女性の心を落ち着かせる言葉

美学シュタイナーの神秘性で女性の心の疲れとストレスを無意識の世界でパサージュ

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美学シュタイナーの神秘性で女性の心の疲れをストレスを取るために無意識へパサージュ

Steiner-philosophy

驚くべき美学シュタイナーの神秘性


・神秘学入門;高橋巌ー筑摩書房

*美学者シュタイナー

・ルドルフ・シュタイナー(1861-1925年)
「20世紀最大の神秘学者・・20世紀という限定をつけた意味は・・実に誠実な態度で、20世紀の精神的状況、そこに発するさまざまな社会的、文化的な問題に応えようとしている・・シュタイナーが私にとって偉大なのは、現代の諸問題に具体的な解答を与えたからではなく、私などが到底思い至ることができないような・・従来の学問からではまともに取り組めないような本質問題、死後の生活、輪廻転生、霊界のヒエラルキア、魂と生命の関係、悪の本質、などなどに光を当て、それを身近な問題にしてくれたからなのです・・」p131(1)

・シュタイナーの学問は他分野で多くの問題を提起した
「シュタイナーは、科学、芸術、宗教、政治・・教育、医療、農法などの諸分野において、多くの問題を提起・・内面世界の中の廃墟しか残らなくなってしまったような、現代人の魂の在りようが何に由来するのかをも、明らかにしようとしました・・彼は魂のこの現状から出発して、物質的現実、精神的現実に積極的に関わっていくための道筋を、『人智学』と彼が名づけた認識の方法によって、示してくれました・・シュタイナーを知ることで・・シュタイナーの思想によって求道者になることはできるのです・・」p132(1)

・『若きシュタイナーとその時代』での取り組み
「私は以前、『若きシュタイナーとその時代』(平河出版社)の中で、そうしたシュタイナー自身の内面の成長過程をあとづけてみようとしたことがありました・・美学という特定の、限られた角度から、シュタイナーの思想の営為を見ながら、現代における神秘学の課題を考えようと思う・・」p132(8)

・シュタイナーの生きた痕跡とエピソード
「シュタイナーは、10代の終りから20代の初めにかけて、二人の偉大な指導者に出会ったそうです・・ひとりはウィーンの町に近郊の山村から薬草を売りに来ていたコグツキーという人物で、若きシュタイナーは通学の電車の中でこの人と知り合い、一緒に行って岩石や植物の見方を学び、また神秘学への関心を呼びさまされました・・もうひとりの人物の名は知られていませんが、ウィーンに在住して、シュタイナーをばら十字学に結びつけたがそうです・・この人物は、神秘学の基礎づけのためにフィヒテの哲学を学ぶように・・近代自然科学の方法にも通じておくように、と教えました・・神秘学との関連で言えば、この二人の他にも、神智学者でブルックナーやフーゴー・ヴォルフとも親しかったフリードリヒ・エクシュタインは、ちょうどエミール・シンクレールにとってのピストーリウスのような役割を、シュタイナーに対して演じました・・シュタイナーは、ゲーテの自然科学を研究するようにすすめてくれたゲーテ学者カール・ユリウス・シュレーアを特別深く尊敬して、従事し、その薫陶(くんとう)を受けました・・ウィーン工科大学在学中は、熱力学を研究のテーマにしていたそうです・・」p132(13)

・シュタイナーの20代後半の夢『美学者になろうと思う』
「1888年、27歳のときに、ウィーンで『新しい美学の父ゲーテ』というすばらしい講演をしました・・その後ワイマールの移住して、『ゲーテ・シラー文庫』という、ゲーテとシラーに関する資料の宝庫のようなところで、ゲーテの遺稿を一つひとつ念入りに調べながら『ソフィー版ゲーテ全集』という。もっとも完全なゲーテ全集の自然科学部門の編集を担当し、当時としては画期的な解説を書きました・・この貴重な体験は・・シュレーア教授の推挙によって可能になった・・その頃、イエナ大学の美学の講師に推薦されたのですが、結局実現せず、ベルリンに移ってからは、文芸関係のジャーナリストとして活躍しました・・シュタイナーの思想を晩年まで辿っていきますと、その基本には、美に対する深い思索が生きています・・それが『教育芸術』になったり、オイリュトミーになったり、色彩論、建築、有機農法、社会有機大論等々になるのですが、いつも基礎にあるのは、美的な態度なのです・・」p134(12)

