哲学とは?

女性が幸福になるために|ジルドゥルーズとフェリックスガタリの哲学で内在平面を探す

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女性が幸福になるための哲学。ジルドゥルーズとフェリックスガタリの哲学で内在平面を探す

多くの言葉が世界中にあちらこちら転がりながら、散らばりながら、誰かが発した言葉や書くという記述されたエクリチュールであっても、今ではそれらの所有するマネージメントはできていない。たとえ著名な人がそれをエクリチュールしたとされていても、それは言葉が著名という命の権威によってあなたを救う言葉にはなっていない。
女性が幸せになるなどと言っていた旧時期はもう終わってしまい、女性は哲学を通じ、女性が隠されたところにもっている感覚や感性で、未来を実態にして未来を物理学で説きなおし、自分が生きるためにエクリチュールに設定しなおさないと、女性はいつまでも形式にとらわれたままの幸せを求めつづけ、女性は幸せを追い求めながら、与えられた生きる時間を消耗し、悔いの念をあるときから認識するとなれば、女性はもっとあのようにやっておけばよかったと、そればかり回帰してしまうことになるだろう。
本サイトでは、女性が幸福になるための哲学を追求していきます。
そのいっかんとしまして、ジルドゥルーズとフェリックスガタリの著書『哲学とは?』をもう一度とらえなおし、女性が幸せではなく、未来を実態にしてところで生の意志を与えられた知覚と欲求のつながりで幸福にたどり着くように一緒に独自の哲学性をつくり、考えていこうとするエクリチュールであります。

2、内在平面

・哲学的概念は、さいころ振りのゲーム
「哲学的諸概念は、たがいの縁(へり)が合致しないがゆえに、それぞれたがいにぴったりと組み合わない断片的全体である・・それらは、ジグソーパズルを構成するというよりも、むしろ、さいころ振りのゲームから生まれるものである・・」p53(1)

・哲学的概念は同じ平面で限界のない総体
「それにもかかわらず、そうした諸概念は共振しあい、それらを創造する哲学は、ひとつの開かれたままであるにせよ非断片的な力強い<全体>をつねに提示している・・そうした全体は、限界のない<一者ー全体>であり、或る総体である・・ただ一つの同じ(*)平面のうえでそれら哲学的概念をすべて包括している総体なのである・・」p53(3)

(*)『平面plan』は、『大地』、『平台』とも言い換えられる。

・諸概念の内在平面はあらゆるスタイルの面をもつ
「それは、或るひとつの卓であり、或るひとつのプラトーであり、或るひとつの断面である・・それは或るひとつの共立性平面であり、あるいはさらに正確に言うなら、諸概念の内在平面であり、それはまさに(*)揺動面である・・」p53(7)

(*)『揺動面』の原語はplanomene『さまよう』を意味するギリシア語の受動相の分詞からドゥルーズ/ガタリがつくった言葉のように思われる。そうだとすれば、語源的には、『平面』の意味はないが、あえて『平面』を読み込んでこのように訳した。

・内在平面はひとつの概念ではなく、ただの面
「諸概念と平面は、厳密に相関しているが、だからといって一緒くたにされてはならないものである・・内在平面は、ひとつの概念ではないし、すべての概念を包括する概念でもない・・もし諸概念と内在平面を混同することにでもなれば、どう防いだところで、諸概念は結局、まとまって一個の概念をなしてしまうか、あるいはそれぞれ普遍になったり、特異性=単独性を失ったりするかのいずれかになるだろうし、そればかりでなくさらに、そうした平面はその開きをなくしてしまうだろう・・」p53(11)

女性が幸福になるための哲学;物事の考え方の総体は概念という。今を生きていると総体は全体と思われてしまって、それらの相違に気づかずにすべてを一緒くたにしてしまっている。幸せと幸福がどのように違うのかも、現代に生まれたという時期がそうさせるところもあって、わからなくなっていう。身体に置き換えてみるとわかりやすくなる。身体は体幹という骨盤、脊柱、肩甲骨、そして頭部が連結しているが、足の裏が感覚的に大地を感じ取っていなければ、体幹はまったく機能を果たさないように、思考のなかにも、総体である概念をたたせるには、感覚的なところでの大地と同じ構造となる平面というものを作っておかないと思考は運動されない。

