女性のための哲学

時間設定を人間からひとにしていける実践的哲学|女性のための幸福を積み重ねる哲学

投稿日:2018年2月26日 更新日:

女性が生きていく適切な時間設定にして、ひとつのビジョンを果たしていく。

女性の幸福 女性の哲学

実践的哲学では、根本的なところに密に、丁寧に個々の女性が心にかかかえている抑圧を問いかけという入力系(インプットシステム)を使用して、見つけ出し、すぐにそこを抑制するため構造からみた外部因子をからめ、変化を生むようにしていきます。

そのなかで実践的哲学では時間設定を初期化するという段階があります。それは、女性の脳をさまざまな要素が集合体となり、それを省みれずに、そのままの自分が自分という性質のもので、それは変わることがないと思って認識している固定された思考に運動を促していきます。

時間設定を初期化するというのは、女性の身体の内面的特質に合わせたリズムをつくり出す初期段階で、あなたがこの世に生まれて、親や周囲のおとながかかわるなかで、人工的に、ネガティブな表現ですと社会に強制されて時間設定を見失いました。
女性はいつも心のどこかに不安を抱え、自分の内面で発生する意味不明な、自分では抑えきれないような感情がわき起こるとおそろしくなり、それを神経系という脳が中心の情報を集めるサーバーとなって、各神経系に出力された負のものを抑えるという反応を女性の体内では繰り返しているのです。

それが、個体である女性の脳で行なわれていますので、それは自分のことでありますが、自分では手を出せず、かかわれないような内面的な部分を女性は幾たびもの数え切れない無数に近い内面的作用を経験すると、いつも不安にかられたような感覚があるのです。

それらは多層にかさなり合う運動の要素がそこには機能と機能不全とが漫然として、あなたという自分のなかで出力されていっています。

1,自己内の神経系が末梢に伝達するリズムが失われてそれを探している

2,自分のリズムを失われていったため、頼るものがなくなり、それが発達時の周囲のおとなに合わせていった自己内面的喪失感

3,社会がつくった人工的な不安という認識に追いかけてもどこにもなく、自分は不安だから人間関係や仕事、家族との関係を断ち切れないとする誤作動の疲れ

4,本質的にもっている身体のリズムを探したいのに探せない焦りと不完全な感覚。自分らしく生きようとしても手がかりがなく諦めてしまう自分への嫌悪感

多層にかかえている時間設定を狂わせている要素を実践的哲学を導入して、外側にあるものを通過しながら導いてみました。
実践的哲学は運動が根本的な概念ですので、たとえば身体に運動を与えるとその物理的な刺激に応じて、筋肉は毎回反応を変えてきますが、そのようにひとが考えたり、思ったり、思い出したり、想像したりするのも神経系の運動です。

ある程度、この身体の運動には筋肉というような解剖学的な運動は決まっていますが、それは認識だけのものであって実際にその運動という負荷を与えてみると、解剖学的には使っているはずが、丁寧にハンドリング(手で筋肉の反応をみるかかわり)で確認してみますと、まったく筋肉の収縮がないものもあるのです。実際に起こった運動のパターンでは、たとえば股関節を伸ばす運動が起こっているのに、解剖学的に定められた股関節を伸ばす筋肉が収縮が出てきていないことがあります。これは、見た目にも、解剖学という学問的にも整合された運動であってもほんとうにその運動が起こっているのかどうかというのは追いかけていかなければほんとうかどうかがわからないのです。

本サイトで書かれているのは、理論と実践を同時に行なうものであります。
世の中には、理論は理論だけが先行し、実践とはかかわらない構造でできていますし、実践は実践が中心で理論的な裏づけが少ないことも多くあり、読んだひとは不完全燃焼に陥るのです。

本サイトで実践する哲学は、理論と実践を省みて、作りあげていく女性にための哲学ですので、理論と実践を同時進行で行なっており、女性の脳の構造とそこから発信される神経系の入力から出力の運動の接続と同じものになっています。

実践的哲学は思考に運動を与える入力系ですので、刺激を与え、その反応をみる、感じるという実践でありますので、次回の記述(エクリチュール)ではまた新しい諸現象について導いていくことができるのです。

時間設定を初期化するというのは、いま挙げました4つの諸要素が女性の内面にあることで、体内リズムを感じ取れず、いつも外部から与えられる他者のためであるテンポはあなたのテンポではないのに、自分ではそれらが失われているために、頼れるような手がかりがないので、自分で生きる意思がなくなってしまっています。

女性が抱えている不安もこのなかにはいっていますので、心が生み出した真の不安ではないのです。
でも、女性は不安が心のどこかにあって、いつもそれを抑えようとする作用がどのようにやってきたかといいますと、社会が人工的につくった教育システムで優等生を演じることで果たしてきました。

果たしてきたのは神経系ではなく、神経系の運動が起きているとしたら、適切な神経系のネットワークで女性は自分の内面をさがし求めて、一体の生にひとつのビジョンという地点が自然に見えてくるでしょう。

でも、そんな女性はほとんどいないのは、心のなかから外された自己というものが違うところで自分の代わりをしては、そこで余分にも他者のような自分を演じているのです。
そこがややこしくなって、女性は一度切断された自己が自分自身の内面的な反応ではないというのを身体の知覚レベルで気づいています。

それが、女性の不安を永遠に追求させることとなってしまっていて、女性はそれに疲れ、そこに時間設定というのが、自分を見失わせてしまったのが教育システムでまじめな優等生になり切ったからなのです。
このようなシチュエーションがどうして時間設定を狂わせたのでしょうか?

