女性のための哲学

女性のための幸福をつくり出す哲学|細菌学者フレミングの偶然と実践のエロティシズム

投稿日:2018年1月22日 更新日:

女性のための幸福をつくり出す哲学。細菌学者フレミングの偶然のために実践を結果を求めずに繰り返す。

女性哲学 細菌学者フレミング 偶然と実践エネルギー

女性の多くの方々は、幸せになりたいと思っています。
その幸せはどこからきて、導き出したのかというと、幸せの基準があったのではなく、幸せでない基準ができたところから作ってきています。

これは、女性の内面に抱えている不安な心の要因にも関連してきていますが、そもそも幸せという形式はこの世にはありえません。

そして、この幸せでないというものから、幸せというものを考えてきているのが、思考のなかの作用として、古典的な弁証法という形式を使っています。

これは、ある問題があったときに、その問題はひとつとしてテーゼという命題になるとともに、それの正当化を求めるために、ひとつのテーゼのまったく反対側にある対照的な命題(アンチテーゼ)をつくり、思考させるというものであります。
問題に対するテーゼを説くために、それとはまったく反対側のテーゼを置くのですから、説くつもりであるテーゼは絶対に説くことができます。

ひとつ目のテーゼは、幸せ。
ふたつ目のアンチテーゼは、幸せでない。

これらから説かれたのが、女性が求めている幸せの偶像であるのですが、そのなかには、幸せでない要素というのが、幸せを問うたびに追いかけてきて、その日の心の調子によっては、幸せを問うつもりが、幸せでない要素から逃避するように考えていることも度々あって、幸せが徐々に見えなくなっているのに、幸せについて思っているような錯覚が出てきていたりもするのです。

実践的哲学で偶然に起こる女性のための哲学の出会いを待つ

女性理想的偶然出会い

弁証法の説明をさせて頂いたのは、古典的な哲学の形式で、19世紀の中期あたりに使用された哲学の形式であるのですが、この頃の時代的背景には、個人の存在は当時の社会において認められておらず、社会というものもまだ未発達で、キリスト教を基盤として神という絶対者が基準になっていました。

古典的な哲学を説けば説くほど、テーゼとアンチテーゼの対比を繰り返すことになるので、ますます個人というものはなくなっていき、神がいるということが強く認識されてしまっていたのです。

現状では、特に日本では信仰性は西洋よりはとても弱く、多神教でモノにも神がいると考えるような民族性をもっていたり、インドや中国から輸入されてきた東洋思想が曖昧なまま、全体性を説いていることもあって、日本人には内面というものが、明確ではなく、自分で何を思っているのか、自分で何かを考えているのかを、バラバラのままよく分かっていないのです。

なんとなく、幸せについて考えていて、それが弁証法であることなどを気づくには、確率的にほぼ不可能なものであるのです。
それを、女性であるあなたは、曖昧とはいっても、なんとなくでも幸せについてのボヤけた基準が、女性の脳を支配してしまい、神経系が抑制され、新しい考えは、まったく出てきていないまま、生きてしまっているのです。

そこで、実践的哲学の形式をご提案させていただきますが、本記事、それをエクリチュールといい、エクリチュールとは哲学性が内在する、発信したひとが主観ではなく、主体となって、読んでもらうひとに何かを強いたりする力がない状態をいいます。
この世でほんとうに価値のある記述は、エクリチュールであるのです。

本記事は、エクリチュールを目指しつつ、エクリチュールの構造を日々研究し、女性のための独自にあった哲学性を見つけるために、尽力をつくしているサイトとなっています。

この世に生まれ、女性は男性がつくった社会構造によりどころを見つけ、いまは少なくなってきたとはいえ、女性にとって生きやすい世界ではありません。

そんななか、女性が幸福になってもらうには、男性社会が作り出した社会構造でいまのままのスタイルでは、もはや到底、幸せという虚偽を求めさせる男性都合の女性にはなれても、女性の内面が欲する幸福とはちがっています。

女性が幸福になるには、二つの選択が実践されていなければならないですが、そのひとつが、自分で作り上げた自分にしか合わない根底からの自然と同化する概念と、もうひとつは、その概念が他者である他の女性の心に入り口や、神経系が興奮と抑制のリズムが促進されるための概念の発散です。

