女性のための哲学

あなたは何者?なにをミッションに生きているの?|女性のための哲学

投稿日:2018年9月30日 更新日:

あなたは何者?ビジョンが見えてきたら、心から発する精神の領域はミッションの根源になる

女性未来 未来空間宇宙

育ってきた環境で人間の性質は決まるといわれる定説がありますが、それはほんとうにそうなのでしょうか?
家庭的に経済水準が高くで、小学生から私立に行けたとしたら、まわりも経済性の高い生徒ばかりであると、ほんとうに育ちがよくなり、生きるという質の部分に影響があるのでしょうか?

あなたは女性に生まれ、小さい頃からそのような定説や迷信を継承するおとなの自我にまきこまれ、なにを信じていいのかわからなくなりました。
時間の経過は容赦なく進行し、だれからもその生きるという選択でいいのかどうかについて問いかけてはくれなかったために、考えるべき本質に出会えませんでした。

あなたからみた世の中。
あなたから見えている情景。
あなたから見えているのは、全体性の一部が抜き取られるところを脳につくられた諸前提で、すべての世界のスクリーンになっています。

これはどういうことなのでしょうか?

そのまま、見えているものになんの段階的運動も入れなければ、見えてしまうのは、本質や真実ではなく、幻想とされる世界だけなのです。
女性であるあなたはこの事実を知ることで、いまよりも軽く生きられて、すべての運命もそのままに自己の美として、素直に向き合えることでしょう。

なぜなら、あなたはいままで、真実でない世界を真実だと思わなければいけなかったので、とても生きることに苦しかったのです。
それをだれにも打ち明けずに、今日まで生きてきて、これからも見えていない全体性にさいなまれた複数の他者の目を気にしながら、生きていくという誓約を社会や家族、おとな、他者に交わそうとしていたのです。

ギリギリ間に合ったといえば、すこし遅いぐらいでしたが、まだあなたには時間的猶予が残されていたようです。
それは、女性という構造です。

女性というのは、男性が強くて、女性は弱いというような二面性ではけっしてなく、女性を構造からみるという見方で、女性をみるのです。
これは、知らないあなたからしますと、どうやら特殊な方法のように聞こえるでしょうけど、実際はこのような見方はひとが持っている基本的な脳のなかの神経系の運動であり、そこの神経系の運動にあわせていきます。

そのような段階を経ると、あなたから見えている世界は世界ではなくなり、何事も余計につめ込まず、もり込まず、必要以上の重いと不快なぐらいの荷物をおき、全体性を維持する他者が繰り広げるおおげさな観念は他者の人間を劣等生にして傷つける行為ばかりで、そこから見えているものは思考の停止をあらわしています。

真面目にふるまうと、他者からの目は嫌味をいわれたり、けがらわしいという嫌な見方をされる攻撃性はなくすことができるというのは、他者が他者を攻撃する思惟をなんかいも経験すれば、空気感でわかってきていました。
自分はそういう目に遭いたくないと思うことから、最大限に尽くす行動というのは、学校で授業をきちんと聞き、ノートを取り、先生が求められた生徒像にあわせられたら、それで自分の現実がほんとうにそうなっているのというような審議を避けてとおれるようになり、自分を満たしてきたのです。

自分を満たせば、あなたが知らない世界の断層性まで入りこみたい衝動も抑えることができて、学校という狭義の関係性ではそれで成立してきましたが、生きるというのはそういうわけにはいかず、自分を満たす自己内の制約なる運動は神経系の運動を抑制して、非運動となっていきます。

自分を満たすというのは、生のアンチテーゼとなり、古典的な弁証法という二面性の最初の命題を再確認するという諸前提の強化に発展します。
生のアンチテーゼというのは、必然的にテーゼは死になっていて、自分を満たすことは、生と死の双方を同時に立ち上げていってしまい、死は自己愛(ナルシシズム)と共有し、生は自分を満たすのを割りきれないで、葛藤する自我という構造になります。

弁証法による二面性;女性のなかに潜む表裏一体の二面性は、死は自己愛で生は自分を満たす自分に葛藤する自分自身となる。

自分を満たせば、他者からの目から解放できるので、個性を抑止させ、日本の学校という教育システムにはあうのですが、それでは身体構造を統合し、選択化するところからはますます離れてしまって、自分の居場所がなくなっていくのです。

アンチテーゼは、古典的な弁証法と述べましたが、これはテーゼの逆算法で、自分を満たせば、生とは違う運動の要素をもってしまうことになって、アンチテーゼから事物をとりあげると、相反するものがより権威をもって、その逆向きにある死に力も強くします。