それは、教育システムをじっくりと見ていきますとわかってくるのですが、教育現場は各学級にわかれ、小さく区分されていて、そのグループで勉強の点数で順位が決まること、テストで良い点を取ればおのずと、知らないままに、勉強でのレベルが高い学校に進学するという過程がかってに決まっているということです。

小さく区分されるのは、たくさんひとがいるなかでひとつの学級(クラス)が全体になって脳がまとまって総合となるためです。
地球には他の民族、他の人種、多くの他者が個体として生きているのに、この社会ではひとが一定の年齢になると、幼稚園をはじめ、小学校から学校という制度に拠りどころを求めます。これは社会が義務教育というシステムにしているので、それが当たり前というようになっていくのが思考が発達しない要因であり、そこに女性は学校で女の子として扱われ、女の子はこういうも性質だと周囲の男性たちに思われてるので、女の子として自分を演じなければいけなくなっていったのです。

まじめに授業を聞かなければ、ひとに認めてもらえない。それは親に迷惑がかかるので、まじめにしなければならないというのは感性が豊かな女性はそのころから空気感を読みとっていたのです。

社会がそういうシステムをつくっているからそこに合わせないと、集団活動として輪を乱す対象となれば、いろいろと悲しいことに嫌なおもいをすることもあるため、それはそれとして、ドライに受け入れつつ、そうしながらも真実を追求するのが女性の神経系の入力と出力で、それが非規則で脳のなかに収まっていると考えてほしいのですが、世の中には哲学が否定されてしまっていますので、社会に規定された答え以外を思うのは絶対に禁止されていると思っていることで、そうは思っていかないものです。

*実践的哲学;禁止を侵犯するエロティシズム
実践的哲学では、エクリチュールのフィールドで思考に運動を与え、見てはいけないところだとか、いつもなら思ってしまうと仕事をしていくうえで、それが集団生活においての都合上での弊害がうまれるために、思考を停止させている領域。そこに運動を与え、運動を促していき、いつもなら見えないところをともに見ていこうとする実践である。思ってはいけないというのは、人間には基本的人権を尊重され、思想の自由が保障されているのにそれができないのは自由ではない。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して脳のなかの大枠として外延に安定をあたえておいてから、思考に運動をさせていく。知らないことを知るように、考えてはいけないのに考えてしまうのは禁止という事項を壊すという侵犯がうまれ、社会に規定された認識ばかりが脳を支配して、自由を抑制されていた神経系を快楽にもっていけて、神経系の運動の起点を作り出せる。これを実践的哲学ではエロティシズムという。

ひとが生きるのは、あきらかに自分の内部から発生した欲求という運動から行動を制御(決定)したほうがいいのであります。
それを抑制さえられ、学校の先生にいいなりになり、自分で思考することがなくなり、一から十まで、この十というのは数量的限界にあてはまり、その十が大学にはいり、就職をする段階が相当します。システムというのは数量的計算でなされていて、一から順番に次へいけば、十に到達できるというのが、教育システムという形式になっていくのです。

女性は空気感により、十にいかなければ、就職もできないし、婚姻もできないのではと思っていき、学校ではまじめに演じる以外の選択がなくなっていきます。
女性は男性以上に脳のなかの非規則の運動のベースとなる濃度の濃い体液であるホルモンが豊富に産生されます。学校教育システムなど、固定され、規定された計算でなりたつところに合うはずはないのですが、女性は先読みして、まじめに演じるのがいちばんだと考えたのです。

実践的哲学では親子関係の影響が心理的にかかわりあっていないと説く概念が基本構造にありますが、それでも親子関係は社会にとっては依然として強く残されていて、それが迷ったときには規定が自分のなかに持ちこまれて、価値基準になっているため、哲学を実践するには、人間はそうした親子関係を学問的に規定した心理学という科学性があるというのをおいかけていきます。

親子関係はひとの神経系の運動パターンにはなにもあたえていないのが真実ですが、現に、社会は親子関係を継承する認識が強いのなら、人間を構成する思いこみはそこもあるという見方をしなければ、実践的哲学は生に意思を与えられなくなります。
社会の規定が強い職業、とくに医師という職業は、親子関係を従順に継承する非哲学を受け入れていて、そこに疑いがあるとはその家柄に生まれるとだれも思っていないものです。

あなたがこれから先の未来を考えていく最中に、悩みには段階性も体系性もないので、早急に解決したいと願う気持ちがどうしても出てしまって、どこかの連続性をみて、あなた自身の生きることを考えてしまいがちですが、それは女性に生まれたあなた自身にはまったく必要のないものです。

悩みと不安は認識上では、ふぞろいなかたちをだれか権威のあるひとに威嚇され、きれいにしろといわれたときのように、丸いものでもまっすぐにしなければならないのとおなじく、自分の悩みと不安をまっすぐにするには、だれか絶対に不変である対象を見つけたくなるものであります。

そのような誤謬(ごびゅう)なる思考の運動を否定し、非運動にもちこむと悩みや不安は他者に引きつがれ、自分のものでなくなり、共有性をもつものとなっていきます。
そうなると、あなた自身の悩みだったのが、あなたが悩んだことにならなくなり、社会全体で背負うものという前提をいれたうえで、自分の未来について考えていくのです。

医師の一族は子どもも孫も医師になる傾向があり、それらが実際に実現しているのは、連続性を強く信仰するがあまりにそれが偶然的に維持されているだけなのです。そのような対象者は、あなたが生まれ育ってきたこれまでの過程でたくさん見受けられたことです。
おなじ学校の学級(クラス)の同級生の親がやっていた家業を手伝い、そのままそれを継いでいく症例を幾たびもみてきました。

すると、親子関係が絶対だと信仰してきたある日、あなたが抱えていた内面的差異は、過去と今を分断し、生物的な自己になる瞬間、そこに親はいなくなり、かんぜんにひとりの空白の時間を経験してきました。
それは瞬間的な時空(じくう)で、すぐに消え去ったと、あなたの脳はそう記憶している模様です。

そのときの時間の流動性は、脳の大脳皮質という一番表層のモコモコの雲のような部位が認識をつくる連合野といわれます。それらは、人間を人間にする作用を総合化するところで、感覚神経系の情報をかんぜんに取りきれずに、思いこみもつくってしまうのです。あなたが生にたいして欲しているのは、その認識から人間像をつくっている大脳皮質の出力によるものではないのです。