*女性が幸福になるために必要な二つの要素

1、自分で作り上げた自分にしか合わない根底からの自然と同化する概念

2、その概念が他者である他の女性の心に入り口や、神経系の興奮と抑制のリズムが促進されるための概念の発散と伝達

1、は、自分のために女性が自分の内面に実践的哲学を入れ、それまで信じてきた他者から受動的に取り入れた価値観を破壊させます。
この破壊は、女性が身体構造にもつホルモンがその役割をになうため、女性は特別なことはなにも必要はありません。
実践的哲学という形式をこのサイトでご理解いただければ、あとはそれを継続していけば、あなた自身の独自性が湯気をたてるような、熱気ほやほやの生きることの基底になる概念が持てるでしょう。それを持つことができたら、生きていて何か考えるべきものでぶつかったなら、独自の概念があなたを救い、立ちなおらせ、自然に自分を省えりみて、自分の活動をより強くしてくれます。

2、ですが、自分の独自性なる概念ができたなら、自然に女性自身の個体がこの世に求める活動が見えてきます。
その活動を通じて、女性は自分にしかできない生産をしていきます。
そこで、もしなにかモノをつくったとして、それを買ってもらえたとしても、女性にはそれによるお金が少しは入ってきますが、それで終わるのなら、いまの社会構造の形式とまったく変わらないです。

女性がそこでお金を得たとき、満足をしてしまい、自分の好きなバッグを買ったり、友人と食事に行くために使われたなら、一時的に幸せにはなりますが、今度は失うことのおそれに取りつかれ、幸せの向こうの幸せでないものが見えてきて、それが同時性を維持して、前述しました古典的弁証法として、幸せを正当化していくことだけに、与えられたすべての時間をそこに費やされていきます。

生産過程で、モノをつくったなら、そこに内在させている概念を発散させ、伝達するのが、幸せの否定、それはエロティシズムという生命体、女性の濃度の濃い細胞の自律性を高めるところに関与してくれるホルモンがあるのです。

フレミングがペニシリンを発見したのは偶然であった。

フレミング偶然発見偶然

女性が実践的哲学で、自分のための独自性の概念に出会うかどうかは、ある意味で科学の発見と同じ過程を積んでいきます。
このところ、書店に行っても、結果を求めるタイトルの出版物が多く並べられています。タイトルもそうですが、その本が並ぶ書店の棚には『◯◯も絶賛』などと貼られていたりしますが、具体的な結果が先行するのは、発見ではありません。

多くの科学者は、世の中を変えるほどの発見は、いつも実験していたパターンとはたまたま違っている行動をとったときに、偶然出会っています。

結果を求め、因果関係ばかりを追うと、人間の欲求は抑制され、観念によって、期限が気になったり、期日までに無理やり仕上げようとして、目先の結果を追ってしまって、独自性にはならないのです。

そこで、アレクサンダー・フレミングという細菌学者がペニシリンという化学物質を発見したエピソードがあります。
フレミングが実験していた伝染性のあるブドウ球菌のある特定の株の安定性の評価に取り組んでいたところ、このような細菌を研究する場合、生物学者は小さな丸いガラス皿(ペトリ皿)に微生物を培養するゼラチン状の栄養培地を入れます。

このペトリ皿にフレミングは培地で満たしたペトリ皿をいくつか用意し、菌を植えつけ、ふたをしておいたのです。これは『培養』といわれるプロセスで、菌を入れておいたものが化学反応をすると、次なる発生した物質が分かるかもしれません。それをいつものようにしていたのですが、用意していたペトリ皿を培養器に入れ忘れ、それが不必要なものだとフレミングは判断し、殺菌槽に放りこんでしまったのです。

ここまでなら、いつもの研究の目的に応じた実験は失敗になっていくのが結論ですが、フレミングはたまたま殺菌槽に山積みにされたペトリ皿から一番上の、殺菌液のかかっていないものをとりだしました。そのペトリ皿がどことなく変だなとフレミングとその助手はそう感じたのです。

そこには、カビが皿に混入していて、アレルギーの研究をしていた下の階から風で運ばれてきたのだろうと思われますが、フレミングは、皿に入ったカビの近くにあるバクテリアのコロニーが死滅していることに気づいたのです。そこを注意深く、観察すると、カビから離れているコロニーは成長をつづけていました。