・哲学は構成主義で異なった二つのアスペクトをもつ
「哲学はひとつの構成主義なのであって、この構成主義には、相補的ではあるが本性上異なっている二つのアスペクトがある・・<いくつかの概念を創造すること>および<ひとつの平面を描くこと>である・・諸概念は、言わば上昇したり下降したりする多様な波であり、他方、(*)内在平面は、諸概念を巻き込んだり繰り広げたりする唯一の波である・・」p54(2)

(*)『共立性平面』→『揺動面』→『内在平面』と言い換えられている。

・思考に関する問題は無限速度
「そうした平面は、その平面を走り抜けては戻ってくる無限運動を包み込んでおり、他方、諸概念は、そのつどその諸概念自身もろもろの合成要素のみに走り抜ける有限運動の無限速度である・・エピクロスからスピノザにかけて、スピノザからミショーにかけて、思考に関する問題は無限速度にある・・」p54(6)

・曖昧な存在を合成するには、諸概念と内在平面が必要
「この無限速度は、それ自身において無限に運動するひとつの中間=環境を・・平面、真空、地平を、必要としている・・必要なのは、概念の弾性であり、さらに中間=環境の流動性でもある・・ほかならぬわたしたちがそれであるところの『緩慢な存在』を合成するために必要なのは、それら二つのもの<諸概念と内在平面>である・・」p54(10)

・諸概念は脊柱で内在平面は息
「諸概念は、列島あるいは骨格をなしており、また、ひとつの頭蓋というよりもむしろ一本の脊柱(垂直に重なっているもの)をなしいる・・他方、(内在)平面は、それらの個々の部分が浸かっている息である・・諸概念はそれぞれ、形の歪んだ、断片的な、絶対的表現もしくは絶対的容積である・・他方、平面は、一定の形のない、限界なき絶対者であり、表面でも容積でもなく、つねにフラクタルなものである・・」p54(15)

・諸概念はアジャスマンで、平面は抽象機械
「諸概念はそれぞれ、ひとつの機械が有する様々な要素配置としての具体的なアジャスマンである・・他方、平面は、それらのアジャスマンが部品になっている抽象機械である・・諸概念はそれぞれが出来事である・・だが、平面は、それらの出来事の地平であり、すなわち、純粋に概念的なもろもろの出来事の貯蔵所は、あるいはそれらの蔵である・・」p54(19)

*諸概念と内在平面は、これら二つの要素が同時になければ、思考は哲学とはなれず、女性の今に未来を先取りできることはなく、それは女性の身体と心に幸福が手に入ることはない。

諸概念;垂直、脊柱、絶対的表現、絶対的容積、アジャスマン、さまざまな出来事
平面;限界なき絶対者、フラクタル、出来事の水平、出来事の貯蔵所

・平面は観察者から独立した絶対的水平
「地平といってもそれは、相対的な地平・・ひとつの限界として機能し、一個の観察者とともに変化し、そして観察しうる<物の状態>を包含ような地平ではなく、かえって、あらゆる観察者から独立、絶対的地平なのである・・しかも概念としての出来事は、見える<物の状態>のなかで実現されるにせよ、まさにその絶対的地平のおかげで、当の<物の状態>から独立しているのだ・・」p55(2)

・諸概念と平面は共存している
「諸概念は、平面を一片ずつ敷石のように覆ってゆき、そこを占拠しあるいはそこに生息する・・他方、平面をそれ自身は、不可分の中間=環境であり、諸概念は、その中間=環境の無償の完全さやその連続性を破らずに、その中間=環境のなかで配分されるのである・・諸概念は、計算することなく占拠するということ(概念の数字は数値ではない)、あるいは分割することなく配置されるということだ・・」p55(7)

・平面が有する唯一の諸領域は諸概念
「平面は砂漠のようなものであり、諸概念は、その砂漠を分かつことなく、そこに生息するのである・・平面が有する唯一の諸領域は、まさに諸概念であり、諸概念を保持する唯一のものが、まさに平面なのである・・平面は、その平面で生息し居場所を変える諸部族よりほかの諸領域を有していないのだ・・つねに増大してゆく複数の連結によって、諸概念の繋がりあいを確固たるものにするのは、まさに平面であり、つねに更新され、つねに変化しうる湾曲に沿って平面上の生息を確実に遂行するのは、まさに諸概念である・・」

 

 

 

 

 

 

 

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tak

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