しかし、あなたの現在の常識、社会で規定された枠組みはいま記述しました大脳皮質からとらえた見方で、生はそこから生きるというエネルギー、生きたいという衝動はまるで生まれません。
そして欲しているの生に直接つながっている欲求という導火線の運動は、大脳皮質ではなく、大脳皮質よりも下層(下位)にある皮質下(ひしつか)という部位にすべてがあります。

医師の家柄に生まれると、子どもも孫も医師になろうとすることが実現できるのは、この大脳皮質の認識が強く結束されているという非運動からきています。

*実践的哲学から見た脳のお話
実践的哲学では女性の心を探しだすために、身体を中心において身体から哲学を作りだします。それは、目的は心というものを知るのと同時に心が単なる想像的な枠組みの構造であることを知るためです。心というのは存在しておらず、幻想的なところで、女性にとっては神秘性もあれば、自分の嫌なところが性質や性格にあると思っているのなら、心に嫌な部分があると思ってしまうこともあるでしょう。それを実践的哲学で女性のあなたの脳の神経系の運動を実際に使い、そこからの反応を待つというのが実践的哲学です。哲学とは言語によってあなたにかかわり、問いかけをして心をつうじる実態のある運動なのですが、心はいま申したように実践的哲学をすれば、心は存在しないことに気づきます。心は精神という言語を入力したあとに、自分の想像的な言語出力で残される空間である精神という地点にあります。それらを説いていくと、ひとという構造が見えてきて、生がこの地球上でなにを求めているのを知ることができ、あとはそれに向けて生きていけば、女性においては個体が求める幸福にたどり着くことができるのです。実践的哲学は構造をとらえていく実践です。脳のなかもつうじていき、大脳皮質が強い認識でそこが司令塔となって生きていると思ってきたいままでの生き方を修正します。大脳皮質よりも下層にある無意識的な運動を行なっているところにほんとうのあなたの生についての情報が隠されています。それを追いかけていくために、実践的哲学は大脳皮質やその下層の皮質下という領域まで入っていくことができるようになります。

時間を初期化してはじめて生きることが幸福への地点への活動となれる

女性幸福 女性幸せな人生

ひとがやるべきなのは時間の初期化であって、社会からは教育だとか、仕事(労働)だとか、またしても個体にあった内容でないものを強要してくるのとはまったく違うところにあります。
一度初期化ができれば、もし時間が流動性でなくなり非流動性、つまり非運動になってきたことがわかったなら、一度実践してきていますので、またそこにたちかえればいいのです。
たちかえっていいのは、そこが大地に適切に立っているのかどうかで、社会は大地からひとを引き離せば、大地の感覚がなくなれば、ひととしての知覚の立ちあがりもなくなっていき、ひとから人間化することに成功しますので、そちらばかりを社会はうながしてきます。
学校の先生が生徒にたいし、自由と自主性を求めさせるとしたら、先生は不要となってしまい、先生は生きていけなくなります。このエクリチュールは、社会に規定されたままの非哲学な要素を抱えた先生という条件においてのみです。もし哲学性をもつ先生がいたなら、そもそも社会と教育をシステム化することはあり得ませんし、先生のことを生徒は素直にリスペクト(尊敬)するものですが、あなたも経験してきていますように、学校をつうじて先生の思い出というのはほとんど役に立っていないというのが真意でしょう。
それが、幼少期は前述しました認識を総合化する大脳皮質ではなく、皮質下という領域が発達にかかわってきている段階なので、哲学性がそのまま皮質下に連結するのをうながしてくれます。
哲学性のある先生であれば、あなたはその先生のなにかを皮質下の興奮作用にいまも活用できているはずですが、それはほとんどないと思われます。
これは、学校での教育というのは、いかにして皮質下ではなく大脳皮質を中心にした教育内容だったのかがわかり、まだ未熟な状態なのに、大脳皮質ばかりに入力し、そこは神経系の運動が行なわれるところではありませんので、生にたいしての真髄にかかわれるはずがないのです。
そんな渦中で、皮質下がメインシステム、大脳皮質がサブシステムになる瞬間があって、そのときには海のそばにいけば、波の音や潮のかおりが感じとれるように、皮質下は身体に出力されるうねるような振幅された運動が起こっていたことを皮質下が覚えています。
それが、時空であり、時間が流動性となっているほんとうの運動なのであります。
それを感じとる経験をしたにもかかわらず、学校時代の教育は大脳皮質ばかりに記憶を残す行為しかしてませんでしたし、そのときからあなたのなかで時空というもの消えていったのです。

*大脳皮質と皮質下のシステム
大脳皮質は皮質下の神経系の伝達でえた一部の情報を過去の認定された情報とすこし照合して判断します。それが適切かどうかをすこしだけ考えてくれて、またおなじ情報に戻すという連合される機構があります。ひととしての構造は大脳皮質がサブシステムで皮質下がメインシステムでありますが、人間像と学習された知識がこのシステムを狂わせるのです。多くのひとは人間でいなければならないと思って皮質下の感覚的情報を無視して、大脳皮質でえられた一面的な情報の連合を信じて、それが自分だと思ったり、そこから見えている世界が現実の世界だと思いこんだりします。皮質下をメインシステムの戻すのが、実践的哲学の目的であります。皮質下というのは、生存欲求が起こる脳幹、情動や感情が出力される辺縁系、身体感覚の中心である脳幹網様体の姿勢制御のスイッチなどが入っていて、皮質下を実践的哲学でメインシステムにできたなら、感覚的な作用を感覚レベルで連合することができ、生きることを意識できるようになっていきます。

