女性の心を落ち着かせる言葉

フロイトを実践的哲学で説き直す|死の欲動と生、リビドーと女性。

投稿日:2017年9月18日 更新日:

フロイトの精神分析と夢、無意識。死の欲動の女性の無意識的作用

・デュフレーヌの精神分析批判
「デュフレーヌが引き合いに出すのが『快楽原則の彼岸』・・フロイト自身の生と死をめぐる理論・・つまり外部の刺激が安息を脅かし『刺激保護』を強いるかぎり、有機体は生存しその成長が可能となる、というあの議論・・フロイトの学説に忠実にしたがうのならば、生命とは苛立たしいだけの障害にすぎず、刺激の純粋かつ単純な不在たるニルヴァーナつまり死からのひとときの迂回ということになる。」<死の欲動>と現代思想;トット・デュフレーヌ p12(3)

・精神分析と刺激保護
「精神分析とは自己防衛の怪物、『外部』にたいするあの刺激保護にほかならない。そういう次第で攻撃すればするほど巨大化し、保護膜がつぎからつぎへと折り重なるわけで、その別名がクライン派の言説、フロイト=マルクス主義、ラカン派の言説、『解釈学的』フロイト、『脱構築的』フロイト、その他という次第。かかる巨大で未整理の文献の塊を読破しながらも、賢明なるデュフレーヌは単純にそれを批判するという愚を避ける。」p12(14)

・精神分析の怪物
「精神分析というひたすらに増殖する怪物にいまひとつ批判という名の生命維持装置を供するのではなく、むしろ死ぬ権利を擁護する。それ自身の排泄物で窒息し息絶えるままにしておく、『快感原則の彼岸』のフロイトが記述した浸適虫類のごとく。」p13(1)

・フロイトの精神分析の影響
「精神分析が現実にかかわりをもったことがないために根本的に外からの批判にたいして耐性がある・・批評家は科学的な主張との矛盾を論証し精神分析に致命傷を与えたと考える・・しかしこれでは的を外す。精神分析が心理学的科学であったためしなど絶えてなく、ただメタ心理学的な幻想であっただけで、世界や他者にたいするジークムント・フロイトのまったき無関心の産物である。」p13(4)

・フロイトは『否』をしたことがない
「フロイトはしばしば自身のメタ心理学的理論は臨床的な『観察』を土台にしたたんなる『思弁的上部構造』にすぎず、臨床的データが求めるのならば、『それを取り換えて放棄しても損害はない』などと実証的な口調で主張はしてはいる。・・フロイトは『否』という答えを受け入れたことがなかった、患者からも、批判者からも、現実それ自体からも。フロイトは純粋かつ単純に自身のメタ心理学的構築物と矛盾する証拠を無視する。」p13(9)

・フロイトとジョウンズの論争
「『モーセと一神教』におけるラマルク的結論の削除をフロイトに要求したときー『たしかに、私の立場は、後天的に獲得された性質の子孫への遺伝に関して何も知ろうとはしない。

・無限の定義
「社会的なものと無限とは深い関係がある。・・『行為の代数学』に始まる社会学者・大澤真幸の一連の著作・・。無限は二種類ある。・・否定には二種類あること・・。現在、私たちが持っているような時間の観念は、西欧の普通の中世人にとっては無縁・・、中世人にとって時間は有限であった。」精神分析と自閉症 フロイトからヴィトゲンシュタインへ;竹中均 p112(1)

・無限の拒否
「有限の身体を持つ人間にとっては、無限の時間を前提としない方が自然であるように思われる。むしろ問われるべきは、現代の私たちがなぜ無限に続く時間という発想をあたかも自然であるかのように受け入れてしまっているかの方であろう。」p112(8)

・西洋の時間意識の変化
「12〜13世紀に、ヨーロッパ知識人の間で時間意識の大きな変化が生じた。それは二種類の無限概念の登場・・。一つは、『永遠』・・これは『時間に完全に外在』、・・『無時間的』・・。時間と『永遠』は絶対的な二項対立をなしている。もう一つは『永続』の仕掛け・・、これは時間を無限に永続させることで永遠を擬人的に作り上げる操作・・。有限の振る舞いであっても、限りなく繰り返す努力によって、永遠に近い状態に到達できるかもしれないというわけである。」p112(10)

