女性のための哲学

実践的哲学を身体に心から精神に繰り返すと現われてくる明確な実感。

投稿日:2018年4月15日 更新日:

女性を幸福にする哲学。実践的哲学で女性の身体、精神に繰り返された実感を

女性生きる悩み 女性好きなこと見つける

生きていることにひとは実感があるのかどうか。
このテーゼ(命題)は、日常的に生きている空間では、ほとんどこのような問題意識を持つ機会に恵まれることはありません。
仕事場で出会ったひと、昔からの付き合いで知っているひとに、このようなテーゼを問いかけてしまうと、その人たちは動揺して、あなたがどこか深い悩みを抱えすぎて、神経がおかしくなったのではないのかと思うひとまで出てきてしまいます。このような本質的なテーゼはひととして生まれている限り、だれもが求めている思惟であり、それらを解決しなければ安心して生きていけないから、少しでも早くテーゼを他者に聞いてみたいと思っているのに、現社会ではこのテーゼ以外の領空に歪みをもった状態で常識化されているために、これらはタブー(禁ずる)です。
かたくなに現状の常識を単一のものをすべてなくし、元素であるもっとも女性が欲している諸要素なのに、現社会はすべてを近づけ、それらを複合としたうえで、ひとつのものとしたカテゴリーにし、それを常識にしてきました。
そこには、人間が認識上で記憶してしまった自己顕示欲という避けてとおれない絶対的な内面としていることを遂行しなければならないというのが、人間らしく生きるということになり、それが社会へと、他者にたいしての承認する名目となっています。それらは、自己顕示欲などは人間にはほんとうはありもしない内面であり、どうしてそれらがあるものとされてしまっているのかは、歴史のよる現代の位置づけ、歴史は過去を時系列で並べている連続性を社会は時間区分として絶対に崩せないということからもきています。

そこにはとても深い理由があるのです。
自己顕示欲を前提としなければ、歴史は時系列で成立しなくなり、そのわけは、歴史の規定には、人間は欲がましい生き物であり、だから歴史というものは発展と衰退を繰り返すものであるということを維持できなくなっていくからです。
ここまでのエクリチュールで予期できるのが、衰退というところに失敗や努力不足、犯罪、挫折などを組み入れ、成功者と失敗者を二面性として分けへだてることで、権威というのは成功者に取り込むことができるとなります。

この話は、ほんとうに現実的に起きている諸現象であり、それを察知して、または東洋の国家独特の空気感によって、こうした本質的なテーゼは聞くことをやめています。
女性のあなたはとくに、男性よりも感性と感覚が豊かで、優れている身体的神経構造をもっているので、より本質的なテーゼについて、あなた自身の身体内の変化による感度にいつもさらされています。
それは、変化という動揺であり、揺れ動くなにものかは、はかり知れないとても大きそうな自然の破壊力にこわさと好奇心が交互作用を起こすのです。
ここまで本サイトの記述(エクリチュール)という心から発達した人間を自然体にする至高的(しこうてき)な作用で構成されている表現を眺めていただいていますので、いまのあなたはいつもの自分の自身ではなくなっています。

至高性とは?本サイトで扱ってる西洋哲学の書物をそのままパサージュする引用でバタイユの『至高性』という書物をお読みください。
バタイユの至高性で女性のエロティシズム高める美意識に磨きにパサージュ
それは、自分の中心に焦点を合わせるという実践が、いま行なわれようとしているのですが、いつもならそこから目をそらすという誤作動である反応が出ています。
実践的哲学をされていないままの女性のあなたは、本音というものが社会によって抑制することから内面ではそれが抑圧という精神構造の疲弊(ひへい)を起こし、なにもできなくなっています。
もし、まだマシな対象者、聞き手ともいいますが、あなたの本音を聞いてくれる優しいひとがいたとするなら、本音が無意識的に出力されていく流出されるような反応に遭遇しますが、そこからどうなるのかというと、一般的な聞き手は哲学を知らないために、論理だてをしたり論理を崩したりして、リズムを保ったりそれを破壊したりすることができないために、話をしたあなたは愚痴(ぐち)という不快な表現になっていくのです。

