女性の心を落ち着かせる言葉

女性の心を楽にするための哲学|女性の心の無意識の世界のパサージュ

投稿日:2017年9月12日 更新日:

女性のための哲学。女性が知りたい無意識の世界とは?

・メラニー・クラインと精神分析
「1957年。メラニー・クラインは、子どもの精神分析を確立した母として、30年の歳月をかけて世界的名声を築き、さらにフロイト以後、成人の精神分析、とりわけ精神病の精神分析を立て直したことでもよく知られている。」メラニー・クライン、苦痛と創造性の母親殺し;ジュリア・クリステヴァ p8(2)

・メラニー・クライン『羨望と感謝』
「これまで私が臨床の経験から教えられたことは、乳児が羨望を向ける最初の対象が哺乳してくれる乳房であること、そしてその理由は乳房が乳児がのぞむすべてと無限の母乳と愛情をもっているにもかかわらず、乳児はそれらを、もっぱら自分自身の満足のために保有していると感じているからである。この感情は、乳児の不満と憎悪の気持ちを強めることになり、その結果、乳児の母親との関係がさまたげられてしまう。もし羨望があまりにも激しいものであると、私の見解ではこれは、妄想的・分裂的特徴が異常に強いこと、および、その幼児は病的とみなしうることをしめすものである。・・・(次いで羨望は)もはや乳房だけに集中しているのではなく、父親のペニスを受け入れ、体内に子どもをもち、その子どもを生み、哺乳することができる母親に対して羨望が集中しているのである・・・。」p8(5)

「このような攻撃の対象とされるのが、創造性なのである。」p8(14)

「エドマンズ・スペンサーが『妖精の女王』の中で記しているように、羨望はどん欲な狼である。・・・この神学上の考え方は、聖アウグスティヌスに由来しているらしく、聖アウグスティヌスは『生』を、破壊的な力である『羨望』に対抗する創造的な力であると述べている。聖書の『コリント人への第一の手紙』にある『愛はねたまない』は、こうした観点から解釈できる。」p8(13)

・無意識の発見
「無意識の発見は、良俗に踏み込む大事件とみなされるか、無理解のまま放置され、あるいは一部の人々から激しく中傷され、この第三千年期の夜明けにあってもまだ謎めいたものという印象を与えている。無意識が登場して一世紀たった今も、ジークムント・フロイトやその弟子たちがなしとげたコペルニクス的転回の重要性は、相変わらず認められていない。」p9(3)

「医学や十九世紀末の精神医学の継承者であると同時に宗教や哲学の継承者でもある精神分析は、次のような考えを認めさせることでそれらを脱構築し、一新した。」p9(6)

「すなわち、身体と言語に依存している人間の心は、認識することができるだけでなく、苦悩の場であり破滅の陥りやすく死に至ることさえあるが、とりわけ私たちの特権的な再生空間だという考えである。」p9(8)

「これを発見した開拓者たちは、未知のことを探検する人々に特有の情熱をもって、自らの存在のすべてをこの発見の周りに総動員し、新しいタイプの認識を鍛え上げていった。この認識は、古典的合理性を拡張するものである。」p10(2)

・精神分析の警戒
「いまも警戒しているのもかかわらず(最も明らかな人物だけをあげるとハイデガーとナボコフ)、今世紀の最も創造的な人物に数えられる男女ーヴァージニア・ウルフからジョルジュ・バタイユ、アンドレ・ブルトンからジャンポール・サルトル、ロマン・ロランからグスタフ・マーラー、アンドレ・ジットからエミール・バンヴェニスト、チャーリー・チャップリンやアルフレッド・ヒッチコックからウッディ・アレンーがフロイトを読み、あるいは分析の長椅子に横たわるのは、この自己認識の革新、新たな自由の条件であると同時に文明の転換点となるこの革新を理解し、体験するためである。」 p10(5)

「分析運動内部の対立を顕微鏡でのぞくように拡大してみると、人類のあらゆる文化に本質的に見られる残忍さがより劇的に立ち現れる。なぜなら、革新は不可能なことがらとの境目にしかないからである。」p10(14)

