女性の心を落ち着かせる言葉

女性が美しくなるための知的欲求磨き|ヘーゲルと弁証法のパサージュ。

投稿日:2017年9月24日 更新日:

ヘーゲルと弁証法のパサージュ。女性が美しくなるために女磨き。

・日本のベーゲル認識
「日本では、集団は依然として個人よりもはるかに重要であるが、他方西洋では、実情は一般にその逆・・日本で家族が重視されるという点でも、会社にたいする日本人サラリーマンの忠誠という点でも見られる・・日本社会はいくつか異なった『有機的共同体』からなっており、したがってヘーゲルの有機体は、トマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジョン・スチュアート・ミルのような英国哲学者によって社会モデルとして利用される自由な個人のゆるやかな連合体よりも、日本社会にずっと類似している。」ヘーゲル入門;ピーター・シンガー p3(9)

・汎神論(はんしんろん)の完成
「ヘーゲル哲学はあらゆる二重性をそなえもっている。革命的性格と保守的性格、唯物論的性格と観念論的性格、弁証法と形而上学、等々である。」弁証法の理論、ヘーゲル弁証法の本質;許萬元 P12(5)

・ヘーゲル哲学のさかさまの叙述
「ヘーゲル哲学は、いま述べたこれらの順序をさかさまの・・革命的なものを保守的に、唯物論的内容を観念論的形態で、合理的なものを神秘的な仕方で、弁証法を形而上学そのものとして、叙述している。・・この点でヘーゲル哲学は、マルクス主義者たちによってフランス革命のドイツ的反映とか転倒された唯物論と呼ばれている。」p12(6)

・ヘーゲル哲学と転倒
「転倒された仕方においてではあるが、自分の体系のなかに相反するものを包括するところの偉大な綜合せある、と特徴づけをすることができる。」p12(10)

・新ヘーゲル主義;リヒャルト・クローナー
「『ヘーゲル哲学は世界史のもっとも大いなる諸力の綜合である。』『カントが偉大な分析家であったように、ヘーゲルは偉大な綜合化である。』」 p12(12)

・概念を欠いた認識
「ヘーゲルは意識のもっとも素朴な形態から始める・・『感覚ー経験の次元における確信』・・『感覚的確信』と呼んでいる。ヘーゲルが考えているのは、与えられた各瞬間に目の前にあるものを(ただちに)とらえるだけの意識の形態である。」ヘーゲル入門 精神の冒険;ピーター・シンガー p108(13)

・感覚内の特定のもの
「感覚的確信は、私たちの感覚が受け入れるデータをありのまま書きとめる・・私たちの感覚に示される特定のものを認識すること・・感覚的確信は、感覚が獲得するナマの情報を秩序づけたり分類しようとはしない・・熟したトマトと述べるであろうもの・・経験をトマトと記述できない・・意識が見ているものを分類することになってしまう・・感覚的確信は、経験をなにか丸くて赤いものを見ているひとつの経験としてさえ述べることはできない・・(丸や赤という)・・用語もまた、分類のなんらかの形態を前提にしているから・・。」p108(16)

・ヘーゲル;感覚的確信
「感覚的確信は『このもの』の確信であり、あるいは『ここ』や『いま』の確信なのである。」p109(13)

・感覚的確信の表現は不可能
「ヘーゲルが指摘するのは、この認識は言語ではまったく表現できないということ・・感覚的確信が純粋に特殊なものを認識することであるのにたいして、言語とはつねに、あるものをなにかもっと一般的、あるいは普遍的なレベルへともたらすからである。」p110(16)

・精神の冒険
「ヘーゲル自身がくり返し言及し重要なものとみなしている『精神という思想』・・『歴史哲学』全体の目的が歴史において指導的な役割を果たす精神に精通すること・・この思想はとても重要・・『法哲学』でも精神という概念はけっして無縁なものではない。」p95(5)

・ヘーゲルの国家概念
「ヘーゲルは・・国家を『客観化された精神』と名づけている」p95(12)

・ヘーゲル;精神の意味
「二つの明瞭に区別される意味をもっている・・私たちの精神が身体から区別されているという意味で、『精神』を意味するのに使われる標準的なことば・・精神(ドイツ語のガイスト)は、さまざまな意味をもつ英語の精神(スピリット)という意味をもつことができる・・『時代の精神』とはツァイトガイスト・・一方、父、子、聖霊(つまり聖なる精神)というキリスト教の三位一体の第三の位格はデア・ハイリゲ・ガイスト(聖霊)である。」p95(19)

・ヘーゲル;不安の定義
「ヘーゲルは現代世界の開始を告げる思想家である・・全著書は世界の流れの・・哲学の流れを決定的な転換に取り組まなければならないという意識と情動によって浸透され、突き動かされている・・意味はもはや共同体という宗教的な紐帯によって提起されることはなく、知はもはや一つの意味の全体性に基づいて秩序づけられることはない。」ヘーゲル 否定的なものの不安;ジャン=リュック・ナンシー p13(1)

・社会という構造の変化
「社会が共同体に続いて現れ、それ以降、共同体は自分自身から切り離されたものとして認められている・・知は、対象や手続きについての認識・・対象も手続きも何一つそれ自身では(=即自的には)もはやその目的ではない・・世界はそれ自身を、様々な利害や対立、特殊性、道具性に満ちた灰色の世界として知覚する。」p13(4)

・世界の分離
「世界は分離の世界・・分離がもたらす苦痛の世界として知覚され・・歴史が残虐さの連続であり、その意識が根本的な不幸の意識であるようあん世界として知覚される。」p13(8)

・ヘーゲル;不安と生成
「ヘーゲルの思惟の始まりは一つの原理の断言ではない。この始まりは哲学の自己への回帰ーーこの回帰は不安で、心配げで・・哲学はそれが既にそうであるところのものに自らを露呈する・・自らを世界として知るこの世界の意識の運動であり、いかなる表象=再現前(一定のイマージュ、理念、概念あるいは意味)によっても充たされず、確保されない、この世界の運動である・・この運動が・・世界こそがすべての表象を歴史を通じて運び去るからである。」p21(1)

・思惟の不安
「思惟の不安とは何よりもまず、すべてが既に始まってしまっているということである・・創設(フォンダション)というものは存在しないだろうし、世界の流れを再開するためにその流れを停止させることもないだろう。」p21(8)

・思惟の変換と不安
「私たちはもはやデカルトの境位(エレメント)のうちにも、カントの境位のうちにもいない。もし歴史の糸が切れているとすれば、それは自ずと切れているのであって、歴史の連続性があるとしても、それは分割や拡張といった事態・・同様にすべては終わってしまっている『=有限である』。」p21(10)

・有限と無限
「無限者や絶対者はいかなる一定の形象においても呈示=現前化されない・・別の形象が見い出されることがあるだろうが、今や、それらの形象はそのあるがままの形式として・・移行において継起する形式、移行そのものという形式、移行が運び去る形式として知られている。かくして有限な形象はその都度、もっぱら形象それ自身を・・それ自身とその無限の不安だけを呈示=現前化する。」p22(1)

 

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tak

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