・美学の日本の学問での研究
「美学は、日本でも明治以降、アカデミックな学問の一分野として、さかんに研究されてきましたが、ご承知のとおり、芸術についての思索が始まったのは、ギリシアのアリストテレスからです・・特にギリシアの悲劇について論じたアリストテレスの文章が残っており、その翻訳からは岩波文庫の『詩学』として出ています・・ヨーロッパの中世になりますと、美学という形ではありませんけれども、宗教論の中の光の思想がいろいろな形で出てきます・・」p134(9)

・美学と人物;スコトゥス・エリウゲナ
「スコトゥス・エリウゲナ(810頃ー877以降)という新プラトン派のキリスト教学者は、人間の見る力はもともと光であって、心臓のあたりの熱から発して、それが頭の方に流れ込み、目に流れ込んでくると、それが一瞬にして太陽から流れ込んでくる光と結びついて、見るという働きを起こす、という考え方をしています・・人間の中の光と太陽から来る光との結びつきの中で、見るという行為がなされている、という・・宇宙の万象を照らし出す光と、人間の内部から発してくる認識の光とが同質であるが故に、見るという行為が成り立つ、と論じているのです・・」p135(15)

・ヨーロッパの美学はルネサンス期まで一貫している
「美学思想は、ギリシア哲学からイタリア・ルネサンスまで一貫しており、同じ性質のものであるからこそ、同じ性質のものが理解できるのだ、という立場に立っています・・人間が光を見ることができるのは、人間の中に光と同じものがあって、それが互いに感応し合って、見るという行為が成り立っている、というのです・・外の世界に色があれば人間の中にも色があって、その色と色との感応の中で、色彩体験が成り立つわけです・・宇宙には秩序があり、人間には思考があって、この二つが同質のものだから、人間の思考の働きで世界が認識できる、という立場は、ギリシア哲学以来一貫した考え方であり、その流れの中に美学の思想もあるのです・・」p136(7)

・シュタイナーの美学は根底を覆す美学概念
「若きシュタイナーの『新しい美学の父ゲーテ』という講演録を読んでみますと、ギリシア哲学風の美学論とはちがって、美学という学問は、人間と自然とが乖離(かいり)し、不調和な状態になってしまったときに初めて起こった新しい学問であり、近代の生んだ最も近代的な学問である、という・・シュタイナーは大胆にも、古代、中世には、まだ美学が存在していなかった、と述べています・・」p136(15)

・美学史としての創始者を乗り越えたシュタイナー
「一般には、18世紀のバウムガルテンやヴィンケルマンのような人が近代美学の創始者だと言われています・・バウムガルテンは『美学』という二巻本を書き、独立した学問分野としての美学を基礎づけたのですが、シュタイナーは、バウムガルテンが「美学』を書かざるを得なかったのは、外の世界と内の世界の関係をあらためて問い直すためであり、そのためには美学という学問が生じた、と考え、その観点から自分の美学を語り始めるのです・・」p137(6)

・27歳のシュタイナーの美学の展開;仮想現実の方がリアルな現実
「27歳シュタイナーがどういう美学を展開したのかと言いますと、これが非常に現代的・・この頃よく、バーチャル・リアリティと言います・・日常の現実に対して第二の現実、仮想の現実というものがあって、そのバーチャル・リアリティが本来のリアリティよりもリアリティの度合いを深めていくところに、今置かれているポストモダン的な文化状況の特徴がある、と言われています・・テレビとか映画の映像文化の世界、またはコンピューターのような電子技術を使って、現実にはそこに居合わせていない者同士でも、あたかもそこに一緒にいるかのように、コミュニケーションを交わすことのできるような現実世界、あるいは三次元的、立体的な映像によって、本来の現実とはまったく同等か、あるいはもっとリアルな体験を持つことのできるように用意された仮象の世界、それがバーチャル・リアリティの世界です・・」p137(11)