このカビのなにかが、ブドウ球菌を殺していました。このカビは、のちに青カビと判明し、フレミングは化合物を抽出し、これをペニシリンと名づけました・

女性のための幸福になるための哲学;なんども実践的哲学を行ない、いつも見えているところに脱構築というエロティシズムで常識を解体していく。これを実践すると、他の見えているものにたまたま実践的哲学をいれて、偶然的に思考の運動が作用した神経系の経路が、女性の根底を立ち上がらせ、概念となり、それがだれにもマネできない、独自性となっていることが、科学の発見と同じ段階をつむもの。

 

*偶然を味方にする方法ー『準備』と『欲求』

実践的哲学から、女性が幸福になるために概念を大発見するには。

・偶然がどんなかたちで現われるのかを知る
『知識が増えていく形は二つある・・ゆっくり着実にというのがひとつ・・そしてもうひとつは一瞬のひらめきを得るというもの・・一瞬のひらめきは、あらかじめ計画をたてた研究のプロセスの一部として生じるときもあれば、たまたまひらめくときもある・・われわれが賢明でありつづければ、これからも偶然はその役目をはたしつづけていくだろう・・」

・『準備』『チャンス』『欲求』の三拍子
「『準備』と『チャンス』、そして『欲求』も三拍子がそろわないと、偶然の発見は実を結ばない・・今後も偶然の発見がなされていくためには、じゅうぶんな準備ができる環境を用意し、チャンスを提供し、欲求をはぐくむようなしくみが必要だ・・」

・まずは現象の観察から
「研究に関してひとつ極端な例をあげてみよう・・ガムを口に放りこんでから最初の数秒がいちばんおいしく感じることに気づいた人がいる・・そこで、食べたものはすべて数秒がいちばんおいしいという理論をたて、それを実証するためにガムを次々にかんでみる・・やはり最初の数口がおいしい・・今度はリンゴで試してみよう・・その次はマッシュポテト、最後にワイン・・食べたものがかわるたびに確信は少しずつ薄れ、ワインなどは逆に味わってから数秒後のほうがおいしいことがわかる・・つまり、この理論は通用せず、別の理論が必要ということだ・・なぜガムは最初がおいしく、ワインは飲んだあとのほうがおいしく感じるのか・・」

・女性のために概念もこの科学の発見と同じ過程になる
「科学とはこんなプロセスで進歩していくものだ・・理論をたて、実験を計画し、理論「が裏づけられるかどうかを確認していく・・実験結果によって裏づけられたら、今度はその理論をくつがえすような実験も行なってみる・・科学にかぎらずどんな世界にも、保守的なグループがいるからだ・・天文学者にして作家でもあるカール・セーガンもこう述べている・・」

『とっぴな主張をするためには、とっぴな証拠が必要だ』

「いまある理論がまちがっていることを立証できたら、次に洞察力を総動員して新たな理論をつくりだす必要がある・・この過程は単純かつ論理的で、どの段階も計画の一部と思えるだろう・・だが天体物理学者のアマデオ・バルビは次のように書いている・・」

『科学に携わっている者なら、ものごとがいつもうまいぐあいにいくとはかぎらないことをよく知っている。科学とは自然を相手にチェスをするようなものだ。次の一手がはっきり見えている科学者は、ほとんどいない。』

・女性は実践的哲学で現在の社会構造を哲学の対象とすればいい
「だからこそ偶然がものをいう・・偶然のできごとがきっかけで、新しい理論を考えつくケースもあるが、いまある理論に当てはまらない、思いがけない証拠が偶然目にとまるというケースのほうがはるかに多い・・その偶然を説明するには、いまある理論を変えるか壊さなければいけないかもしれず、そこから新たな分野が切り開かれていくこともある・・」

・常識をくつがえす科学者の実践だけを女性の実践的哲学に当てはめる
「ポリマー形成に力を注いだウォーレス・カロザースは、化学の限界を押しあげ、分子集合体に関する常識をくつがえした・・有機分子を合成したフリードリヒ・ヴェーラーは、生気論の理論的枠組みを壊すことになった・・たまたま宇宙からの電波信号を発見したカール・ジャンスキーは、電波天文学という新たな分野を切り開いた・・偶然目にしたものが科学の前進をひと押ししたという証拠は十分にある・・だからこそさまざまなタイプのチャンスを見逃さず、的確に利用することが必要になる・・」

