の絵画は、主体と客体の距離が一定だと言ってよかろう・・キリスト磔刑図・・どの絵も、中心にイエス・キリストがいる・・まさしく、聖なる対象が中心に存在し、それを基準として全体が成り立ってる・・人間の視点が神によって規定され、自由に視点を移すことができず、自由に対象を見ることができないことを示している・・ここには見る者の視点がない・・人間の視点がない・・見るべき位置が固定化され、中心に聖なるものが位置するように前もって定められている・・」p5(14)

・ルネサンス以降の遠近法が用いられた絵画
「ルネサンス以降の遠近法が用いられた絵画は、世界に人間の視野が加わったことを意味する・・ここに描かれるのは、聖なる存在が無前提に中心を占める世界ではない・・世界を見る人間が存在し、そこから見た世界が再構築されている・・人間の見た世界が描かれているのである・・」p6(6)

・遠近法は空間に中心と周縁が出てきたことを意味する
「遠近法によって、人間は自分の世界に描きたい対象を選び、それを中心にしてひとつのまとまった世界を作り出すことができる・・対象の中の一部を中心にし、それ以外を背景として、あるいは付属的な存在として周縁に追いやることができるようになったのである・・絵画は遠近法を発明することによって、神によって成り立っている『ひとつである世界を描くもの』から、人間の視点によって『統一世界を作り出すもの』へと変化したのである・・」p6(10)

遠近法の発明;神による『ひとつである世界を描くもの』から人間の視点である『統一世界を作り出すもの』に変化した。

音楽におけるホモフォニー

「グレゴリオ聖歌の時代は『モノフォニー』・・一人で伴奏をなしで歌う技法と並んで『ポリフォニー』・・主旋律と伴奏の区別がなく、いくつかの声部が独立したメロディーを奏で、声部の絡み合いによって音楽を作る技法が用いられていた・・キャンプで歌われる『カエルの歌』の輪唱は、ポリフォニーの例と言ってよいだろう・・この歌の場合、いくつかの声部がそれぞれ別の音を出して歌っている・・この歌は、私たちが慣れている歌とは異なっている・・」p7(2)

・慣れ親しんでいる音楽の形は『ホモフォニー』
「私たちがもっとも慣れているのは、誰かがメインの旋律を歌い、ほかの人やほかの楽器がそれを伴奏する形の音楽・・これを『ホモフォニー』と呼ばれる・・現在では、クラシックばかりでなく、童謡も演歌もポップスも、基本的にはホモフォニーが基本と言えるだろう・・」p7(8)

・『ホモフォニー』よりも『ポリフォニー』の方が古くから存在
「輪唱のようなポリフォニーの音楽のほうが・・現在歌われているようなホモフォニーの音楽よりも古い時代に盛んだった・・私たちがごく自然のものと考えている、主旋律と伴奏という音楽のあり方は、必ずしも普遍的で自然発生的なものではなく、西洋の歴史の中で17世紀末ころから徐々に形作られていた音楽形式だった・・」p7(12)

・バッハの時代まで、ポリフォニーの音楽が中心
「バッハ作曲の『フーガの技法』などは典型的なポリフォニーの音楽・・多声部から成るミサ曲や合奏曲の中にも、単旋律に伴奏をつけた形ではなく、いくつかの楽器がそれぞれ別のメロディを奏でる曲が見受けられる・・ちょうどバッハの時代のころから、それまでのポリフォニーに加えて、ホモフォニーの音楽が増えてきたのだった・・」p8(2)

・ポリフォニーと遠近法の共通点
「この手法によって、『近景=主旋律』と『遠景=伴奏』の区別ができあがる・・人は、近景を注視するように、主旋律を中心的なものを成り立たせるための脇役として存在する・・こうして、近くのものが大きく見えたり聞こえたりし、遠くのものが小さく見えたり聞こえたりするという、人間の本来持っている視点、聴点に近づいたとも言えるだろう・・」p8(7)