・シュタイナーの美学;美学の対象は仮象の世界
「すべて物質的な現実の世界は、感覚によって受け取られる世界・・目を開き、耳を傾けて、外からの印象を受け取りますと、その受け取った印象は、有無を言わせず、外から作用してきます・・それはひとつの必然的な働き・・それに対して、理性は、外から入ってくる印象を秩序づけ、意味づけ、内側から整理しようとします・・この理性の働きは、理論を基本とするので、そこにも論理的な必然性が支配しています・・外からの必然性と、内からの論理的必然性との中間にあって、その中間の地点で人間の望む新しい秩序の世界を、まったく自由に作り上げるところに芸術の世界があるので、美の世界は基本的に仮象の現実なのだ、という・・日常の現実には必然性がつきまといますが、仮象の世界では想像力が解放されて、自由に発展します・・その自由を現実のものにするために美がある、とシュタイナーは強調するのです・・」p138(7)

・シュタイナーの美学;日常的な現実には制約される必然性がある
「真っ白なキャンバスの前に立つ画家が、その白いキャンバスに何を描くかは、まったく画家の自由・・日常の現実から考えると、その絵をいくらぐらいで買ってもらえるとか、絵の具代がいくらかかるとかといった問題が必然的、強制的に、自分に制限を加えてきます・・それにも拘わらず(かかわらず)、そういうことを一切忘れて、純粋にキャンバスに向き合った画家は、仮象の世界の中で自由である自分を体験できる、という・・これは創作者にも鑑賞者にも言えること・・その自由は、はじめから与えられているのではなく、自分で体験するしかありません・・その自由が体験できたとき、その仮象の世界が美の世界になるのです・・自分の中の自由を体験しようとする人は、この意味での美の世界と結びつかざるを得ません・・私たちはその美の世界に遊びます・・」p139(2)

・シラー;美的な態度
「美的な態度は、基本的に、遊戯衝動によって成り立つ・・シラーは、『人間は遊ぶかぎりにおいて人間であり、人間であるかぎり遊び続ける』、と『人間の美的教育に関する書簡』で論じています・・画家青木繁も、この説をエドゥアルド・フォン・ハルトマンの美学の中に見出して非常に共鳴し、美的仮象についてのエッセイを書いています・・」p139(11)

・神秘学徒でなかった頃のシュタイナーの美学
「シュタイナーの問題意識を要約してみると、20代の頃にはすでに、現代は、主観と客観、内とか外が分裂し、対立している、この両者を再び統合するための道を探究しないと、認識の問題は解決しない、という、一元論の立場に立っていたのです・・その立場から、いろいろな学問分野で研究し、最後には人智学運動という社会運動を展開しました・・」p140(1)

『人間は遊ぶかぎりにおいて人間であり、人間であるかぎり遊び続ける』シラー

シュタイナーが感じる真・善・美

・シュタイナーの40代から神智学が始まる
「シュタイナーが40代になり、今までの『個体的アナーキズム』の立場からの評論活動をやめて、神智学の流れに身を置いた時点で、最初に書いたのが、『神智学ー超感覚的世界の認識と人間の本質への導き』(1904年)・・この『神智学』を読んでみますと、そこに40代のシュタイナーの美学思想が見え隠れしています・・」p141(1)

・シュタイナー『神智学』の構成
「『神智学』は大きく分けて三部あるいは四部から成り立っていて、最初に、人間の本質は、従来言われている肉体と魂の二つからではなく、体、魂、霊の三つから成り立っているという、人間の本質を論じた部分があり、次に輪廻転生の意味づけを行った第二部、それから第三部として宇宙全体の秩序と人間存在の秩序・・マクロコスモスとミクロコスモスの関係を論じています・・最後に、『認識の小道』という付録がついています・・この最後のところでは、霊的な問題に具体的に関わるために道筋が論じられています・・」p141(7)