・時間意識と宗教改革
「『永続』という仕掛けが民衆的なレベルで広まるきっかけとなったのは、宗教改革。マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で描いたプロテスタントたちの挑戦・・、有限な人間は、無限の神の意思に適い、宗教的に救われることを切望している。しかしそこには有限と無限の絶対的な二項対立が横たわってる。・・救済のために何をすればよいのであろうか。プロテスタントたちの答えは、世俗内において、禁欲という有限の営みを果てしなく繰り返すこと・・。有限を『永続』させることによって、擬人的にせよ無限に到達しようとする試みであった。」p113(1)

・神との交わりの達成から崩壊
「このような試みによって神との交わりが達成された瞬間、その達成の自己崩壊が始まる。・・神が神でありうるのは、それが超越的ゆえなのであるが、無限遠点においてその超越に到達できるならば、それはもはや超越ではない・・。『予定説の神は<超越性>の合理化の極点にありながら、すでに、その否定への決定的な一歩を踏み出していた』。未だ到達していない無限遠点においては人間は神とは交わるに違いないと考える時、その交わりは、肯定的な何かではなく、未だ到達していないという否定によってポジティブに規定されている。否定によるポジティブな規定。この奇妙な組み合わせが、『永続』の仕掛けである。」p113(9)

・無限と自己再帰性
「再帰的な振る舞い・・、どうしても自己の問題に直面せざるをえない。・・自己への再帰性、自己言及性の形式が問題になる・・『行為の代数学』において『スペンサー=ブラウン代数』が『自己指示的な指し示し』の特徴を持っている・・まず、時間をいったん棚上げにしておいて『空間に区別を設定する操作のみを、原本的・原初的なものとして』出発・・。自己指示的な形式をとった表現が指し示す値=意味は、いかなる空間においても矛盾あるいはパラドクスを引き起こしてしまい、同一性を確保できない・・。」p114(1)

・時間の導入と非問題
「『自己指示という矛盾』のただなかにいながら、普段は矛盾を感じないでいられるのであろうか。この矛盾を非問題化し緩和するような仕掛けが、私たちの中にすでに組み込まれている・・仕掛けの候補として・・時間の存在である。空間だけで話を完結させようとするから無理が生じ、・・時間を新たに導入すれば、矛盾を解消できる。」p114(12)

・嘘つきのパラドクス
「『私は嘘つきだ』と私が言う。この場合、『私は嘘つきだ』という言明は嘘のはずである。したがって私は本当のことを言う。ならば『私は嘘つき』のはずである。だとすれば、『私は嘘つき』ではない。ならば、『私は嘘つき』のはずである。・・このように振動状態はいくらでも続いてしまう。」p115(4)

・時間の導入
「時間とは無関係に、私の発言がつねに嘘である場合のみである。だが、ここに時間を導入すると、すべては変わってしまう。『私は嘘つき』と言った場合、その言明の意味が、『私は嘘を言う場合もある」「私はときどき嘘を言う」という意味ならば、・・振動状態は起こらない・・『私は嘘を言う』と『私は真実を言う』という二つの状態は・・同時には成立しない・・時間軸上で隣同士に配置されていても問題はない。」p115(9)

・精神分析の死の宣言
「創始者ジークムント・フロイトが1939年に亡くなるずっと以前から精神分析の死を宣言する批評家は多かった・・精神分析にはつねにどこか取り込み詐欺めいた、あるいは科学のなり損ない、またはフロイト自身の肛門性格(anality)が昇華した賜物といった感じがある。」<死の欲動>と現代思想;トット・デュフレーヌ p23(4)

・論争後のフロイトの結果
「精神分析の死をいっせいに宣言するこういった声それ自体が、徐々に精神分析という制度内部の『伝統』と化している・・たえまない論争には皮肉な結果が待っていた・・フロイトほどその人生と仕事について多くのことが書かれた人物は西洋の歴史にあってほとんどいたためしがない、という結果になった。」p24(5)

・フランス人哲学者ミケル・ボルク=ヤコブセン
『68年5月とそのユートピア的夢想のあとでは、あれほど多くの刺激的な知的課題は身の回りになかった。68年5月は頓挫し、もはやマルクス主義を信奉することもできず、構造主義はお話にならぬくらい実生活から遊離していた。そこで、父権を侵犯しつつ秘密結社に入会するといった趣がある精神分析こそが、68年5月のスローガンがいうところの『生活を変える』と胸を張れる、ただひとつ残された理論と見えた。思いおこしてほしい。68年5月の運動は『日常生活』を革命化することを望んだのであって、振り返ればあきらかだが、精神分析にたいする私の世代の関心は、この革命的事業を別の方法で追求する方便のひとつであったのだ。私の世代は68年5月が与えてくれたあの『陶酔』を渇望し、まさにこうして私の世代の多くが精神分析に夢中になった。精神分析はあの不可能な革命の代わりであった。』p26(7)

