女性の心を落ち着かせる言葉

記号論と哲学|実践的哲学パサージュ論

投稿日:2017年9月5日 更新日:

記号論と哲学

「いいかえれば、実践(社会的実践、すなわち経済、風習、芸術など)は、"言語活動のように構造化された”意味体系とみなされているのであるから、どのような実践も、自然言語にたいする二次モデルとして、自然言語にもとづいてモデル化され、またそれをモデル化するものとして科学的に研究されうるのである。」

「まさしくこの場に、記号論が姿を現わしてくる。というよりもむしろ、目下、自らを探求しているのである。」

「記号論には知とイデオロギーの歴史のなかで、一定の場が、すなわちわれわれの見るところ、いままさに西欧文明が蒙りつつある文化の転覆過程を、記号論の言説がまるごとしるしづけるような場が指定されているのであるが、[・・・] 」

「記号論の拡張、[・・・]、記号論的方法の理論が必要[・・・]、その理論は、記号論を科学と科学の歴史のなかに位置づけ、科学理論(エピステモロジー)の探求に結び付けてくれるであろう。そして、この科学理論の探求を企てることができるのはマルクス主義をおいてほかになく、今日ルイ・アルチュセールの業績にみられるとおり、着実になされているのである。」;記号の解体学セメイオチケ、ジュリア・クリステヴァp34

:モデル形成としての記号論
「この新しい探求の定義からすでに、問題は複雑である。」

「記号という用語を導入したソシュールにとって記号学とは、一部分として含んでいるような広大な記号の科学を指すはずのものであった。」

「記号学の対象である記号がなんであれ(身振り、音、イメージなど)、記号を知るには言語をとおしてでなければ不可能であることがはっきりした。」

:記号学から言語学を定義
「言語学は、記号に関する科学の、たとえ特別な一部分とみようと、一部分ではない。記号学が、言語学の一部分であって、そこでは、ほかならぬ言説のなかの大きな意味単位が扱われることになる。」

:j.デリダ
「音韻論的モデルが、言語を超えた実践にモデルを与えようとする科学にたいして強制しかねない、科学的かつイデオロギー的な諸限定を指摘しておこう。」

「記号論は、形式的であり、モデルの産出である。」

「われわれが記号論というときに念頭においているのは、モデル、すなわち他の体系(研究される体系)の構造と同形のもしくは類似した構造をもつ形式的体系の形成ということである(しかしこの形成はまだなされていない)。」

「記号論は意味を産む諸体系の公理化として形成されるであろう。」

「しかし記号論は、科学としてのそのあり方をもっぱら言語学に依存するのではなくて、形式的科学(数学、論理学ーこれらは、形式的であることによって、言語のモデルについての広大な『科学』の一分野として存在している)からモデルを借りており、言語学は、反対に、そのモデルを採用して、自らを刷新することもできるであろう。」

「この意味で、われわれは記号論というよりもむしろ、記号的レベルについて語るとしよう。それは、意味を産む体系の公理化(形式化)レベルである。」

「意味は時間を押し黙らせながら、時間を糧に育つものだ。つまり、意味とは、パロールのなかに現動化されていないもの、記憶と呼ばれる不在の堆積物に送り返され、パロールに対立するものである。」;記号の生成論|セメイオチケJ、クリステヴァ p55,D時間的意味

「・・・現動化されていない変異体の辞項群は、もちろん意味の在庫を形づくる。・・・この在庫がよりよく整備されていればいるほど、記号の召喚は容易になる。」(S・M p169(228))

「象徴の表面上に換喩によって整理されている『実質の断片』を永続状態、持続状態に置き直すこと、それは、連辞から体系(持続を象徴の構造のなかへ委託するものである)への移行の過程でなされる。」

「時間は分析にあたって(顕在時のなかで)見失われ、抽象化(時間を必要とする)の作業においてのみ姿を見せる」(S・M p301)

「時間の流れのなかで、意味は流行遅れとなる。」

「瞬間の水準では強力であっても、持続の水準では、意味作用は解体にむかうが、とはいっても完全に解体されるのではなくて、ただ後退するだけである。」(S.M p214)

「シニフィアンはもともと聴覚的性質をもっているのであって、ただ時間のなかでのみ展開され、時間から借りてきた諸特徴によって性格づけられている。(a)シニフィアンは拡がりを表象する。(b)この拡がりはただひとつの次元においてだけ計測可能である、その次元とは線である。」

「概念(ないしはシニフィアン)となったレクトンは、音声的線性を主体的言表と結びつけ、実践の空間をパロールの時間に還元する。」

「すなわち、記号(シニフィアンーシニフィエ、音声ー概念)は時間的であり、持続として把握、計測しえるものふぁということだ。」

「空間を除去する記号は、時間を生きている。」

「いわゆる文学行為は、意味を産むものとの距離は理念的なものであれ認めないのであるから、ふつう意味の担い手とみなされている言語にたいして根本的な異質性を導き入れる。」記号の解体学 セメイオチケ;ジュリア・クリステヴァ p8(1)

「驚くほど近くにありながら、根底ではわれわれの言説や夢の素材とは異質なものである『文学』は、いまわれわれには、言語がどのように働くかを把握し、やがてなにを変革してゆくことができるかを指示している行為そのものであるようにおもわれる。」p8(2)

「魔術、詩歌そして文学という名のもとに、意味を産むもの(能記、シニフィアン)のなかでのこの実践は、これまでの歴史ではいつも『神秘的な』輪暈に包まれている。この輪暈はこうした実践に価値を高めていることもあれば、それを無価値とはいわないまでも、飾り物の地位におとしめていることもあるが、この実践に、検閲とイデオロギーによる修復という二重の作用をおよぼしている。」p8(6)