本サイトは、女性が参加する実践的哲学を行なって、女性であるあなたが気づいていない自分の好きなこと探し出します。

美しい女性 女性哲学自分磨き

*本サイトは、実践的哲学を女性が行なえる空間です。
西洋哲学をつうじて、今日までの社会構造に合わないで歪ませている自己に気づいてもらえるように、さまざまな文献引用であるパサージュ集と、本サイトが記述させていただいているエクリチュールという言語出力形式で綴って(つづって)います。これらを見て頂くだけで、固まっていた思考につながる神経系は緩みをもち、神経系は自然反応で興奮し、もともとの根本的機能である自分という内部の素材を探しだす運動が高まります。
これが、前述してきました知覚運動といいます。
文献引用をしたり、本記事のようなエクリチュールを見ていただくなかで、本サイトはなにを言おうとしているのかは、日常的な現象を観察するところから生まれた哲学的な要素であることです。
西洋哲学の文献引用は、そこから得られるたくさんの知恵もありますが、それはあくまでもあなた自身が社会構造に不適切な影響を受け、思考がとまっている内部の状態に気づいていくための、素直なパサージュ(経由)であるのです。

問いかけは、何度でもかまいません。
ネットを使ってのパロールの解除から社会構造の断絶。
そこからエクリチュールの知覚発生。
感じたことを表現したくなる欲求の運動の感覚の実感。
エクリチュールで自己表現し、自分に気づき、ひとりで過ごす時間を充実させる。
今度は、実際に対面してひとに会いたいという欲求の表出。
そこからはさらにエロティシズムという至高性という最高位のひとの活動である精神性と芸術性に。
そこまでいけば、本サイト運営にかかわるひととの対面から、パロールによって再起動へ。
すべては女性のビジョンの発掘と、女性の幸福のために概念化のため。

*実践的哲学

これは女性のために立ち上げられた日常的に行なえる手軽な哲学の実践。
西洋哲学をパサージュ(経由)して、西洋が到達できなかった哲学的実践をたどり、まだ途中となっている本質の追求を引き継いだのが実践的哲学を運営する本サイト。このサイトは成長、発展のさいちゅうであると理解しており、多くの女性よりは少し前進する位置で研究や研鑽(けんさん)を行ない、女性がわかりやすく生きれるように導いていくのが本サイトの目的。
今日までの男性社会が主導権を握っていた社会構造はますます弱体されていて、それが見えてきているのが、お金がすべてだという強い権威志向でなっている。
そんな世界に女性がいると、女性もそれに巻きこまれてしまって、せっかくの女性の感性や感覚という機能が磨けなくなり、女性が生きることの活動のための根幹にある身体には、唯一のビジョンを探し出そうとしているのに、脳のなかがそれに応じるシステムでなくなっていて、それを解除して新しくするのが、実践的哲学。女性のための哲学である。

*実践的哲学の基礎知識

実践的哲学とは、2017年に発動した女性専用の哲学サイトであります。
社会構造は依然として昔に回帰する保守(ほしゅ)という方向が強くなってきているなかで、女性をとりまく労働条件は見た目の制度は表現には正当なものをつくりだしてきていますが、現実はそうではありません。
それをいち早く予期した本サイトは、女性の脳のなかを縛っている価値意識を神経系の運動を入力することで運動で日常的に学習されてしまった女性の感性や感覚を抑制を解除しようという実践をおこなっております。
そのためには、何度も現状の社会構造についての記述(エクリチュール)をこちらから発信し、それを見ていただきます。
そして、女性の構造というのはありのままの形象から見て、本当はもっと感性が豊かで感覚が優れているのですよ、というどこからも否定できない事実に目を向けていただき、自分を知ってもらい、女性がもつ女性という構造的にそれだけの潜在性があるんだということに感覚で見直し、それが自己の初期化になって、一から生に意思を与えようということをおこなっております。
日常的に女性はよく他者とお話をするものですが、それは日常的な時事から離れたところから自分や他者を見つめたうえで話をしているのではないのです。
それでは感性や感覚が磨かれるはずはありません。それを本サイトは、集団から女性を切り離し(断絶)し、徹底して個の状態にします。そうして、女性の神経系に運動を繰り返し与え、それを何度も反復すれば、女性からみた現実の空間というのは、いま知っている現実界とは全然違っているものであることに驚きをかくせないでしょう。