よく、仕事帰りの会社員が会社の話を居酒屋で話をしていくと、徐々に話すというトーンが高まってくると、事実から発展して、他者批判に変わり、愚痴となっていきます。
これはどうしてそのように話をしていても愚痴という他者を不快にしてしまうような話のトーンになってしまうのでしょうか。
それは、前述しました哲学がそこにはないために、話をした内容にたいして、同調という反応になってしまうことで、表現されたトーンが高まっていくからです。

いっけん、自分の思いが他者に話ができ、すっきりしたかのような感じに思いますが、これはまったくの幻想であり、すっきりするどころか、本音をもつ自分の内面に気づいてしまって、どうしようもなく、やめられない感じがして、また居酒屋で愚痴発したいとなるのです。

哲学がそこになければ、未来が遠ざかり、話せば話すほどこれはパロールという権威がそこに上乗せされてきてしまい、いっている内容がどんどん拡大され、思ってもないことまで、愚痴という表現だけで気持ちいいようなことが、幻想となって、離れられなくなっていきます。

これは、女子会といわれる女性同士でもおなじで、おなじような境遇の人たちと集まるとパロールレベルでは噛み合っていくため、よい関係性がなされたと思うのも、おそろしいことに、その背後から男性設定した社会構造が女性を女性として固めています。

盛り上がるほどに、その盛り上がりは終わりのない世界観を生み、それはたえず思考を停止するために活用されてきている終末論という考え方であります。
終末論とは、最終審判が生きることの終わりには決定するという信仰的な思想であって、いまを道徳的に生きなければ、死ぬときには地獄におちてしまうという合理的な価値基準です。

これは、いまが不確かであることを根拠に、そして未来は不可知であることとを歴史という時代はたえず発展衰退がなされていくという史観によって構成されています。
いまに含まれるのは、諸条件というものがあり、それはさまざまな社会が決めている良い人間という基準、仕事に就いているのか、友人がたくさんいるのか、家族は両親がいていまでも仲良くしているのか、生活レベルは自分に見合った価値相場で決められた得られるお金に整合されているのか、など、それらはつまりあなた自身規定しているものばかりであります。

人間のなかにしみついている終末論;天国と地獄。旧式の思想で現代から未来には持ちこむべきスタイルではない。しかし、先祖から代々継承されてきている。当然のことだが、地獄にはいきたくない。だからいま生きているものが、ほんとうに最終審判されるときにどうなるのかを、未来ではなく、死のこわさと結合されて、いまから終末を考えてしまい、いまの生活スタイルを変更できない。

これらは、未来には持ちこむことができないものばかりですが、女性のあなたはずっとそれを引きずっていて、自分のうちにある感情らしき心の模様を確認して、安心したいのに、他者にこの文脈についてを言ってしまうと、終末論から見た自分自身に課される人間関係を壊すのではないかというおそれを抱いてしまいます。

いまの人間関係を壊さないようにするには、社会があなたに要求している通りに、健全な身体をもっておかなければいけないのです。
だから、他者に本音を表現することは、女性にとってかなり大きなウエイトがのしかかり、感覚的にすっきりしないままで、どうすることもできず、内面的なものはそれがどういうものかのおおよその外延が気づきになっていなければそこには非知覚となった人工的な人間像、社会構造があなたという個人の生を生きたまま埋葬された道徳的観念に縛られた人間像がいまのこだわりをもちながら、時間だけがずっと継続されていっています。

この流れを、傍観(ぼうかん)している誰かがいます。
その正体は、あなたがもっている身体というメカニカル装置感覚神経系、それらが一連の連動性をもった運動の制御である感覚神経システムといわれる、内面と外面の同期している装置であります。

人間が誤謬になってしまう社会からの強制には、ビクともしない構造をしているのが、このあなたをどこかから見ている感覚神経システムであります。
これは、社会というつながりについて理解はしていません。