時空をあのころのように、夢なのか、現実なのかわからないようにほんとうに感じたあのところに行ってみたい。
そう思ってきた今日までに、あなたはどれだけの生の旅をしてきたのでしょうか。
生に意思を与えるところから、生きることが真理になって、生は皮質下の運動システムが高めるとは、だれもいままで教えてくれませんでした。
いわれるがままに、いやむしろ、いわれるがままに傷ついたようにふるまう自己への裏切りは、あなたの生の意思からエネルギーを失わせてしまいました。
生には年齢による差異はなく、年齢から認識される若さや老い、潜在能力の有無、社会が規定する年齢のよっての就職する可能性など、それらはすべて生には関わらないものでありました。
そこに支配されないと生きていけないと思ってしまったいままでのあなたの生きる選択もじゅうぶんに理解できます。
時空があの日から消え、確かにあったのだろうと思って、ずっとあなたは探していました。
生がかんけいしないところに、生は意識をとられ、生はさみしい想いをしていました。
時空を探そうとすると、いつもついて回るのが、すぐにでてくる憂鬱な気持ちでした。憂鬱な気持ちは、メランコリーといって、自己内でおさまっていたなら、それはひととして、生に意思を入力できる大きな機会になっていきますが、メランコリーが社会の規定と結束して禁欲主義の転倒された美学と結びついたなら、メランコリーは急速にエネルギーをなくします。
そうなると、心のなかで二面性が生まれ、抑圧という自己内での葛藤にさいなまれていくのです。
あの日に感じたとっても解放された感覚は、確かに時空だったのです。
時間設定はそのとき、オンからオフになりました。
オンというのは、社会が規定した連続性を維持する時間の流れのない非流動性で、あなたの生を失わせて、社会が主体となり、それが外化された対象化にされた労働というものに自己を奪われることでした。
それを、多くの国家は採用して、自己のおそろしい生を奪うことに集中し、それぐらい皮肉にも工夫していたので、あなたから生が失われていたとは、気づけませんでした。
自分の意思で、いまの現実を受け入れたということになっているので、自分が決定したいままでの累積を捨てるわけにもいかず、心残りなのが、あの日に感じた時空のありかでした。
どこかにかならずあるはずだ、と皮質下は時空とともに物質的な運動によって、たえずそこは交流しあって生きていますので、そこにあなたの皮質下がうまく入力と出力を整合させてくれたなら、あなたはこれから迎えるすこし先の未来は自分の居場所が自分のなかで確保されていきます。
メランコリーを自己の大切な感覚的な叙情(じょうじょう)にして、心を枠組みにして、不要な規定をつくり出す親子関係から常識化されている心理学もその場で捨てさることができるでしょう。
時間設定が大脳皮質でとらえているような年齢的なものであると、物事のつじつまはあいますが、生とのつながりとはまったく合わないので、生きていてもどこかでいまいちな感覚が表出しているのです。
実践的哲学は、あなたの生に意思を与えるために、また生きるという空間に旅をしていただき、時空が感じるところにまで、旅を実践的哲学を主導する哲学の演出者とともに過ごします。
過ごすというのは、日常生活で運動されていく内面的な反復にかかわり、それの速度や強度を調整します。
実践的哲学の演出者があなたにかかわらないと、反復は生と死の両方に関与してくれて、反復は内面に二面性を作り出し、生につながり合うことがなくなっていき、いま見えている現実を現実として、それが幻想であるのに、幻想であるとは疑う余裕もなく、いまのまま変わらないほうがいいのではないのかと思う偽装されたあなたから外化された意思が、あなたをややこしくしています。
実践的哲学で時空をみつけ、時間設定を一にできたなら、そこからどのようになっていくのかというと、あなたに与えられている皮質下で運動されている唯一無二のビジョンが見えてきて、複雑化された世界の広さと世界の大きさを抑制して、あなたがやるべきひとつのビジョンを磨いていくというシンプルな生きる時間を得ることができるようになります。

*実践的哲学をするとシンプルに生きていける
実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して、古代ギリシャから始まったとされる哲学、宗教、科学を総体的にとらえて、女性の内面的な感性の豊かさにより運動を与えつつ、社会は大脳皮質での認識で物事をとらえようとして、女性の感性はその下層の脳の部位である皮質下の運動が活発さから、女性は自己について曖昧さをもち続けています。いつもなんとなく生きていたり、社会に自分の弱さが結びついた女性なら大脳皮質を無理に使用して、生きることを社会の外化されたままの自分を受け入れています。仕事がすべて、結婚がすべて、子どもがすべて、趣味がすべてなどというような、いかにもという偽装されたスタイルは、冷静に他者がみたらわかるぐらいの違和感ですが、曖昧さを抱えている女性はひとりからふたり以上の女性が集まると日ごろの曖昧さの葛藤からパロール(話し言葉)をくりかえして、自分を急速に満たしていくという行為をくりかえしていきます。これは反復という原理で、生は自由に生きたいと欲する真の運動と死は禁欲により自分を抑えることで自分は世界で成り立ってるというような二面性がぶつかりあっているのです。曖昧さを満たすのが死に向かっていく反復で、満たされたような錯覚が心地よくてやめられないというのが生の反復となります。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュして、体系的なところに立っていただき、そこから自由に運動する内面を感じては、女性が自分の自己像の思い違いを修正し、生に意思が入りこめるところまで、かかわっていこうとするものです。そこまでの神経系の運動はサポートする相手がいなければできませんでした。ほんとうの自分を探したいというのは女性の衝動でありますので、女性に哲学をしてもらう機会をあたえないと、生と死の二面性による反復が、女性の曖昧さを高めるとともに、その曖昧さを満たすための集団化に終日、エネルギーを奪われてしまうのです。そのようなことを経て、自分の時間設定が一となり、いままで社会に規定されていた常識が外れると、あなたが行なっている労働である仕事についても、まっすぐに省みていけ、それがどれだけ自分には還ってこないものなのかがわかれば、あとは自分の構造から立つ上がる唯一のあなただけのビジョンを頼りにその段階では生に意思が与えられていますので、シンプルに生きていけるようになります。