*哲学を実践するとは

哲学というのはいまを否定し、未来を直接見るために現状のものの見方に運動を与え、そこからリセットさせ、一から神経系の運動を生成させる実践です。

実践的哲学用語

*知覚とは?
本サイトが実践的哲学を行なうことで興奮するのが知覚と定めている。もっとも女性のなかの根底にあって、微細なエネルギーであるのに、身体や心の端から端へと末梢という皮膚と筋肉のあいだの毛細血管の反応をよくする器官としている。知覚は医学的には神経系の感覚が脳の感覚野という連合作用をつくるもので、無意識的とされているが、本サイトでは西洋哲学と精神分析者であるフロイトとラカンをパサージュ(経由)し、知覚は胎児期から出生時に起こされたどこにもつながらないで起動した根底の運動だと考えている。

1,自己内の神経系が末梢に伝達するリズムが失われてそれを探している

2,自分のリズムを失われていったため、頼るものがなくなり、それが発達時の周囲のおとなに合わせていった喪失感

3,社会がつくった人工的な不安という認識に追いかけてもどこにもなく、自分は不安だから人間関係や仕事、家族との関係を断ち切れないとする誤作動の疲れ

4,本質的にもっている身体のリズムを探したいのに探せない焦りと不完全な感覚。自分らしく生きようとしても手がかりがなく諦めてしまう自分への嫌悪感

*実践的哲学;禁止を侵犯するエロティシズム
実践的哲学では、エクリチュールのフィールドで思考に運動を与え、見てはいけないところだとか、いつもなら思ってしまうと仕事をしていくうえで、それが集団生活においての都合上での弊害がうまれるために、思考を停止させている領域。そこに運動を与え、運動を促していき、いつもなら見えないところをともに見ていこうとする実践である。思ってはいけないというのは、人間には基本的人権を尊重され、思想の自由が保障されているのにそれができないのは自由ではない。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して脳のなかの大枠として外延に安定をあたえておいてから、思考に運動をさせていく。知らないことを知るように、考えてはいけないのに考えてしまうのは禁止という事項を壊すという侵犯がうまれ、社会に規定された認識ばかりが脳を支配して、自由を抑制されていた神経系を快楽にもっていけて、神経系の運動の起点を作り出せる。これを実践的哲学ではエロティシズムという。

本サイトでは、エクリチュールのなかに、なんども自然発生されたテーゼを重ねていき、西洋の表現をすれば、ランダムに言語を出力させていくことで、規則性が見えなくなり、あなたの脳のなかは体系となっていた一連の非哲学からの非運動は気づきに変わっていくのです。
規則性が見えなくなると、エクリチュールのなかで、どこかでそれが出てきたなと読解された非規則な言語はより意味をはく奪されて、意味の失われた言語は記号となっていきます。
あなたは本サイトのエクリチュールは、言語を記号にしていき、脳のなかの痕跡に近づけ、最高の神経系のパフォーマンスを生むための興奮という作用を生み出していく実践

実践的哲学をするとは;人間として生きるのは社会が規定した人間で非哲学。人間として生きるならいまから10年経っても20年経ってもおなじ現実ができあがる。なぜならそれは非哲学だから。非哲学とは、いまをおなじまま保存する脳の記憶を揺るがせないようにするため。生命力は低下し、社会に依存する人間を大量生産する。面白くない生きる時間をつくるが、それにはだれも気づかない。実践的哲学が浸透すれば、哲学的な人間からひとへと脱構築されるため、人間はひとをみて悔いを残す。あなたは生きることをすべての出しきって生きるので実践的哲学でひとになり、人間をみてほほえむだろう。

*実践的哲学から見た脳のお話
実践的哲学では女性の心を探しだすために、身体を中心において身体から哲学を作りだします。それは、目的は心というものを知るのと同時に心が単なる想像的な枠組みの構造であることを知るためです。心というのは存在しておらず、幻想的なところで、女性にとっては神秘性もあれば、自分の嫌なところが性質や性格にあると思っているのなら、心に嫌な部分があると思ってしまうこともあるでしょう。それを実践的哲学で女性のあなたの脳の神経系の運動を実際に使い、そこからの反応を待つというのが実践的哲学です。哲学とは言語によってあなたにかかわり、問いかけをして心をつうじる実態のある運動なのですが、心はいま申したように実践的哲学をすれば、心は存在しないことに気づきます。心は精神という言語を入力したあとに、自分の想像的な言語出力で残される空間である精神という地点にあります。それらを説いていくと、ひとという構造が見えてきて、生がこの地球上でなにを求めているのを知ることができ、あとはそれに向けて生きていけば、女性においては個体が求める幸福にたどり着くことができるのです。実践的哲学は構造をとらえていく実践です。脳のなかもつうじていき、大脳皮質が強い認識でそこが司令塔となって生きていると思ってきたいままでの生き方を修正します。大脳皮質よりも下層にある無意識的な運動を行なっているところにほんとうのあなたの生についての情報が隠されています。それを追いかけていくために、実践的哲学は大脳皮質やその下層の皮質下という領域まで入っていくことができるようになります。