*チャンスの特徴

・ふさわしい場所、ふさわしいタイミング。さまざまな事情がたまたま重なりあって発見につながる状況が生じる。

・可能性が消えそうになったとき。研究者が考えられるアプローチを、片っ端から試しているとき、チャンスが『作られる』。

・偶然の状況。きちんと立てたはずの計画がまちがった理由で成功した。または、求めていた結果が思いがけない形で手に入った。

・セレンディピティ。入念な研究から思いがけない、まったく関係のないものが生まれ、それを突きつめていった。

・実践的哲学の繰り返しが、女性の一生を幸運に幸福にする概念に出会う
「チャールズ・グッドイヤーも、思いつけるものすべてを試そうとした人物だが、効率の悪さに苦しんでいた・・彼は『すべてを試そうと』しながらも。偶然にも助けられて加硫ゴムを発見するにいたったのだ・・数打てば当たる方式は、ごくまれにすばらしい突破口を開くこともあるが、総じて『まあまあ』の結果をもたらすことが多いのが現実だ・・だからといって、地道な研究が非生産的だと考えてはいけない・・それどころか、科学や技術の世界では、こうした研究こそがいちばん生産性の高い方法なのだ・・」

・実践的哲学で女性の独自の概念は気づきの追求
「実験は理論の有効性を確信するような形で計画され、その結果のよって理論が実証できるか判断する・・科学者は結果を予想して実験を行なうが、たとえ予想に反した結果となっても、予想に近いなにかがあるのではないかと考える・・『偶然の状況』が生じるのは、まさにこういうときだ・・デュポン社のケプラーとなる濁った液体を、ステファニー・クウォレックは失敗作として捨てることもできたはずだ・・予想に合致しないかすかな電磁効果を、エルステッドは無視できたかもしれない・・そしてイグナーツ・ゼンメルワイツの場合、導き出した結論が当時の人びとの期待とあまりにもかけ離れていたため、人びとは彼の主張を検討するよりも、命が失われていく現状もままでいいと決めつけた・・このような例は、偶然の気づきを追求する姿勢の大切さを教えてくれる・・自分の予想に固執する研究者は、可能性に気づかないこともあるのだから・・」

・女性の幸福になる哲学は、セレンディピティから
「『セレンディピティ』という言葉・・最初にこの言葉を使ったのは小説家のホレス・ウォルポールで、1754年のことだった・・言葉のもととなったのは『セレンディップ島の3人の王子』(1557年)というイタリアの物語で、3人の王子が『偶然と賢明さ』によって、問われてもいない問題を解決していく・・ウォルポールは、ある答えを探し求めているとき、それとは無関係の問題に答えが見つかることがよくあることに気づいていたのだ・・」

「抗マラリア薬を探していたウィリアム・ヘンリー・パーキンは、布も染色を発見した・・ロス・ハリソンは神経発生の謎を解明しようとしているときに、体外での組織培養法を考案した・・パーシー・スペンサーは航空機のレーダーの開発中に電子レンジを発見し、家庭料理に革命をもたらした・・セレンディピティと呼ばれるような発見のチャンスをつかむには、先入観にとらわれない姿勢だけではまだ不十分だ・・専門以外の分野についても、それがなにかの発見につながる可能性を感じとれるほど広い知識を備えている必要があるのだ・・」

・天才科学者もひらめき36ー世界を変えた大発見物語
著者;リチャード・ゴーカンー創元社


本サイトは、女性が自分の知り、それまで欲求は食欲、性欲、消費欲と思われていた基準を、知的欲求に変更する目的で作られています。
どうしてこのような女性専用でしかも、今の世の中ではほとんど行なわれていない哲学を内蔵させたのか?
この問い(テーゼ)の今の段階でわかっている地点は、女性には感性という自由な神経系を持つというところからです。
しかし、その感性を生かせる環境は、現状の世の中にはありません。
目の前のことは視野によって意味づけられ、女性が今日まで与えられた教育で固められた常識は、いつも女性の内面の自由さよりも、外部にいる他者に意識を奪われる、自分を見失うのです。

本サイトでできることは、
・女性はみずから作り上げた知的欲求のよる幸福感と充足感をかたちにする

・現実でうまくいかないことから見る目を変えるために、知的欲求を刺激して、自分に自信を持って生きる

・現実に疲れ、心の疲れが取れない、心に不安がたえずあるなどの、症状を取り出し、哲学的に記述(エクリチュールといいます)を読み、女性の生き方を見直す

などです。
定期的なメルマガを申し込むもいいですし、個別に知的欲求を刺激するセッションを申し込むのもいいですし、いまよりも少し知識を増やし、自己表現をエクリチュールで発信して、自分を強くするプランを申し込むのもいいです。
本サイトは、自己を見つけ出すために、思考に運動を与える実践ができる女性専用サイトであります。
ご興味のある方は、ぜひご連絡くださいね。
お問い合わせ