本サイトのご説明をいたします。
美意識には、刺激として入力が必要だと申し上げました。
そして、入力には自分で刺激を用意しては、予期しないことでないため、それでは入力系にはならないとお伝えしました。

それを容易に叶えるのが本サイトであります。
本サイトは、女性であるあなた自身が今よりも充実感や幸福感を高め、日々が満たされるよう、そのお手伝いをさせて頂くことがビジョンです。
そのための入力を反復して頂くことが充実感や幸福感、美意識による生き方の変更、日々感じておられる仕事や人間関係などの疲れ、心に限らず身体に感じるイライラ、倦怠感、憂鬱な気持ちにも対応できるようになっています。

入力を促すには、本サイトが無料でお読み頂ける実践的哲学で構成された記事をお読みください。
これは、本来の普遍的傾向でしたら、無料でお読み頂く記事を無料にはしないほどの内容と質と量が伴っており、この記事が有料となるのですが、入力は自由にやって頂く方が適切だと考え、生の哲学を現代に合った文体で読むことができます。
これが、始原的な入力となり、何度も読んで頂きますと、入力の神経系は解放され、そのうちあなたの内部運動が持つ制御が生まれ、発散から収束され、あなたの思考の資材となります。

そこからより個別的に自分磨き、または疲れがなかなか取れない、孤独感があって、一人で過ごすことは不安や焦りが出てくる感覚がある方は、一歩進んで個別的実践的哲学に導入することをお勧めいたします。

・プレミアムメンバー;月額2,700円

あなたという一人の人を哲学により解体し、実際の未来へのビジョンや理念を立たせるお手伝いをいたします。必要に応じて、パロール(話し言葉)が必要ならオプションで実践的哲学をトレーニングしている哲学者とコミュニケーションの時間を作ります。

本サイトは、女性が自分の知り、それまで欲求は食欲、性欲、消費欲と思われていた基準を、知的欲求に変更する目的で作られています。
どうしてこのような女性専用でしかも、今の世の中ではほとんど行なわれていない哲学を内蔵させたのか?
この問い(テーゼ)の今の段階でわかっている地点は、女性には感性という自由な神経系を持つというところからです。
しかし、その感性を生かせる環境は、現状の世の中にはありません。
目の前のことは視野によって意味づけられ、女性が今日まで与えられた教育で固められた常識は、いつも女性の内面の自由さよりも、外部にいる他者に意識を奪われる、自分を見失うのです。

本サイトでできることは、
・女性はみずから作り上げた知的欲求のよる幸福感と充足感をかたちにする

・現実でうまくいかないことから見る目を変えるために、知的欲求を刺激して、自分に自信を持って生きる

・現実に疲れ、心の疲れが取れない、心に不安がたえずあるなどの、症状を取り出し、哲学的に記述(エクリチュールといいます)を読み、女性の生き方を見直す

などです。
定期的なメルマガを申し込むもいいですし、個別に知的欲求を刺激するセッションを申し込むのもいいですし、いまよりも少し知識を増やし、自己表現をエクリチュールで発信して、自分を強くするプランを申し込むのもいいです。
本サイトは、自己を見つけ出すために、思考に運動を与える実践ができる女性専用サイトであります。
ご興味のある方は、ぜひご連絡くださいね。
お問い合わせ


本サイトでは、女性の心の疲れを取る、心の不安を解消する、心に癒しを与える、女性が生きていて幸福感と充足感を得られるために、西洋哲学の文献引用をし、作者の主観を外すために、読みにくい、比喩や隠喩、または文脈上のレトリックと言われる修辞学、これは雄弁術、弁証術、説得術ともいわれる記述上の技法を駆使しているため、女性は書物を読むのが難しくなってしまっているのです。それを、本サイトでは、断絶して、切り取られた文節で、タイトルをつけ、何が書かれているのかを見やすくしています。接続詞や感嘆詞、副詞を外し、主語と動詞に絞っているため、読みやすくなっています。

なぜ、本サイトでは、西洋哲学の文献引用を記述しているのかというと、日本人というのは、島国で曖昧さにより、女性のなかに潜み、隠れている自己を捻出するのが難しいからです。つまり、女性が抱えている心の疲れや心の不安は、曖昧さからきており、西洋哲学の文献引用を読み、知的欲求が抑制されているところを目覚めさせ、興奮させることによって、女性は知的さを高めると、心の不安が安定に変化するという感覚が知り得てくるからです。

その文献引用をパサージュ集と命名しています。
パサージュ集についての、コンセプトは次の記述をご覧ください。
女性の心を癒す落ちつかせるパサージュ|女性の不安を取る励ますための実践的哲学

パサージュ集は、本を読まなくなっている今世紀に重要な価値を女性であるあなたに与えることになるでしょう。
女性は、男性とは違ってホルモンの生成が年齢に関係なく豊富であり、今日まで信じられていた美意識は、性的な愛や恋に捉えれていましたが、実はそうではなく、知的欲求に性的欲求があることを本サイトが証明していっています。
女性は、知的欲求を磨くと、驚くほど、美しくなり、輝き、オーラが現れ、自己が確立して、生き方が変わっていきます。
その経験を、このパサージュ集を眺め見ることで、書物を一から読むよりも美的効果がありますので、ご期待くださいね。
パサージュ集に関して、お聞きになりたい疑問がありましたら、お気軽にご連絡ください。
お問い合わせ