・遠近法によって神中心から人間中心の音楽が発展
「主旋律と反伴奏の区別ができることによって、それまで『神中心』の世界しか歌えなかった音楽が、『人間の感情』を強烈に歌い上げることが可能になった・・人間は、自分の思いを単旋律で歌う・・伴奏がそれを強調し、人間の思いをいっそうリアルで強烈なものにする・・『カエルの歌』のようなポリフォニー音楽では、どれが主役なのかわからず、それぞれの声部が独立して同時に歌われるために、自分の感情wpぶつけることはかなわない・・」p8(13)

・美術では遠近法、音楽ではホモフォニーが近代的表現
「時代的には、遠近法の発明とホモフォニーの興隆には二百年以上の差・・バッハの『フーガの技法』などのポリフォニーの音楽は、ホモフォニーの音楽よりも複雑で精緻(せいち)な面があるので、中世の遠近法のない、幼稚な印象を与える絵画と同一視できない・・ハイドン以降、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーなどにはポリフォニーのテクニックをしばしば用いる傾向がある・・美術における遠近法、音楽の世界におけるホモフォニーがともに、近代になって圧倒的な主流になったこと・・近代の表現を豊かなものにしたこと・・これらこそが近代の表現を特徴づけるものであったことは間違いない・・」p9(2)

デカルトの二元論

・美術の遠近法と音楽のホモフォニーは何の変化があったのか
「何が起こったのか・・どのような認識の変化によって、美術の世界で遠近法が初発明され、音楽世界でホモフォニーが発達したのか・・そこで人類の思考の変化はないのか・・それを説明してくれるのがデカルト(1596〜1650)・・デカルトの思想・・デカルト以前、この世界の物質や出来事はすべて神が創ったものであり、神の理念の表れとみなされていた・・人間は神のために存在し、神という霊魂が物質を作り出していると誰もが考えていた・・『聖書』に示されるように、絶対神がはじめに天と地を創り、光を創り、、人間が創ったとされていた・・」p9(11)

・デカルトの世界の見方は二つの別のものとする
「デカルトは、世界は『延長』という特徴を持ち、計量化できる物質の世界と、科学によって計量化できない精神の世界の二つから成っていると考える・・このように世界を、『物質と精神』という『二つの別のもの』から成っており、両者は無関係に存在していると考える・・現在、私たちが考えているような世界観に近い考えを持ち始めたと言ってもいいだろう・・」p10(5)

・デカルトの考えの注目点『われ思う、ゆえにわれあり』
「デカルトは人間の感覚を疑う・・目も耳も事実も誤って認識することがある・・眼に見えるからといって本当に存在するとは限らない・・不確実なものをすべて疑ってたどり着いたのが、『われ思う、ゆえにわれあり』(コギト・エルゴ・スム)という確信だった・・」p10(10)

・理性的に物事を思惟する我こそが世界を観察
「『考えている自分だけは、確実に存在する。理性という神に与えられたものによって、世界について考える。だからこそ、自分は存在し、その理性によって検証される世界は存在する』ということになろう・・理性的に物事を思惟する我こそが世界を観察し、世界を把握する主体だという理念にほかならない・・」p10(15)

・デカルトの時代は自我が世界を捉えようとした
「デカルトの時代になって、世界は”物質と精神"から成っているとみなされるだけでなく、世界を認識するものとして、”自我”が主体とみなされるようになったということ・・それまで世界の主体は神だった・・世界の中心に神が存在し、神を中心に世界が広がっていた・・すべてが神のもとに確固として秩序正しく存在していた・・何が起ころうと、それは神の思し召しであり、永遠に安定していた・・天変地異があったとしても、理不尽な不幸に襲われたとしても、それは神の試錬であって、神の現れにほかならなかった・・」p11(6)

・デカルトの宣言;世界を物質と精神に分けた
「世界を物質と人間の精神に分け・・人間の精神こそが世界の主人ななった・・かつて<神>が占めていた位置に、<自我>が存在する・・かつて神が世界のすべてをコントロールしていたのと同じように、自我が自分の世界の中心に存在して、理性によって自分の世界のすべてをコントロールする・・個人個人が、自分の自我を中心とする世界をもち、その主人として振舞うようになった・・」p11(12)