本サイトは、女性が参加する実践的哲学を行なって、女性であるあなたが気づいていない自分の好きなこと探し出します。

美しい女性 女性哲学自分磨き

*本サイトは、実践的哲学を女性が行なえる空間です。
西洋哲学をつうじて、今日までの社会構造に合わないで歪ませている自己に気づいてもらえるように、さまざまな文献引用であるパサージュ集と、本サイトが記述させていただいているエクリチュールという言語出力形式で綴って(つづって)います。これらを見て頂くだけで、固まっていた思考につながる神経系は緩みをもち、神経系は自然反応で興奮し、もともとの根本的機能である自分という内部の素材を探しだす運動が高まります。
これが、前述してきました知覚運動といいます。
文献引用をしたり、本記事のようなエクリチュールを見ていただくなかで、本サイトはなにを言おうとしているのかは、日常的な現象を観察するところから生まれた哲学的な要素であることです。
西洋哲学の文献引用は、そこから得られるたくさんの知恵もありますが、それはあくまでもあなた自身が社会構造に不適切な影響を受け、思考がとまっている内部の状態に気づいていくための、素直なパサージュ(経由)であるのです。

*本サイトの実践的哲学の月額2700円(税込)
問いかけは、何度でもかまいません。
ネットを使ってのパロールの解除から社会構造の断絶。
そこからエクリチュールの知覚発生。
感じたことを表現したくなる欲求の運動の感覚の実感。
エクリチュールで自己表現し、自分に気づき、ひとりで過ごす時間を充実させる。
今度は、実際に対面してひとに会いたいという欲求の表出。
そこからはさらにエロティシズムという至高性という最高位のひとの活動である精神性と芸術性に。
そこまでいけば、本サイト運営にかかわるひととの対面から、パロールによって再起動へ。
すべては女性のビジョンの発掘と、女性の幸福のために概念化のため。

*実践的哲学

これは女性のために立ち上げられた日常的に行なえる手軽な哲学の実践。
西洋哲学をパサージュ(経由)して、西洋が到達できなかった哲学的実践をたどり、まだ途中となっている本質の追求を引き継いだのが実践的哲学を運営する本サイト。このサイトは成長、発展のさいちゅうであると理解しており、多くの女性よりは少し前進する位置で研究や研鑽(けんさん)を行ない、女性がわかりやすく生きれるように導いていくのが本サイトの目的。
今日までの男性社会が主導権を握っていた社会構造はますます弱体されていて、それが見えてきているのが、お金がすべてだという強い権威志向でなっている。
そんな世界に女性がいると、女性もそれに巻きこまれてしまって、せっかくの女性の感性や感覚という機能が磨けなくなり、女性が生きることの活動のための根幹にある身体には、唯一のビジョンを探し出そうとしているのに、脳のなかがそれに応じるシステムでなくなっていて、それを解除して新しくするのが、実践的哲学。女性のための哲学である。

*実践的哲学の基礎知識

実践的哲学とは、2017年に発動した女性専用の哲学サイトであります。
社会構造は依然として昔に回帰する保守(ほしゅ)という方向が強くなってきているなかで、女性をとりまく労働条件は見た目の制度は表現には正当なものをつくりだしてきていますが、現実はそうではありません。
それをいち早く予期した本サイトは、女性の脳のなかを縛っている価値意識を神経系の運動を入力することで運動で日常的に学習されてしまった女性の感性や感覚を抑制を解除しようという実践をおこなっております。
そのためには、何度も現状の社会構造についての記述(エクリチュール)をこちらから発信し、それを見ていただきます。
そして、女性の構造というのはありのままの形象から見て、本当はもっと感性が豊かで感覚が優れているのですよ、というどこからも否定できない事実に目を向けていただき、自分を知ってもらい、女性がもつ女性という構造的にそれだけの潜在性があるんだということに感覚で見直し、それが自己の初期化になって、一から生に意思を与えようということをおこなっております。
日常的に女性はよく他者とお話をするものですが、それは日常的な時事から離れたところから自分や他者を見つめたうえで話をしているのではないのです。
それでは感性や感覚が磨かれるはずはありません。それを本サイトは、集団から女性を切り離し(断絶)し、徹底して個の状態にします。そうして、女性の神経系に運動を繰り返し与え、それを何度も反復すれば、女性からみた現実の空間というのは、いま知っている現実界とは全然違っているものであることに驚きをかくせないでしょう。