本サイトの女性の心の疲れと不安を取るための西洋哲学のパサージュ集

フロイトからラカンへの精神と心の分析で女性が生きやすくなるために生命を再考察するパサージュ

女性の美意識高めるために|ショーペンハウアーの存在と苦悩で女性の心の本質をパサージュ

女性の心の疲れを癒すための書物を探す|ベンヤミンの失敗学で女性の心の疲れを癒すパサージュ

人類最古の哲学で女性の癒された心へ|女性の美学と神秘性を最古の哲学でパサージュ

本を購入することはネットから容易に行なうことができますが、その中に埋もれてる女性の知的欲求を磨くためのコンテンツ(文体)に出会えません。
そして、女性は多忙な生活を送っているのに、その中に本を探しに行き、そこから良いコンテンツに出会うまでの時間的余裕がまったくありません。
そのような事情から、現代小説のような連続性を内在させた形式に縛られたものや、すぐに結果が出るためには?のようなハウツー系に手を出してしまい、結局すぐにその本を読み終えても、知的欲求が刺激されることはほとんどありません。
本サイトはそのような事情をふまえて、コンテンツを中心に記載し、その文脈も哲学性がないものはまったく採用しておりません。
本サイトを運営する哲学性を持つ専門者が、吟味して、あなたの生きる時間を想像して選出しており、アナログで入力するため、未完成のままであります。
随時、更新させていきますので、ぜひご活用頂ければなと存じます。

 


 

本サイトは、女性が参加する実践的哲学を行なって、女性であるあなたが気づいていない自分の好きなこと探し出します。

美しい女性 女性哲学自分磨き

*本サイトは、実践的哲学を女性が行なえる空間です。
西洋哲学をつうじて、今日までの社会構造に合わないで歪ませている自己に気づいてもらえるように、さまざまな文献引用であるパサージュ集と、本サイトが記述させていただいているエクリチュールという言語出力形式で綴って(つづって)います。これらを見て頂くだけで、固まっていた思考につながる神経系は緩みをもち、神経系は自然反応で興奮し、もともとの根本的機能である自分という内部の素材を探しだす運動が高まります。
これが、前述してきました知覚運動といいます。
文献引用をしたり、本記事のようなエクリチュールを見ていただくなかで、本サイトはなにを言おうとしているのかは、日常的な現象を観察するところから生まれた哲学的な要素であることです。
西洋哲学の文献引用は、そこから得られるたくさんの知恵もありますが、それはあくまでもあなた自身が社会構造に不適切な影響を受け、思考がとまっている内部の状態に気づいていくための、素直なパサージュ(経由)であるのです。

*本サイトの実践的哲学の月額2700円(税込)
問いかけは、何度でもかまいません。
ネットを使ってのパロールの解除から社会構造の断絶。
そこからエクリチュールの知覚発生。
感じたことを表現したくなる欲求の運動の感覚の実感。
エクリチュールで自己表現し、自分に気づき、ひとりで過ごす時間を充実させる。
今度は、実際に対面してひとに会いたいという欲求の表出。
そこからはさらにエロティシズムという至高性という最高位のひとの活動である精神性と芸術性に。
そこまでいけば、本サイト運営にかかわるひととの対面から、パロールによって再起動へ。
すべては女性のビジョンの発掘と、女性の幸福のために概念化のため。

*実践的哲学

これは女性のために立ち上げられた日常的に行なえる手軽な哲学の実践。
西洋哲学をパサージュ(経由)して、西洋が到達できなかった哲学的実践をたどり、まだ途中となっている本質の追求を引き継いだのが実践的哲学を運営する本サイト。このサイトは成長、発展のさいちゅうであると理解しており、多くの女性よりは少し前進する位置で研究や研鑽(けんさん)を行ない、女性がわかりやすく生きれるように導いていくのが本サイトの目的。
今日までの男性社会が主導権を握っていた社会構造はますます弱体されていて、それが見えてきているのが、お金がすべてだという強い権威志向でなっている。
そんな世界に女性がいると、女性もそれに巻きこまれてしまって、せっかくの女性の感性や感覚という機能が磨けなくなり、女性が生きることの活動のための根幹にある身体には、唯一のビジョンを探し出そうとしているのに、脳のなかがそれに応じるシステムでなくなっていて、それを解除して新しくするのが、実践的哲学。女性のための哲学である。

*実践的哲学の基礎知識

実践的哲学とは、2017年に発動した女性専用の哲学サイトであります。
社会構造は依然として昔に回帰する保守(ほしゅ)という方向が強くなってきているなかで、女性をとりまく労働条件は見た目の制度は表現には正当なものをつくりだしてきていますが、現実はそうではありません。
それをいち早く予期した本サイトは、女性の脳のなかを縛っている価値意識を神経系の運動を入力することで運動で日常的に学習されてしまった女性の感性や感覚を抑制を解除しようという実践をおこなっております。
そのためには、何度も現状の社会構造についての記述(エクリチュール)をこちらから発信し、それを見ていただきます。
そして、女性の構造というのはありのままの形象から見て、本当はもっと感性が豊かで感覚が優れているのですよ、というどこからも否定できない事実に目を向けていただき、自分を知ってもらい、女性がもつ女性という構造的にそれだけの潜在性があるんだということに感覚で見直し、それが自己の初期化になって、一から生に意思を与えようということをおこなっております。
日常的に女性はよく他者とお話をするものですが、それは日常的な時事から離れたところから自分や他者を見つめたうえで話をしているのではないのです。
それでは感性や感覚が磨かれるはずはありません。それを本サイトは、集団から女性を切り離し(断絶)し、徹底して個の状態にします。そうして、女性の神経系に運動を繰り返し与え、それを何度も反復すれば、女性からみた現実の空間というのは、いま知っている現実界とは全然違っているものであることに驚きをかくせないでしょう。

*哲学を実践するとは

哲学というのはいまを否定し、未来を直接見るために現状のものの見方に運動を与え、そこからリセットさせ、一から神経系の運動を生成させる実践です。

実践的哲学用語

*知覚とは?
本サイトが実践的哲学を行なうことで興奮するのが知覚と定めている。もっとも女性のなかの根底にあって、微細なエネルギーであるのに、身体や心の端から端へと末梢という皮膚と筋肉のあいだの毛細血管の反応をよくする器官としている。知覚は医学的には神経系の感覚が脳の感覚野という連合作用をつくるもので、無意識的とされているが、本サイトでは西洋哲学と精神分析者であるフロイトとラカンをパサージュ(経由)し、知覚は胎児期から出生時に起こされたどこにもつながらないで起動した根底の運動だと考えている。