感覚神経系は生命体を違う次元で規則的な運動であることをよくよく知っていて、そこに人間としてなどと解かれた絶対的な思想は歴史から観念をつくっており、これが歴史史観(れきししかん)という誤謬であり、あなたがもつ自然といなじ運動のリズムの美という領域は感覚神経系がつくりだす非規則で非連続性の構造なのです。

有機体としてこの感覚神経システムを装置とするメカニカルな変換の運動は、生きることについての調整をになうため、社会がどうであろうとも、なんら反応をしめさないのです。
しかし、あなたは生まれつき、いや生まれてから社会構造に強いられた親という存在感の人間たちに、女性の姓を名のらされ、女性らしく生きていかなくてはならないという状況は、感覚神経システム無視するという大胆不敵な、感覚神経システムからすれば意味不明な行動をとっているのです。

それが、傍観という現象で、あなたのことを感覚神経システムは見ているのですが、問いかけすることはまったくなく、装置であるため、それらがやるべき仕事は、社会に適応することではありません。
この世のあらゆるストレスは、感覚神経システムがかかわらないところで行われていて、それが女性にとってストレスや疲れという不快感に変わっていきます。

実践的哲学でいまも継続する身体の運動と精神の運動をとらえてみよう

あなたはこの世の中で明確で本質的な生に意思を与えるために避けれないテーゼに出会うことなく生きてきました。
これは、男性がいつも追いかけられて、生から意思をはく奪された抑圧が本質を説くのをやめさせるという認識の回避からきていますが、そこに影響をうけているのは女性の身体と心であるのですが、女性は実践的哲学でのテーゼでみつけられる真さえ見れたなら、そこから一気に原点にたつことができます。

女性は社会構造の強いられているようで、社会的な身分はそういうこともありますが、それ以上に女性の内面的構造はエロティシズムという生の意思が作動する一歩手前ではなく、生が終焉したときの設定までの生の終わりから再生するという段階までの運動性をもっています。

ここが実践的哲学ではミュージカルのような舞台であるとすれば一番盛り上がるところとなるエロティシズムが生の意思の作動する予感と予期する知覚、それだけでは運動と運動の間隔に差異がなく実感はうすく、そこから女性という生の魅惑は、生が終わりを迎えるところの予感や予期まで行なっているのが、エロティシズムであるのです。

このエロティシズムが実践的哲学では、本サイトの研究としてひとことであらわせるならこの言語表現に尽きます。
エロティシズムという言語表現は、『至高性』を著書としたバタイユというフランスの哲学者が生み出したのですが、本サイトではバタイユの著書をありのまま引用するというパサージュ集によって、お読みいただいているあなたに伝えたいと強く欲しています。

エロティシズムというのは、せまい範囲でのセックスを意味するエロスからきているのではなく、最高の自己知覚として脳に立ち上がる境域、快楽と悦楽の境界線の生と死の境目、セックスの性交がはじめるまでと性交が終わるときに現実的な行為が幻想だった感覚などで、実践的哲学をすると、このエロティシズムのエクリチュールが次々と生まれていくことがわかってもらえます。

女性が求めている内面的到達点。それは生に意思が立ち上がる一歩手前と生が終わりを遂げるところからさらに生が再生される間の内面的運動。これが生の意思にもっともちかく、その境地がエロティシズムという。女性だけしかこのエロティシズムという境地には立ち入ることができない。女性はこの地点に立てると、孤独という最大の生の魅力が感じとれる生き方を選択する。実践的哲学はこのエロティシズムを女性の体内でおこすところを最終的なゴールとしている。

 

この記事のライターのtakが行なうコアパーソナルトレーニング。
実践的哲学に入る前に、脳を初期化するために、まずからだを調整し、大地と共有させておくことです。それを主にしたパーソナルトレーニングが次の記事で書いてありますので、ぜひご覧くださいね。

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tak

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