・分析医、歴史家;オクターヴ・マノーニ
『ラカンのおかげがあってこそフランスでフロイト主義がきわめて忠実な形で創造的に再生した。』p27(1)

・スチュアート・シュナイダーマン
「プラトンについてのアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの名言を真似て言うように『ラカン以前は、精神分析の歴史とはフロイトの注釈にすぎなかった』」p27(3)

・ラカンのフロイト再考
「熱気のなかで、刺激的な新しい概念が精神分析をめぐって続々と現れることになる・・大多数の人はラカンの晦渋(かいじゅう)な文章や自由連想によるといってよいセミネールをほとんど理解できなかったが、にもかかわらず彼の仕事は時宜(じぎ)を得た、わけはわからないがともかく意義あるものであるという点で衆目が一致した。ラカン自身の言い分によると、『わたしたちはこの特異な矛盾ーーそれを弁証法的と呼ぶべきか否かは知りませんがーーに直面しました。つまり、みなさんが理解できなければできないほど、みなさんは耳を傾けます。と申すのも、私がとても難解なことを申し上げると、みなさんがその一言たりとも聞き逃すまいとする姿をしばしば拝見し、理解されていない方がなかにはいることにあとで気づくからです。一方で、単純でありふれたことを申し上げると、みなさんの集中力がなくなります。』」p27(12)

・ラカンの影響を受けたシュールレアリスト
「ラカン派精神分析は奇妙に現実から遊離したものになってきた・・1920年代にフランスで精神分析を好意的に受容したのはシュールレアリストだけだったのだから・・奇矯でときに異常な人格を露にするラカンが、初期のシュールレアリストに多大な影響を受け、彼らの雑誌『ミノトール』に寄稿していたという事実は想起するに値する。」p28(10)

・ラカンのフロイト回帰の拍車
「アングロ・アメリカ自我心理学の体制順応的、個人主義的、反知性的な面への嫌悪である。」p31(1)

・ラカンの関心と本質
「たいがいのアメリカの分析医と違って、ラカンの関心は、医学という伝統的な領域を大きくはみ出して、構造人類学、言語学、文学、数学、法律、哲学に及んだ。ボルク=ヤコブセンの議論がこの点説得力があるが、ラカンとは、G・W・F・ヘーゲル、フェルディナン・ド・ソシュール、マルティン・ハイデガー、クロード・レヴィ=ストロースなど偉大な思想家の著作、殊に(ことに)アレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』を『剽窃』した『独学者』である。」p31(4)

・ラカンのコジェーヴから得た概念
「エリザベト・ルディネスコも多くの点でラカンがコジェーヴに追随している点を認め・・『あの魅力たっぷりの師匠(コジェーヴ)から複数の概念ばかりではなく、(派手な)講義の仕方を学んだ・・コジェーヴ自身が彼独特の形で、臨床的な観察者、大文字の職人芸の人、言説形式の分析家、教壇の催眠術師、数々のテクストの伝説的な注釈者であった』」p31(11)

・精神分析と他分野とのフランスとアメリカの相違
「無意識の科学に関心を示し、構造主義的、数学的モデルや『トポロジー』(ボロメオの輪、クラインの壷)などにも手を出しておきながら、ラカンはそれよりはるかに厳密さを欠く、『人間科学』(もっと広い意味での人文学)ーーとくに文学研究ーーと精神分析との結びつきをたいがいは強めてしまっている・・大西洋の反対側は・・ハリー・スタック・サリヴァンのような分析家がすでに精神分析的研究と行動科学や社会学からなる分野を結びつけていた・・ジャンルの横断的な結びつきは、フランスとアメリカ両国においてそれぞれ特殊な形で精神分析が伝播し受容されたさいに・・精神分析の医学的、臨床的、科学的言説の根拠が脆弱(ぜいじゃく)である点に関しアメリカでは危機的な状況があった・・フランスの分析医はこの点で比較的に影響を受けずにいる。」p31(16)

・分析医セルジュ・ルクレール
『アメリカのフロイト的精神分析に起きたことは、アメリカ人の知的欠陥そのものである。連中独特の偏狭なドクマにより、あらゆることを一個の教義、ほとんど宗教にしてしまい、時代の変化の無頓着である。』p32(9)

 

 

 

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tak

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