つまり、これは自分を満たすというよくある事象ではあるのに、全世界が抱えている大きな諸問題で、生の力も死の力も両方とも同時性によって現実を通過する幻想の領野で自分を活かすことになるのです。
これは果てしなく続いていく生きるという壮大な道は、あなたをさらに不安にして、共有性なしには生きていけなくなり、自分を満たすというアンチテーゼは自己への抵抗する力をうみ、そこから自我と対峙するエネルギーの大幅なロスは、生きているような努力に感じとなり、生きることの本質をみうしなっていきます。

自己愛が強くなるというのは、思考は停止されたままで、最初は他者の承認欲をえるために用意された脳の認識ですので、それが脳のなかの神経系が停止していながら見えていった世界は、いつも追われているような自転車操業で頑張った分なにも残らない空洞をつくります。

それはエネルギーのロスがエネルギーを生むところでの実態のない感覚が、脳のなかで運動をしているような感覚は存在していないのでした。
自分を満たすのは、脳が経験で知ったかぎりでも、学習作用を縦走し、いやおうなしに、次なる地点に進めていき、そこには未来はなく、いつまでたっても今を繰り返すだけになっていっていました。

あなたはどこに向かって生きたいと思ったのでしょうか?
過去なのか、今なのか、未来なのか。
学校で区分されていた年功序列に基礎をつくる学年というくくりかたは、毎年、毎年おなじ新しい年次を迎えます。
小学校では一年生から六年生まで分けられていますが、そこには学年が上がっても授業というのは、教科書の一ページから開始され、その情景はそのまま一年前の同じシーンに振り返えされています。

生きても生きても、先に進めないジレンマは、どこからみても、それが客観的での示唆からは真実がそのままゆがまされたパズルみたいにゆがんでみえますが、ここで生が求める運動とはちがった運動が脳のなかに描かれていて、それがあなた自身の自己像となったり、未来をとらえる想像されるイメージ図になったりと、あなたが生きていくことにおおきなかかわりをもっています。

どこに向かって生きていくのか、などと、今日まであなたは考える機会はほとんどありませんでした。学校が卒業に近くなると、次の進路を決めるのに、進学か就職かというようなとらえ方でこれからの岐路に悩んだとは思いますが、それは悩みではなく、社会が規定したやぶってはいけない全体性の慣習が複合的な問題を前提にしてから発展してしまった悩みであり、それは生きることの本質にかかわるのかといえばそうではありません。

あなたは小学校の6年間は1年1年がとても長く感じたと思う毎日でした。
小学校のころ、思い出はあまりにも幼少期だったので、記憶もあまり残されておらず、あなたの脳のなかに残っている小学校の記憶の痕跡は、教育システムに合わせるのが疲れたという印象です。

小学生という生徒のレベルに合わせているというのが教育の立場からみたゆがみがゆがみを用いた過剰さからきているのですが、それが小学生だったあなたにはわかりませんでした。
その頃にやるべきだったのは、脳がまだ柔軟だったのに、授業で教えられるのは、国語や算数などのひとつの解答を求めさせる問題、そんなことをやりすぎるよりも、生きることについての本質をつたえるべきで、体系的な知識よりの思考を運動させ、知覚がまだ感覚の近くに起こっていたので、そこを刺激するには自由という無作為で、無機質な提案です。

ひとりの個体として脳から入力と出力の交流は、脳は身体にむけて神経系を発信し、他者に入り込めない領域がそこにはありました。
自己ができあがるまえに、自己と他者をかんぜんに分離して、断絶しておき、自己から発生する知覚の感覚になんども意識を向けさせていきます。

そうすれば、自己という身体像の外延である大枠から自己というのを感じとれるセンスが磨かれるのです。
ここでは、自己という知覚と感覚の融合されたものは、身体像に脳からの出力はつながっていて、身体には永遠性がなく、かならず終わりがあります。

これは幻想的なとらえられ方ではなく、身体像は知覚の集合性ですが、身体には他者の身体とあなたの身体はこえられない確実な領域があります。

他者と思考の全体性のうえでは象徴界としての前提をつくっていれば、共有することができ、これが小学生の6年間を教育システムという子どもに合わないのにそれを苦痛に認識しないように小学校をやめずに卒業まで通えました。
しかし、身体はそういうわけにはいきません。

なぜなら、身体は体内に筋肉、神経、内臓などの器官は隠されていて、他者からはそれらが見えない位置にあり、その器官の表面には皮膚(ひふ)で覆われています。

その皮膚が他者とあなたという自己とのかんぜんなる境界線がひかれ、自己と他者は絶対に共有できないようになっています。
これらをエクリチュールするのは、幼少期にやるのが適切なことで、目に見える範囲を適切して、身体の知覚を中心にしておけば、思考が全体性をもち、自分を見失いそうになっても、持ちこたえることができます。