1,自己内の神経系が末梢に伝達するリズムが失われてそれを探している

2,自分のリズムを失われていったため、頼るものがなくなり、それが発達時の周囲のおとなに合わせていった喪失感

3,社会がつくった人工的な不安という認識に追いかけてもどこにもなく、自分は不安だから人間関係や仕事、家族との関係を断ち切れないとする誤作動の疲れ

4,本質的にもっている身体のリズムを探したいのに探せない焦りと不完全な感覚。自分らしく生きようとしても手がかりがなく諦めてしまう自分への嫌悪感

*実践的哲学;禁止を侵犯するエロティシズム
実践的哲学では、エクリチュールのフィールドで思考に運動を与え、見てはいけないところだとか、いつもなら思ってしまうと仕事をしていくうえで、それが集団生活においての都合上での弊害がうまれるために、思考を停止させている領域。そこに運動を与え、運動を促していき、いつもなら見えないところをともに見ていこうとする実践である。思ってはいけないというのは、人間には基本的人権を尊重され、思想の自由が保障されているのにそれができないのは自由ではない。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して脳のなかの大枠として外延に安定をあたえておいてから、思考に運動をさせていく。知らないことを知るように、考えてはいけないのに考えてしまうのは禁止という事項を壊すという侵犯がうまれ、社会に規定された認識ばかりが脳を支配して、自由を抑制されていた神経系を快楽にもっていけて、神経系の運動の起点を作り出せる。これを実践的哲学ではエロティシズムという。

本サイトでは、エクリチュールのなかに、なんども自然発生されたテーゼを重ねていき、西洋の表現をすれば、ランダムに言語を出力させていくことで、規則性が見えなくなり、あなたの脳のなかは体系となっていた一連の非哲学からの非運動は気づきに変わっていくのです。
規則性が見えなくなると、エクリチュールのなかで、どこかでそれが出てきたなと読解された非規則な言語はより意味をはく奪されて、意味の失われた言語は記号となっていきます。
あなたは本サイトのエクリチュールは、言語を記号にしていき、脳のなかの痕跡に近づけ、最高の神経系のパフォーマンスを生むための興奮という作用を生み出していく実践

実践的哲学をするとは;人間として生きるのは社会が規定した人間で非哲学。人間として生きるならいまから10年経っても20年経ってもおなじ現実ができあがる。なぜならそれは非哲学だから。非哲学とは、いまをおなじまま保存する脳の記憶を揺るがせないようにするため。生命力は低下し、社会に依存する人間を大量生産する。面白くない生きる時間をつくるが、それにはだれも気づかない。実践的哲学が浸透すれば、哲学的な人間からひとへと脱構築されるため、人間はひとをみて悔いを残す。あなたは生きることをすべての出しきって生きるので実践的哲学でひとになり、人間をみてほほえむだろう。

*実践的哲学から見た脳のお話
実践的哲学では女性の心を探しだすために、身体を中心において身体から哲学を作りだします。それは、目的は心というものを知るのと同時に心が単なる想像的な枠組みの構造であることを知るためです。心というのは存在しておらず、幻想的なところで、女性にとっては神秘性もあれば、自分の嫌なところが性質や性格にあると思っているのなら、心に嫌な部分があると思ってしまうこともあるでしょう。それを実践的哲学で女性のあなたの脳の神経系の運動を実際に使い、そこからの反応を待つというのが実践的哲学です。哲学とは言語によってあなたにかかわり、問いかけをして心をつうじる実態のある運動なのですが、心はいま申したように実践的哲学をすれば、心は存在しないことに気づきます。心は精神という言語を入力したあとに、自分の想像的な言語出力で残される空間である精神という地点にあります。それらを説いていくと、ひとという構造が見えてきて、生がこの地球上でなにを求めているのを知ることができ、あとはそれに向けて生きていけば、女性においては個体が求める幸福にたどり着くことができるのです。実践的哲学は構造をとらえていく実践です。脳のなかもつうじていき、大脳皮質が強い認識でそこが司令塔となって生きていると思ってきたいままでの生き方を修正します。大脳皮質よりも下層にある無意識的な運動を行なっているところにほんとうのあなたの生についての情報が隠されています。それを追いかけていくために、実践的哲学は大脳皮質やその下層の皮質下という領域まで入っていくことができるようになります。

*大脳皮質と皮質下のシステム
大脳皮質は皮質下の神経系の伝達でえた一部の情報を過去の認定された情報とすこし照合して判断します。それが適切かどうかをすこしだけ考えてくれて、またおなじ情報に戻すという連合される機構があります。ひととしての構造は大脳皮質がサブシステムで皮質下がメインシステムでありますが、人間像と学習された知識がこのシステムを狂わせるのです。多くのひとは人間でいなければならないと思って皮質下の感覚的情報を無視して、大脳皮質でえられた一面的な情報の連合を信じて、それが自分だと思ったり、そこから見えている世界が現実の世界だと思いこんだりします。皮質下をメインシステムの戻すのが、実践的哲学の目的であります。皮質下というのは、生存欲求が起こる脳幹、情動や感情が出力される辺縁系、身体感覚の中心である脳幹網様体の姿勢制御のスイッチなどが入っていて、皮質下を実践的哲学でメインシステムにできたなら、感覚的な作用を感覚レベルで連合することができ、生きることを意識できるようになっていきます。