*哲学を実践するとは

哲学というのはいまを否定し、未来を直接見るために現状のものの見方に運動を与え、そこからリセットさせ、一から神経系の運動を生成させる実践です。

実践的哲学用語

*知覚とは?
本サイトが実践的哲学を行なうことで興奮するのが知覚と定めている。もっとも女性のなかの根底にあって、微細なエネルギーであるのに、身体や心の端から端へと末梢という皮膚と筋肉のあいだの毛細血管の反応をよくする器官としている。知覚は医学的には神経系の感覚が脳の感覚野という連合作用をつくるもので、無意識的とされているが、本サイトでは西洋哲学と精神分析者であるフロイトとラカンをパサージュ(経由)し、知覚は胎児期から出生時に起こされたどこにもつながらないで起動した根底の運動だと考えている。

1,自己内の神経系が末梢に伝達するリズムが失われてそれを探している

2,自分のリズムを失われていったため、頼るものがなくなり、それが発達時の周囲のおとなに合わせていった喪失感

3,社会がつくった人工的な不安という認識に追いかけてもどこにもなく、自分は不安だから人間関係や仕事、家族との関係を断ち切れないとする誤作動の疲れ

4,本質的にもっている身体のリズムを探したいのに探せない焦りと不完全な感覚。自分らしく生きようとしても手がかりがなく諦めてしまう自分への嫌悪感

*実践的哲学;禁止を侵犯するエロティシズム
実践的哲学では、エクリチュールのフィールドで思考に運動を与え、見てはいけないところだとか、いつもなら思ってしまうと仕事をしていくうえで、それが集団生活においての都合上での弊害がうまれるために、思考を停止させている領域。そこに運動を与え、運動を促していき、いつもなら見えないところをともに見ていこうとする実践である。思ってはいけないというのは、人間には基本的人権を尊重され、思想の自由が保障されているのにそれができないのは自由ではない。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して脳のなかの大枠として外延に安定をあたえておいてから、思考に運動をさせていく。知らないことを知るように、考えてはいけないのに考えてしまうのは禁止という事項を壊すという侵犯がうまれ、社会に規定された認識ばかりが脳を支配して、自由を抑制されていた神経系を快楽にもっていけて、神経系の運動の起点を作り出せる。これを実践的哲学ではエロティシズムという。

本サイトでは、エクリチュールのなかに、なんども自然発生されたテーゼを重ねていき、西洋の表現をすれば、ランダムに言語を出力させていくことで、規則性が見えなくなり、あなたの脳のなかは体系となっていた一連の非哲学からの非運動は気づきに変わっていくのです。
規則性が見えなくなると、エクリチュールのなかで、どこかでそれが出てきたなと読解された非規則な言語はより意味をはく奪されて、意味の失われた言語は記号となっていきます。
あなたは本サイトのエクリチュールは、言語を記号にしていき、脳のなかの痕跡に近づけ、最高の神経系のパフォーマンスを生むための興奮という作用を生み出していく実践

実践的哲学をするとは;人間として生きるのは社会が規定した人間で非哲学。人間として生きるならいまから10年経っても20年経ってもおなじ現実ができあがる。なぜならそれは非哲学だから。非哲学とは、いまをおなじまま保存する脳の記憶を揺るがせないようにするため。生命力は低下し、社会に依存する人間を大量生産する。面白くない生きる時間をつくるが、それにはだれも気づかない。実践的哲学が浸透すれば、哲学的な人間からひとへと脱構築されるため、人間はひとをみて悔いを残す。あなたは生きることをすべての出しきって生きるので実践的哲学でひとになり、人間をみてほほえむだろう。