*大脳皮質と皮質下のシステム
大脳皮質は皮質下の神経系の伝達でえた一部の情報を過去の認定された情報とすこし照合して判断します。それが適切かどうかをすこしだけ考えてくれて、またおなじ情報に戻すという連合される機構があります。ひととしての構造は大脳皮質がサブシステムで皮質下がメインシステムでありますが、人間像と学習された知識がこのシステムを狂わせるのです。多くのひとは人間でいなければならないと思って皮質下の感覚的情報を無視して、大脳皮質でえられた一面的な情報の連合を信じて、それが自分だと思ったり、そこから見えている世界が現実の世界だと思いこんだりします。皮質下をメインシステムの戻すのが、実践的哲学の目的であります。皮質下というのは、生存欲求が起こる脳幹、情動や感情が出力される辺縁系、身体感覚の中心である脳幹網様体の姿勢制御のスイッチなどが入っていて、皮質下を実践的哲学でメインシステムにできたなら、感覚的な作用を感覚レベルで連合することができ、生きることを意識できるようになっていきます。

*実践的哲学をするとシンプルに生きていける
実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して、古代ギリシャから始まったとされる哲学、宗教、科学を総体的にとらえて、女性の内面的な感性の豊かさにより運動を与えつつ、社会は大脳皮質での認識で物事をとらえようとして、女性の感性はその下層の脳の部位である皮質下の運動が活発さから、女性は自己について曖昧さをもち続けています。いつもなんとなく生きていたり、社会に自分の弱さが結びついた女性なら大脳皮質を無理に使用して、生きることを社会の外化されたままの自分を受け入れています。仕事がすべて、結婚がすべて、子どもがすべて、趣味がすべてなどというような、いかにもという偽装されたスタイルは、冷静に他者がみたらわかるぐらいの違和感ですが、曖昧さを抱えている女性はひとりからふたり以上の女性が集まると日ごろの曖昧さの葛藤からパロール(話し言葉)をくりかえして、自分を急速に満たしていくという行為をくりかえしていきます。これは反復という原理で、生は自由に生きたいと欲する真の運動と死は禁欲により自分を抑えることで自分は世界で成り立ってるというような二面性がぶつかりあっているのです。曖昧さを満たすのが死に向かっていく反復で、満たされたような錯覚が心地よくてやめられないというのが生の反復となります。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュして、体系的なところに立っていただき、そこから自由に運動する内面を感じては、女性が自分の自己像の思い違いを修正し、生に意思が入りこめるところまで、かかわっていこうとするものです。そこまでの神経系の運動はサポートする相手がいなければできませんでした。ほんとうの自分を探したいというのは女性の衝動でありますので、女性に哲学をしてもらう機会をあたえないと、生と死の二面性による反復が、女性の曖昧さを高めるとともに、その曖昧さを満たすための集団化に終日、エネルギーを奪われてしまうのです。そのようなことを経て、自分の時間設定が一となり、いままで社会に規定されていた常識が外れると、あなたが行なっている労働である仕事についても、まっすぐに省みていけ、それがどれだけ自分には還ってこないものなのかがわかれば、あとは自分の構造から立つ上がる唯一のあなただけのビジョンを頼りにその段階では生に意思が与えられていますので、シンプルに生きていけるようになります。

実践的哲学では、すべての世の中にできている事物にたいしてテーゼ(命題)として、空間に浮かせ、そこで事象に運動を行なわせ、反応をみることができるようになり、それによってあなたという小さな個人というひとであっても、この世界中の事物は一時的に自分の脳のなかで生きていくための知恵として活かしなおせます。