これから生きていくというときに、これからどこに向かっていくのだろうか、とそこをとらえるための手がかりを知っておくのは、かなり有益なことであります。
その手がかりを知らずに、学校という環境は、学年が上がっていくと次があるように見せてまた一から教科書は見なければならなくなるというのは、連続性を信じさせることになり、それは進化論の諸前提が起こっていなければ、うまく機能しなくなっていく形式となります。

なんどもエクリチュールを反復していきますが、ひとが適切な神経系の運動を起こすのなら、小学校を起源とする教育システムはだれしもが合うはずはありません。それなのに、ほとんどのひとが小学校を卒業しているのが、ひとではなく人間としてしか扱っていないのです。

これは、どういうことかというと、あなたはどこからみてもひとという生物的構造をもつ種族であり、人間という言語表現はひととは蔑視されていて、人間という枠組みは人間が人間であろうとする、人間以外の動物との比較性からきています。
いつしか、人間である認識を受け入れられ、断続的に進んでいく時間と連続性のゆくえが、途方もない巨大な不安をうみ、それらに支えきれない驚愕(きょうがく)が自分のまけ意識を高めていきます。

不安が強くなれば、立ち返るところがあるという理解はさいさん、なんども心のなかでとらえられ、自分を弁護するしかありません。
それは、どういうメッセージであるかといえば、

『わたしは本気で生きてきていなかった。それは生まれた家柄が悪く、わたしには才能がないわ。もう一度生きることをやり直せるなら、頑張れる気がするの。』

あなたが生きてきた世界は、勝ちと負けを決める競争の試合を実践や理論(イデア)で行なってきたのではなく、観念という固定された世界観で偽装の競争の圏内で育ち、成長をしようとしてきましたが、そこは競争という闘いはあるのに、勝っても負けてもどちらにしても負けを決める試合だったのです。

そもそもあなたが生きることにたいしてどんな事態がおこっても競争というのは社会が自分たちの富のための社会システムであるという事実をねじらせるためで、競争は人間のは絶対必要であると偽装を正当化したり、競争は霊長類や他の生物でも起きている弱肉強食といったり、そこからさらに発展したのが人間の起源である旧石器時代の原住民も人類同士が殺しあいをしていたと人類学はそう説いています。

これは、まったくの偽装であり、それらの観念に意識のすべてがうばわれている間になにがおこってしまったのか問えないぐらいに観念は連続性を保持し、本質は分子レベルでのパズルが並べられ、あなたにはあなたの見方によってのそれらの解体の仕方があり、それに従事すれば、思っているよりもたやすく真実にはつながっていくのに、それらからどんどん遠ざけ、ねじられていっているのです。

競争に負けてきたあなたがえらんだ道は、負けることを前提でできる観念の終末をならべ合わせ、パズルですのでパイとパイのすき間には節(ふし)があるはぜですが、観念の総合はそれらが見えてきません。

あなたから見えるのは闇につつまれたきりのなかに自由の運動を低トーン(弱い出力)にうずくまっている節であるのです。
けっしてその運動は激しくなく、ソフトなもので、運動を一定にし、保持し続けるにはその要素と条件が必要でしたが、それらがあなたが生まれたあとから、とくに幼少期までは思い出として激情にされ、おとなの自己喪失の代償をあなたがおってしまいました。

これは連続性を保持するものであり、これがとてもややこしく、生まれてから気づきにつなげる自己像と感覚神経系は高トーン(運動が過剰)に思い出と入れこまれ、運動は保持するエネルギーが残されていません。
生まれてから幼少期まで、すべてが回転が早く、まわりのおとなが自己像をあなたに規定しなければ、おとなは自分たちが否定されるかのようなこわさが、あなたというみずみずしい生の未確認さにおどおどし、自己像をおとな規定にされました。

生きることは、とてつもなく広い世界である気がするでしょうし、未来は宇宙のようにかたちのない無重力感が想起され、未来を想像することはおとなたちから非難の対象となり、あなたは想像したくてもなかなかそこに踏みこめないのでした。
想像するのは、まわりのおとなにもなにも影響は与えないですし、そもそも想像というのは脳のなかで行なわれる未来を先取りするためのネットワークです。

それなのに、だれかが監視しているかのような顕在意識は、脳のなかでさえ制御(せいぎょ)することを否認し、脳のなかの神経系の運動も停止してしまうぐらいに、あなたは他者という人たちが気なってしかたがないのです。

そうこうしているうちに、脳のネットワークは神経系の興奮があまりにも刺激が入力されないので、興奮はいつまでたっても起きず、もちろんそれは新しい学習という神経系の伝播(でんぱ)がなくなり、脳は無動であるかのような非運動が定常化され、あなたは自分を探しだすことがまるでできなくなってしまうのです。このような脳が機能を失う(弱くなると)とどうなっていくのでしょうか。