*実践的哲学から見た脳のお話
実践的哲学では女性の心を探しだすために、身体を中心において身体から哲学を作りだします。それは、目的は心というものを知るのと同時に心が単なる想像的な枠組みの構造であることを知るためです。心というのは存在しておらず、幻想的なところで、女性にとっては神秘性もあれば、自分の嫌なところが性質や性格にあると思っているのなら、心に嫌な部分があると思ってしまうこともあるでしょう。それを実践的哲学で女性のあなたの脳の神経系の運動を実際に使い、そこからの反応を待つというのが実践的哲学です。哲学とは言語によってあなたにかかわり、問いかけをして心をつうじる実態のある運動なのですが、心はいま申したように実践的哲学をすれば、心は存在しないことに気づきます。心は精神という言語を入力したあとに、自分の想像的な言語出力で残される空間である精神という地点にあります。それらを説いていくと、ひとという構造が見えてきて、生がこの地球上でなにを求めているのを知ることができ、あとはそれに向けて生きていけば、女性においては個体が求める幸福にたどり着くことができるのです。実践的哲学は構造をとらえていく実践です。脳のなかもつうじていき、大脳皮質が強い認識でそこが司令塔となって生きていると思ってきたいままでの生き方を修正します。大脳皮質よりも下層にある無意識的な運動を行なっているところにほんとうのあなたの生についての情報が隠されています。それを追いかけていくために、実践的哲学は大脳皮質やその下層の皮質下という領域まで入っていくことができるようになります。

*大脳皮質と皮質下のシステム
大脳皮質は皮質下の神経系の伝達でえた一部の情報を過去の認定された情報とすこし照合して判断します。それが適切かどうかをすこしだけ考えてくれて、またおなじ情報に戻すという連合される機構があります。ひととしての構造は大脳皮質がサブシステムで皮質下がメインシステムでありますが、人間像と学習された知識がこのシステムを狂わせるのです。多くのひとは人間でいなければならないと思って皮質下の感覚的情報を無視して、大脳皮質でえられた一面的な情報の連合を信じて、それが自分だと思ったり、そこから見えている世界が現実の世界だと思いこんだりします。皮質下をメインシステムの戻すのが、実践的哲学の目的であります。皮質下というのは、生存欲求が起こる脳幹、情動や感情が出力される辺縁系、身体感覚の中心である脳幹網様体の姿勢制御のスイッチなどが入っていて、皮質下を実践的哲学でメインシステムにできたなら、感覚的な作用を感覚レベルで連合することができ、生きることを意識できるようになっていきます。

*実践的哲学をするとシンプルに生きていける
実践的哲学は、西洋哲学をパサージュ(経由)して、古代ギリシャから始まったとされる哲学、宗教、科学を総体的にとらえて、女性の内面的な感性の豊かさにより運動を与えつつ、社会は大脳皮質での認識で物事をとらえようとして、女性の感性はその下層の脳の部位である皮質下の運動が活発さから、女性は自己について曖昧さをもち続けています。いつもなんとなく生きていたり、社会に自分の弱さが結びついた女性なら大脳皮質を無理に使用して、生きることを社会の外化されたままの自分を受け入れています。仕事がすべて、結婚がすべて、子どもがすべて、趣味がすべてなどというような、いかにもという偽装されたスタイルは、冷静に他者がみたらわかるぐらいの違和感ですが、曖昧さを抱えている女性はひとりからふたり以上の女性が集まると日ごろの曖昧さの葛藤からパロール(話し言葉)をくりかえして、自分を急速に満たしていくという行為をくりかえしていきます。これは反復という原理で、生は自由に生きたいと欲する真の運動と死は禁欲により自分を抑えることで自分は世界で成り立ってるというような二面性がぶつかりあっているのです。曖昧さを満たすのが死に向かっていく反復で、満たされたような錯覚が心地よくてやめられないというのが生の反復となります。実践的哲学は、西洋哲学をパサージュして、体系的なところに立っていただき、そこから自由に運動する内面を感じては、女性が自分の自己像の思い違いを修正し、生に意思が入りこめるところまで、かかわっていこうとするものです。そこまでの神経系の運動はサポートする相手がいなければできませんでした。ほんとうの自分を探したいというのは女性の衝動でありますので、女性に哲学をしてもらう機会をあたえないと、生と死の二面性による反復が、女性の曖昧さを高めるとともに、その曖昧さを満たすための集団化に終日、エネルギーを奪われてしまうのです。そのようなことを経て、自分の時間設定が一となり、いままで社会に規定されていた常識が外れると、あなたが行なっている労働である仕事についても、まっすぐに省みていけ、それがどれだけ自分には還ってこないものなのかがわかれば、あとは自分の構造から立つ上がる唯一のあなただけのビジョンを頼りにその段階では生に意思が与えられていますので、シンプルに生きていけるようになります。