「フロイトとその『共犯者たち』が人間の心を知り、その解放を試みるための王道として取り入れたのが、まさに心の病である。」p10(18)

・人間の心の奥にある狂気
「狂気は、無視されたり閉じ込められたりするべきでなく、語られ書かれ思考されるべきであり、創造性の恐るべき限界であり、終わりなき刺激なのである。」p11(6)

「この明らかなパラドックスが、いまだ、そして常に、精神分析が引き起こす無理解と抵抗の中心にある。すなわち、病理学とはどのようにして真実を述べることができるのかというわけである。」p11(8)

「精神分析は、精神の病の治療に当たって苦痛を分析することで、正常といわれる人々の体験の基盤にもある論理の数々の理論を見いだし、これらの論理が症状として見定められる条件を特定することができる。」p11(9)

・無意識の理論
「このように無意識の理論は『正常』と『病理』の間の境界線を消し去り、治癒をあきらめることなく、内面の夜の果てへの旅として、本質的に、そして各人に与えられるのである。」p11(10)

・精神分析用語の誤解
「精神分析は狂気から出発しているとしても、狂気をすべての人に拡張し、私たちがみな狂っていると説得しようとしているわけではない。反対に、精神分析は狂気を、ひそかに私たちに住みつき、行き過ぎや行き止まり、革新をもたらすモデルや構造の数々として使うのである。」p11(14)

「フロイトの精神分析は、精神生活が性に根ざしているということによって(『私に支店を与えよ。されば地球を動かしてみよう』と言ったという)アルキメデスの支店のように、正常と病理の境界線を引きなおし、私たちの世紀が誇りとする形而上学の最も徹底的な解体の一つを開始することができた。」p12(3)

「エネルギーであると同時に感覚でもあり、生物学的であると同時に他者とのコミュニケーションでもある性は、フロイトによれば、彼が非難されたように人間の本質を生物学的に説明するわけではなく、逆に、ただちに文化のなかに動物性を組み入れることになる。」p12(6)

「人類が、象徴化したり昇華したりすることができるのは、性をもっているからであり、性においては、身体と精神、本能と言語といった、形而上学にとって二元論だったものが、分かちがたく結びついている。」p12(8)

「事実、欲望は、初めからエネルギーであると同時に志向でもあり、精神分析家が、苦痛の源であるこの共現前の駒の位置を画定できるのは、性の偶発事を観察することによってである。」p12(10)

・マテーブランコのフロイトについての考察
「フロイトは何にもまして、心的世界が”力動的”、つまり衝動、欲動、願望、欲望を持ち、当然ながらそれらは互いに葛藤状態に置かれ得るようなものである、とする基本的概念に沿って考えを発展させた。」p22(16)

「マテーブランコはこれをどのような方法でも否定していないが、全く意図的に、異なる概念的な枠組から出発している。彼は心的世界を、力動的なものとしてだけではなく、『区別するもの』そして『クラス化するもの』でもある、と見做している。」p22(28)

「『集合体』という数学は、彼の基本的な概念的背景である。ここでの集合の概念は非常に簡潔なものである。集合とは『或る性質の集まり』であり、任意の項あるいは無限数を含むことができる。共通する属性あるいは特徴を持つ事物の集合であれば、それは大多数の人がクラスと呼んでいるものになる。」p23(6)

「人間の心的世界は、あらゆる瞬間にクラス化の活動を実行している。・・数学用語を用いれば、集合を形成している。これは生気ある活動性としての『認識』を生じさせるために継続しなければならない。」p23(11)

マテーブランコは、全ての通常あるいは『論理的』(つまり二価的)な思考活動は、いつでも三つ組みの結合を取り扱っている、・・・心的世界は、或る事物ともうひとつの事物、そしてそれらの関係という、その組みの膨大な(潜在的には無限な)集合は、思考と、全ての科学的論理が構築される出発点である。」p23(17)

・マテーブランコの概念
「マテーブランコの考え方のなかでも最も決定的な概念、つまり非対称的関係と対称的関係とそれらを区別に到達したことになる。」p23(23)