・世界の変化;無前提に神から人間の認識へ
「人間こそが、個人こそが、世界の統一を認識する存在となった・・世界は、かつてのような無前提に神によって統一がなされ、それが人間に認識されるのではない・・人間が認識して初めて、統一ある存在として現前する・・個人が、<世界の統一を認識する>存在になったことと、個人が<世界の統一を作り出す>ことには、まだ距離がある・・その後、ヴァーグナーに時代が近づくにつれ、世界はそのままでは統一をもつものではなく、人間が無理やり、統一をもたらすものになっていく・・ヴァーグナーの後には・・その人為的な統一さえも失われていく・・」p11(17)

*デカルト思想と芸術

・デカルトの二元論と遠近法やホモフォニーの共通点
「同時に、ここに『ひとつであること』の問題が横たわっていることにも気づかされる・・かつては、神を中心とする一元的な世界・・そこには人間としての視点はなく、すべてが神によって成り立つ世界にほかならなかった・・神を中心とした統一世界が成り立っていた・・そこには人間は必要なかった・・人間なしに存在する世界・・徐々に神は絶対的な存在ではなくなり、人間の意識が拡大する・・それとともに、人間の視点が加わった・・」p12(10)

・一元的から二元化された世界
「一元的な世界に亀裂が入り、二元化された・・世界は神によって創られた一元的な世界ではなくなった・・人間が世界を成り立たせる一方の主役になる・・人間が考え、見ることによって初めて世界は成り立つことになった・・人間が主役に躍り出て、人間が世界を成り立たせていると人々は感じるようになった・・個人が理性によって世界を成り立たせている・・個人が自分の目によって世界を見ている・・個人が自分の声で自分の感情を歌うようになる・・」p13(2)

・一元的なころ現代人が感動する芸術は生まれなかった
「世界が神を中心とした一元的な存在であったころには、現代人が心を動かすような芸術は生まれなかった・・一元的な世界に亀裂が入り、人間の視点が加わることによって、多くの人を感動させる芸術が生まれたのである・・」p13(9)

*背景にある政治状況

・精神史の背景の経済・政治の変化
「ヨーロッパの中世は封建社会であり、庶民は基本的に農奴・・農奴には移動の自由がなく、個人の意思は持てず、人権意識も弱かった・・農奴は封建領主の領地の中で生産を行っていた・・農機具が改良されるにしたがって、生産が上がっていった・・生産のほとんどは領主のものだったが、農奴が自由にできる生産物も含まれていた・・人々は余った生産物をほかのものと交換したり、商品として売ったりするようになった・・こうして、商品の流通が行われ、貨幣が発達し、経済の自由度が高まっていた・・同時に、領地からの人口流出が起こり、徐々に形成されていった、それにしたがって、人々は個人意識を持つようになった・・」p14(3)

・この頃神がピラミッドの最上位
「この時代、神をピラミッドの最上位にし、神の名の下に国王が国を支配し、領主たち領土を支配していた・・庶民は、神の名によって世界を支配する国王や領主を崇拝し、それらに従属して生きていた・・だんだんと個人意識が強まるとはいえ、そうした枠組みの中で生きていた・・」p14(11)

・庶民の心の支えは教会だった
「精神面で支えていたのが、教会だった・・教会は国王や領主と結びつき、農奴としての民衆の精神面を支えていた・・言い換えれば、支配していた・・中世のような信仰中心の世界ではないにせよ、ほとんどの人が信じ、何事かがあるごとに神を祈って暮らしていた・・」p14(15)

・この頃個人意識が芽生えた
「そうした政治経済情勢の中で、個人意識が芽生え、徐々に神中心の世界から、個人意識の含まれた世界観へと変貌していった・・徐々に自然科学が発達し、自然法則が明らかにされていく・・世界の動きは神の摂理ではなく、きわめて即物的な自然法則によるものであることが明らかになっていく・・」p15(1)

・世界は人間が認識して存在する
「それと同時に、世界は独立して存在するものではなく、人間によって認識されてこそ、統一体として存在することが明らかになっていったのである・・」p15(5)

 

 


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tak

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