*実践的哲学をするとシンプルに生きていける
実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して、古代ギリシャから始まったとされる哲学、宗教、科学を総体的にとらえて、女性の内面的な感性の豊かさにより運動を与えつつ、社会は大脳皮質での認識で物事をとらえようとして、女性の感性はその下層の脳の部位である皮質下の運動が活発さから、女性は自己について曖昧さをもち続けています。いつもなんとなく生きていたり、社会に自分の弱さが結びついた女性なら大脳皮質を無理に使用して、生きることを社会の外化されたままの自分を受け入れています。仕事がすべて、結婚がすべて、子どもがすべて、趣味がすべてなどというような、いかにもという偽装されたスタイルは、冷静に他者がみたらわかるぐらいの違和感ですが、曖昧さを抱えている女性はひとりからふたり以上の女性が集まると日ごろの曖昧さの葛藤からパロール(話し言葉)をくりかえして、自分を急速に満たしていくという行為をくりかえしていきます。これは反復という原理で、生は自由に生きたいと欲する真の運動と死は禁欲により自分を抑えることで自分は世界で成り立ってるというような二面性がぶつかりあっているのです。曖昧さを満たすのが死に向かっていく反復で、満たされたような錯覚が心地よくてやめられないというのが生の反復となります。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュして、体系的なところに立っていただき、そこから自由に運動する内面を感じては、女性が自分の自己像の思い違いを修正し、生に意思が入りこめるところまで、かかわっていこうとするものです。そこまでの神経系の運動はサポートする相手がいなければできませんでした。ほんとうの自分を探したいというのは女性の衝動でありますので、女性に哲学をしてもらう機会をあたえないと、生と死の二面性による反復が、女性の曖昧さを高めるとともに、その曖昧さを満たすための集団化に終日、エネルギーを奪われてしまうのです。そのようなことを経て、自分の時間設定が一となり、いままで社会に規定されていた常識が外れると、あなたが行なっている労働である仕事についても、まっすぐに省みていけ、それがどれだけ自分には還ってこないものなのかがわかれば、あとは自分の構造から立つ上がる唯一のあなただけのビジョンを頼りにその段階では生に意思が与えられていますので、シンプルに生きていけるようになります。

実践的哲学では、すべての世の中にできている事物にたいしてテーゼ(命題)として、空間に浮かせ、そこで事象に運動を行なわせ、反応をみることができるようになり、それによってあなたという小さな個人というひとであっても、この世界中の事物は一時的に自分の脳のなかで生きていくための知恵として活かしなおせます。

パロールを抑制し、そこから反転されるエクリチュールが女性の想像力を潜在性の最高値まで促通する。そこを感じとり、女性が自己の知覚で捺印すれば、体感されていない悦楽までが内面で表象となっていく。

実践的哲学で言語の再構成を

あなたが現実社会で生きていると、これらの言語(用語)に慣れ親しむ機会はありませんし、これらは哲学の領域で西洋で使用されてきた言語で、これらを丁寧に本サイトはもう一度取りだし、現代に合わせ、言語の意味生成が導きだす方向性を社会からの発信ではなく、言語を生の状態に実践的哲学から抑制し、言語が発祥したときぐらいに沈黙に限りなく近い様態にして、活用します。

実践的哲学は体性感覚に

この体性感覚は、実践的哲学では主軸になる感覚の領域で、哲学をすると視覚や聴覚を抑制し、からだの感覚の流動に意識を向けるようにしていき、その意識は意識のなかでも無意識という無の運動です。
実践的哲学は、無を求めるために、世の中に広がってる全体性を保存している有を実態のある運動を与えてそれらを運動として動かして、塊になっていたものを外延から緩め、有を見えているところから除去するのです。

*実践的哲学でパサージュする価値

これらのパサージュは、そうやってパサージュした哲学者の一生を追いかけているような伝記をじっくりを見る必要はなく、とにかく、哲学の形式で脳の思考の運動が神経系の促通から生み出されたものをパサージュして、あなたの脳の神経系の運動のためでありますので、それらのなかで表現されているエクリチュールが重点をおきます。
そのようにすることで、西洋哲学があなたのような日本人の女性とは人種も民族も慣習も違っている哲学を実践するエクリチュールに触れることが、あなたの脳の思考の部分に差異を生み、思考の神経系が作動しやすくなっていきます。

この記事のライターのtakが行なうコアパーソナルトレーニング。
実践的哲学に入る前に、脳を初期化するために、まずからだを調整し、大地と共有させておくことです。それを主にしたパーソナルトレーニングが次の記事で書いてありますので、ぜひご覧くださいね。

からだを発達時に戻して姿勢を美しいセットアップさせる

からだを重力の中で安定させ軽くして皮ふと筋肉のセンサーを刺激する

女性が美しく痩せるには?重力のラインに垂直に持ち上げる感覚刺激の反復で美しい姿勢のシステムとホルモンバランスシステムを高める

ジムに行って痩せたとしてもお腹のお肉は取れない決定的な理由はからだへのストレス

コア美人を目指そう|七回のコアパーソナルトレーニングで永遠の美を手に入れる

コアの鍛え方と磨き方の修正。コアは発達時の姿勢を取り一番安定するポジションを探す。コアパーソナルトレーニングの価値

姿勢改善で猫背のゆがんだ脊柱をコアコントロールでまっすぐに。姿勢を改善すると代謝システムが永遠に続く

女性を大地と結ぶBeauty-Core-Concept

BCC理論と他のパーソナルトレーニングの違い

トレーナーtakとお話をしてみませんか?
日常的な悩みをあなたから切断し、脳の無意識領域にガイドし、あなたがもっとも好きなことをあなたの中で気づきにさせていきます。
LINEでお友だち申請をして、トークで無料カウンセリング希望と書いてくださいね。

友だち追加

  • この記事を書いた人

tak

疲れた女性を楽にするために交流を人を気にせずに行える空間を提供したいと思い考えました。どしどし発信をお願いします。

-女性のための哲学

Copyright© 女性の心の疲れと不安を取る励ます女性に合った哲学の実践 , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.