脳には神経系の伝播でいまの情報を入力しては消去し、必要な情報だけを過去と今に照合し、痕跡とし、あなたが生きていくための価値基準になっていきます。
神経系の運動には興奮と抑制のふたつの交流の運動パターンがあり、それらがあなたの生の次元を決定し、生から価値のある出来事に変換され、それが活動になっていくのですが、なにもプログラムしなければ、興奮よりも抑制のほうが脳のなかではたくさんの抑制物質があるので、新しいことを学習しないままになります。

つまり、自分を磨くというのは、自己鍛錬や自己修養という表記が一致しますが、今日まではとても曖昧なままで、自分で努力し、自分で生きることは選ばれてるというような全体性と総合性の言語生成で終始していました。
実践的哲学を運営する本サイトでは、脳の構造も適切な知的欲求によって知を磨いていただきながら、あなたの生きることに向き合っていただきます。

自分を磨くというのは、もう少し曖昧さから構造化させ、気づきにつながっていけるようにしていきます。
それも、本サイトはあなたの脳のなかの神経系に入力(インプット)することをパサージュ(経由)して、神経系の興奮をうながすために脳の構造を知っていただき、その興奮に神経系の運動作用をいかしながら、実践的哲学をしていただきます。

あなたは、生きていくには、いまのままでは、脳が興奮ではなく抑制にシフトされたままになっており、学習ができない設定であるため、仕事をしていても、だれかとプライベートで会っていても知的欲求は一番低い状態で、知らないことや新しいことにたいして求めようとは思っていないわけであります。

すると、仕事やプライベートでひとと会うのは、正真正銘の生の活動であるのに、なにも得られないで終わるのです。

そんなことをいっても、仕事はお金を稼ぐためであり、お金がなければ生活ができないからとそういった目的をもって仕事をしているのは、そのような脳の神経系の抑制によって思考の停止がなされ、神経系の興奮はおおきなものをちいさくする分節性で分子となり、あなたの脳の根本の細胞につながるのに、それができず、急速に、それらを解釈しようとすることで、あなたの生は一気に生きることから冷めてしまって、生きることを否認していっています。

仕事の目的はお金を得るためという問題を解決されたような急がれた帰結は、自己否定による生の否認からきています。
そこには、仕事は活動であり、生とかかわるものなのに、仕事という活動に哲学をいける機会がないために、脳のたいはんは興奮よりも抑制の方向になっていて、学習機能が落ちているからです。

そのような設定でほんらいは活動であるはずの仕事が、新しいものというようには感じとることができずに、抑制されたまま仕事を継続するため、知を得るという意欲はへり、そのまま新しい情報を自分のものに所有するという幻影(げんえい)を非学習として脳のなかに残したまま、仕事を続けていくことになってしまっています。

ここで、かなり連結された哲学がかかわっていない世界がありそうです。
仕事をしてお金を得るというのは、ほんらいの目的ではなかったのです。

あなたがいまの仕事に就くまえには、いまよりはもう少しばかり熱意があって、いまの仕事に就こうと思っていたでしょう。
かんたんに申しますと、もう少し希望をもち、やる気もあって、自分のやりたいことになればなとか、生き甲斐になるような仕事であったらいいなと思っていたのです。

それが、いざ仕事が始まると、その熱意は一気にトーンダウンし、その意欲はどこかに消え去ってしまっていました。
脳のなかに入力という情報が刺激としてなければ、脳のなかは興奮作用ではなく、抑制作用で物事を解釈しようとし、つじつまを合わせるのです。

ここのあなたの内面の内部運動はとても興味深い運動を果たしていて、ここに丁寧に哲学を導入すると、生から熱意がうばわれていたあなたの生きることへの意思はまた再稼働してきて、それがあなたの脳では強めの興奮作用が発作的に発動して、あなた自身の内面でも強く感じとることができます。

見えない感覚神経系の脳のなかのネットワークなのですから、あなたにも自分の感覚は無意識的運動のよって制御されていてわからないぐらいなのに、まわりのおとなからみえるはずがないのに、想像するだけでもおそれてしまったのです。

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この記事のライター

感覚で身体を変化させるスキルを持つパーソナルトレーナーtak

パーソナルトレーナー歴;21年
運動しないで美しくなれる方法を研究
わたしのパーソナルを受けた女性は年齢不詳になると人気が出る
運動しなくても美しさが保てるように、皮膚接触で脳を修正し、免疫、循環から変化させるパーソナルトレーニングを実践。
趣味;読書(哲学書)街をウォーキング、温泉に入る
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