「聖なるもの、美、非合理/宗教、美学、精神医学ーここにあげた三つのカテゴリーとそれを語る三つの言説は、それぞれにこの『特有の対象』を手の内に押さえていると称してはいる。」p8(9)

・意味上でのテクスト
「その対象は、修復しようと待ち構えるイデオロギーのひとつに位置づけることなしには名付けようがないものであるが、この対象こそがわれわれの関心の焦点にあるのだから、手続きのうえで、いまそれをテクストと呼ぶ。」p8(11)

意味についての問い(クリステヴァ)
・意味を産む実践がさまざまあるなかでこの特有の対象の場はどのようなものか。
・その作用の法則はどのようなものか。
どのような歴史的、社会的役割をもっているのか。
「意味作用(記号作用)の科学、記号論には今日こうした問いが提起されている。これらの問いはたえず思考をひきつけてきたのであるが、すべてを美に解消しようとする反啓蒙主義の傾向をもったある種の実証的な知は、そうした問いの可能性さえ認めようとはしない。」p8(14)

・言語と声
「記号概念(能記/所記)は、音声的実質を特別扱いして言語学を記号学の『雛形』に仕立てる必然性を、それ自体のうちに宿している。というのも、フォーネー(声)は、所記的概念の思想に最も緊密に結びついたものとして意識に与えられる能記的実質だからである。」ポジシオン;ジャック・デリダ p34(7)

「この観点からすれば声は意識そのものである。」p34(9)

「私が話すとき、私は単に、私が考えているものに現前しているという意識を持つばかりではなく、世界のなかへ落ちていかないような能記を、私の思想すなわち『概念』の間近に保有しているという意識を持つ。」p34(10)

「能記は、私がそれを発するや否や私に聞こえ、私の純粋かつ自由な自発性に依存しているように思われ、どんな道具や付属品の使用をも必要としないように思われるのである。その際、能記と所記とは合一するように思われるばかりか、この混和において、能記は消え去るか、あるいは透明になってしまい、その結果、概念はおのれ自身をそのあるがままの姿で現前させることを許され、みずからの現前性より以外の何ものにも差し向けないように思われる。能記という外面性は切り捨てられたかの感を与える。」p34(11)

・能記の囮(おとり)
「この囮の必然性の上に、一つの構造全体が、あるいは一つの時代全体が、組織されてきたのである。そしてこの時代の地所の上に、ひとつの記号学が形成されてきたわけだが、その記号学の内蔵する根本的な諸概念および諸予断は、プラトンからアリストテレス、ルソー、ヘーゲルらを経てフッサールにいたるまで、きわめて的確に標定できるのである。」p34(18)

・能記という外面性を切り捨てる
「記号的実践において心的でないすべてのものを排除することである。」p35(5)

・ソシュールの命題
「音声的・言語的記号に与えられる特権のみが『言語的記号は、それゆえ、二面をもつ心的実在体である。」というソシュールの命題を権威づけることができる。」p35(6)

・一般記号学をひとつの心理学に:ソシュールの記述
「それゆえわれわれは、社会生活のさなかにおける諸記号の生活を研究する科学を、構想することができる。そのような科学は社会心理学の一部門をなし、したがって一般心理学の一部門をなすであろう。われわれはそれを記号学と名づけよう。その科学は、そもそも記号とは何か、どのような諸法則が記号を支配しているのか、をわれわれに教えてくれるであろう。その科学はまだ現実の存在しているわけではないから、それがどういうものであるのかを、いまから言うことはできない。けれども、それは現実に存在する権利をもっているし、その位置はあらかじめ決定されている。言語学はそういう一般的科学の一部門でしかなく、記号学が発見する諸法則は、言語学にも適用できるだろう。それゆえ言語学は、人間的諸事情の総体におけるきわめて限局された一領域にかかわるものであることが明らかとなるだろう。記号学の正確な位置を決定するのは、心理学者の仕事でもある。」p35(13)

「現代の言語学者や記号学者たちはソシュールに、・・ソシュール的『心理主義』に、・・コペンハーゲン派、それにアメリカ言語学のすべては、はっきりとソシュールを批判した。・・ソシュールを批判する人びとでさえソシュールを一般記号学の創始者と認めて、彼らの大部分を彼から借りてきているという、・・人は単に、記号概念の『心理主義的』使用のみを批判することはできない。」p36(5)

「心理主義は、・・両義的な仕方で、記号概念そのものの中に書きこまれており、その中であらかじめ規定されているのである。」p36(12)

「この両義性は、したがって、記号というモデルの上に重くのしかかっており『記号学的』企て(くわだて)そのものを、この企ての使用するあらゆる概念(特に伝達という概念)の組織的全体をもろともに特徴づけている。事実、伝達という概念は、ひとつの所記的対象の、すなわちひとつの意味の、ないしはひとつの概念の、同一性を、一主観から他の主観へ移行させることを任務とする送達ということを、暗黙裡に意味しており、しかもその所記的対象、意味、ないし概念は、権利上、この移行過程および能記的操作から分離可能なものと考えられている。」p36(14)

「伝達は、諸主観(その同一性と現前性が能記的操作以前にすでに構成ずみであるような諸主観)と、諸対象(すなわち所記的概念、ないし考えられた意味。これは伝達の際の移行によって構成されるはずのものではなく、また権利上、変形されるはずもない、とされる)を前提している。AはBをCに伝達する。すなわち、発信者は、記号によって、受信者に何ごとかを伝達する、等々というわけである。」p37(2)

 

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tak

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