実践的哲学では、すべての世の中にできている事物にたいしてテーゼ(命題)として、空間に浮かせ、そこで事象に運動を行なわせ、反応をみることができるようになり、それによってあなたという小さな個人というひとであっても、この世界中の事物は一時的に自分の脳のなかで生きていくための知恵として活かしなおせます。

パロールを抑制し、そこから反転されるエクリチュールが女性の想像力を潜在性の最高値まで促通する。そこを感じとり、女性が自己の知覚で捺印すれば、体感されていない悦楽までが内面で表象となっていく。

実践的哲学で言語の再構成を

あなたが現実社会で生きていると、これらの言語(用語)に慣れ親しむ機会はありませんし、これらは哲学の領域で西洋で使用されてきた言語で、これらを丁寧に本サイトはもう一度取りだし、現代に合わせ、言語の意味生成が導きだす方向性を社会からの発信ではなく、言語を生の状態に実践的哲学から抑制し、言語が発祥したときぐらいに沈黙に限りなく近い様態にして、活用します。

実践的哲学は体性感覚に

この体性感覚は、実践的哲学では主軸になる感覚の領域で、哲学をすると視覚や聴覚を抑制し、からだの感覚の流動に意識を向けるようにしていき、その意識は意識のなかでも無意識という無の運動です。
実践的哲学は、無を求めるために、世の中に広がってる全体性を保存している有を実態のある運動を与えてそれらを運動として動かして、塊になっていたものを外延から緩め、有を見えているところから除去するのです。

*実践的哲学でパサージュする価値

これらのパサージュは、そうやってパサージュした哲学者の一生を追いかけているような伝記をじっくりを見る必要はなく、とにかく、哲学の形式で脳の思考の運動が神経系の促通から生み出されたものをパサージュして、あなたの脳の神経系の運動のためでありますので、それらのなかで表現されているエクリチュールが重点をおきます。
そのようにすることで、西洋哲学があなたのような日本人の女性とは人種も民族も慣習も違っている哲学を実践するエクリチュールに触れることが、あなたの脳の思考の部分に差異を生み、思考の神経系が作動しやすくなっていきます。

本サイトの女性の心の疲れと不安を取るためのパサージュ集

女性読書パサージュ 女性書物パサージュ

本サイトでは、女性の心の疲れを取る、心の不安を解消する、心に癒しを与える、女性が生きていて幸福感と充足感を得られるために、西洋哲学の文献引用をし、作者の主観を外すために、読みにくい、比喩や隠喩、または文脈上のレトリックと言われる修辞学、これは雄弁術、弁証術、説得術ともいわれる記述上の技法を駆使しているため、女性は書物を読むのが難しくなってしまっているのです。それを、本サイトでは、断絶して、切り取られた文節で、タイトルをつけ、何が書かれているのかを見やすくしています。接続詞や感嘆詞、副詞を外し、主語と動詞に絞っているため、読みやすくなっています。

なぜ、本サイトでは、西洋哲学の文献引用を記述しているのかというと、日本人というのは、島国で曖昧さにより、女性のなかに潜み、隠れている自己を捻出するのが難しいからです。つまり、女性が抱えている心の疲れや心の不安は、曖昧さからきており、西洋哲学の文献引用を読み、知的欲求が抑制されているところを目覚めさせ、興奮させることによって、女性は知的さを高めると、心の不安が安定に変化するという感覚が知り得てくるからです。

その文献引用をパサージュ集と命名しています。
パサージュ集についての、コンセプトは次の記述をご覧ください。
女性の心を癒す落ちつかせるパサージュ|女性の不安を取る励ますための実践的哲学

パサージュ集は、本を読まなくなっている今世紀に重要な価値を女性であるあなたに与えることになるでしょう。
女性は、男性とは違ってホルモンの生成が年齢に関係なく豊富であり、今日まで信じられていた美意識は、性的な愛や恋に捉えれていましたが、実はそうではなく、知的欲求に性的欲求があることを本サイトが証明していっています。
女性は、知的欲求を磨くと、驚くほど、美しくなり、輝き、オーラが現れ、自己が確立して、生き方が変わっていきます。
その経験を、このパサージュ集を眺め見ることで、書物を一から読むよりも美的効果がありますので、ご期待くださいね。
パサージュ集に関して、お聞きになりたい疑問がありましたら、お気軽にご連絡ください。

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実践的哲学に入る前に、脳を初期化するために、まずからだを調整し、大地と共有させておくことです。それを主にしたパーソナルトレーニングが次の記事で書いてありますので、ぜひご覧くださいね。

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