・非対称的関係の心的命題
「1,私はこの頁を書いている。
2、ジョンはピーターの父親である。
3、8は15よりも小さい、また順序が前である。
4、AはBの部分である。
5、あなたは英国精神分析協会の会員である。
これら全てには、主語と目的語という(動詞に媒介された)関係がある。更にそれぞれの関係の逆は、それとは同一ではないことがわかる。このために、それぞれは非対称と呼ばれるのである。そこで最初の例『私はこの頁を書いている』に向かえば『私』と『この頁』というふたつの『何か』と、ひとつの関係『書いている』があることが見出される。・・『私』と呼ばれる『何か』が文の最初に置かれる、あるいは左側にあって『この頁』と呼ばれる『別の何か』が二番目の位置に置かれることである。もし『これらの何か』の順序を逆転すれば、関係も変換もしない限りは、新しい文は全く意味を持たない(あるいはまったく異なる意味を持つ)ことになる。」p23(26)

・対称的関係
「或る種の関係は、それらの倒置あるいは逆が、提示された関係といつでも同一である。これらを対称的関係と呼ぶ。例えば、『AとBは同一である。』『ジョンはピーターとは異なる』『サラはジェームスと結婚している』など。これらの関係が逆転されても、意味はやはり同じである。」p24(23)

「マテーブランコが無意識の特徴を詳細に検討しながら示したように、フロイトが明らかにしていったのは、この性質を持つ思考は無意識過程においても『維持されている』が、それにはこの性質を持つ思考ではない何かもまた混在している、とうことである。」p25(5)

「実際に彼は『無限集合としての無意識』の中で、フロイトの基本的な発見はこのような無意識の特徴ではなく論理の対称的形態である、という考え方を推し進めた。当然ながらフロイトは対称論理という原理を直接には明言しなかったが、マテーブランコの確信によれば、フロイトの主張は、その性質をもつある種の暗黙の概念に依拠している。いずれの場合でもマテーブランコが論証しようとしているのは、二価論理に加えて対称性は、無意識の特徴を基礎づけている思考と非思考の形態を概念化している一連の統合原理を提供している、ということである。」p25(14)

・感覚器官と二つのモード
「感覚器官は、我々を周囲の世界の様々な側面と接触させている。意識してみると興味深いのは、これらの器官の正常あるいは普通の機能によって、論理に対して異なる関係を持つ認知の二つの形式、つまり感覚と知覚が準備されることである。」p96(17)

・知覚情報と古典理論
「知覚がこの論理を使用するのは、推論の過程においてではなく、我々に対して外的な世界の性質を見出すためである。・・その発見物は、様々な方法で、思考という目的を含む様々な目的のために使用されるだろう・・知覚活動の例証・・『この壁は白い』・・この壁が白くないとは伝えない・・矛盾原理を尊重する・・『ピーターはジョンより背が高い』・・ピーターはジョンより背が低いと付加する必要はない・・非対称的関係を使用する・・『もしだれかが椅子に座っていれば』・・知覚は同時に正確に同じ位置にある同じ椅子に誰かが座っていると告げることはない・・非両立性の原理が尊重される・・知覚は絶えず、周囲の世界の中に新たな異なる対象を発見し続ける・・知覚は完全に非均質的である。」p96(21)

・思考と知覚の相違
「『思考ー推論と知覚は全く異なる表現形である。』・・『その両者と、それ自体の領域の中のそれぞれは、古典論理に則って構造化されている』・・付加していいのは、知覚と思考は、絶えず新しい対象、まず第一に物質的な対象、第二に抽象的な対象(関係性)を発見し続けているという意味で、非常に非均質的だということ。」p97(9)

「思考と感覚は、ふたつの異なる種類の心的出来事だということ・・感覚と論理はまったく異質であるが、知覚の過程においては、感覚は或る過程に従属している・・古典論理とのある種の協力関係の中で、感覚が最終的にいわゆる知覚の構成要素になることによって為される。」p97(21)

「感覚は単独で現れるか、知覚へと向かうか、あるいは無意識の論理と同一の特徴を示すような、漠然と形作られた夢想の過程が発展する機会を提供する。」p97(28)

 

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tak

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