パロールを抑制し、そこから反転されるエクリチュールが女性の想像力を潜在性の最高値まで促通する。そこを感じとり、女性が自己の知覚で捺印すれば、体感されていない悦楽までが内面で表象となっていく。

実践的哲学で言語の再構成を

あなたが現実社会で生きていると、これらの言語(用語)に慣れ親しむ機会はありませんし、これらは哲学の領域で西洋で使用されてきた言語で、これらを丁寧に本サイトはもう一度取りだし、現代に合わせ、言語の意味生成が導きだす方向性を社会からの発信ではなく、言語を生の状態に実践的哲学から抑制し、言語が発祥したときぐらいに沈黙に限りなく近い様態にして、活用します。

実践的哲学は体性感覚に

この体性感覚は、実践的哲学では主軸になる感覚の領域で、哲学をすると視覚や聴覚を抑制し、からだの感覚の流動に意識を向けるようにしていき、その意識は意識のなかでも無意識という無の運動です。
実践的哲学は、無を求めるために、世の中に広がってる全体性を保存している有を実態のある運動を与えてそれらを運動として動かして、塊になっていたものを外延から緩め、有を見えているところから除去するのです。

*実践的哲学でパサージュする価値

これらのパサージュは、そうやってパサージュした哲学者の一生を追いかけているような伝記をじっくりを見る必要はなく、とにかく、哲学の形式で脳の思考の運動が神経系の促通から生み出されたものをパサージュして、あなたの脳の神経系の運動のためでありますので、それらのなかで表現されているエクリチュールが重点をおきます。
そのようにすることで、西洋哲学があなたのような日本人の女性とは人種も民族も慣習も違っている哲学を実践するエクリチュールに触れることが、あなたの脳の思考の部分に差異を生み、思考の神経系が作動しやすくなっていきます。

本サイトの女性の心の疲れと不安を取るためのパサージュ集

女性読書パサージュ 女性書物パサージュ

本サイトでは、女性の心の疲れを取る、心の不安を解消する、心に癒しを与える、女性が生きていて幸福感と充足感を得られるために、西洋哲学の文献引用をし、作者の主観を外すために、読みにくい、比喩や隠喩、または文脈上のレトリックと言われる修辞学、これは雄弁術、弁証術、説得術ともいわれる記述上の技法を駆使しているため、女性は書物を読むのが難しくなってしまっているのです。それを、本サイトでは、断絶して、切り取られた文節で、タイトルをつけ、何が書かれているのかを見やすくしています。接続詞や感嘆詞、副詞を外し、主語と動詞に絞っているため、読みやすくなっています。

なぜ、本サイトでは、西洋哲学の文献引用を記述しているのかというと、日本人というのは、島国で曖昧さにより、女性のなかに潜み、隠れている自己を捻出するのが難しいからです。つまり、女性が抱えている心の疲れや心の不安は、曖昧さからきており、西洋哲学の文献引用を読み、知的欲求が抑制されているところを目覚めさせ、興奮させることによって、女性は知的さを高めると、心の不安が安定に変化するという感覚が知り得てくるからです。

その文献引用をパサージュ集と命名しています。
パサージュ集についての、コンセプトは次の記述をご覧ください。
女性の心を癒す落ちつかせるパサージュ|女性の不安を取る励ますための実践的哲学

パサージュ集は、本を読まなくなっている今世紀に重要な価値を女性であるあなたに与えることになるでしょう。
女性は、男性とは違ってホルモンの生成が年齢に関係なく豊富であり、今日まで信じられていた美意識は、性的な愛や恋に捉えれていましたが、実はそうではなく、知的欲求に性的欲求があることを本サイトが証明していっています。
女性は、知的欲求を磨くと、驚くほど、美しくなり、輝き、オーラが現れ、自己が確立して、生き方が変わっていきます。
その経験を、このパサージュ集を眺め見ることで、書物を一から読むよりも美的効果がありますので、ご期待くださいね。
パサージュ集に関して、お聞きになりたい疑問がありましたら、お気軽にご連絡ください。

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運動しなくても美しさが保てるように、皮膚接触で脳を修正し、免疫、循環から変化させるパーソナルトレーニングを実践。
趣味;読書(哲学書)街をウォーキング、温泉に入る
あなたに出会える日を楽しみにしています。
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