フリッチョフ・シュオン

フリッチョフ・シュオンの生涯

1907年6月18日

スイスのバーゼルに生まれる。
父パウル・シュオンはバーゼル音楽学校の教授。
パウルは東洋の諸宗教に興味を抱き、フリッチョフは彼の影響でヴェーダやバガヴァッド・ギーター、クルアーンを読み始める。
兄エーリッヒは後にトラピスト会修道士となる。

生涯の盟友 ティトゥス・ブルクハルトと出会う。
(歴史家として著名なヤーコブ・ブルクハルトは彼の大伯父にあたる)

あるセネガル人ムスリムと出会う。
後に『諸宗教の超越的一性』シュオンの思想の萌芽となる着想を授けられる。

シュオンの概念の基礎

・伝統的諸宗教から唯一の真理

ヒンドゥー教・仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラーム・儒教・道教・シャーマニズ(神道やネイティブアメリカンの宗教)は、唯一の真理がある。
シュオンはこの唯一の真理を『永遠の叡智』と呼ぶ。

・シュオンの根本的思想

表面的・外形的次元においては対立するように見えても内的次元においては究極的に一致する。
シュオンは諸宗教の外形的次元を顕教(エクゾテリスム)、内的次元を秘教(エゾテリスム)と呼ぶ。
シュオンが言う形而上学(メタフィジックス)とは、生成変化(フュシス)を超える現実について純粋知性による認識であり、それが秘教の核心であるとする。
そして、その認識に到達することが、知性存在者としての人間の存在理由であり、至福であるとシュオンは考えた。

1920年 シュオン13歳

13歳のときに父を失い、母マルガレーテはフランス領となっていた故郷ミュルーズで二人の息子を育てた。
ドイツ語圏スイスからフランス領圏アルザスへの環境の変化。
この変化がシュオンの決定的な出会いとなるフランス思想家ルネ・ゲノン出会う。

・シュオンの信仰心

父が亡くなるとき、息子たちにカトリックの入信をすすめ、シュオンは14歳で洗礼と堅信を受けた。

・1923年 シュオン16歳

経済的困窮によって学校での勉強を放棄することを余儀なくされ、織物デザイナーとして働き始めた。同時期にプラトンやエックハルトの著作を読み始めている。

・シュオンの転機

1924年、17歳の時に友人から渡された新聞記事によって、シュオンはルネ・ゲノンの著作と出会う。
ゲノンはソルボンヌ大学で哲学と東洋学を学び、秘教的・純粋形而上学的次元における諸伝統教義の一致、そして形骸化した西洋の伝統の再生を説く思想家としてフランスの言論界に登場していた。

・ゲノンから影響を受けた人物

ミルチャ・エリアーデ;アカデミックな比較宗教学
アーナンダ・クーマラスワミ;インド学者
シモーヌ・ヴェイヌ
アンドレ・ブルドン
アントナン・アルトー
レーモン・クノー
アンリ・ボスコ

・シュオンが読んだゲノン著作

『東洋と西洋』
『ヴェーダーンタによる人間とその生成』
『ヒンドゥー教義研究のためにの一般序説』

シュオンはゲノンとはいくつかの点で違いがあるにせよ、諸宗教の究極的な一致、諸宗教の中核としての『永遠の叡智』を説き、ゲノンとの出会いによって明確な形を取るに至った。

・1928年
看護兵として従軍。
・1929年
大恐慌の直後にパリに移住し、サンスクリット語とアラビア語を学び始める。
西洋近代文明に対する更なる嫌悪感と共にイスラームへの関心が高まっていく。
・1931年
ゲノンに最初の手紙を書く。
・1932年
ドイツ語による最初の著作『瞑想のための指針』を仕上げた後、シュオンはヨーロッパ脱出を試みる。
→その途上でシュオンは、アルジェリアのモスタガネムにあるスーフィー教団のシェイフ、アル・アラウィーの弟子達と運命的な邂逅に至る。

・シュオン イスラームに帰依

正統的な秘教組織への参入、その指導と修行によって、シュオンの認識が急速な拡張を遂げる。
モスタガネム滞在中に、ゲノンの雑誌『伝統研究』となる『イシスのヴェール』誌に最初の論文『一神教的伝統の三つの側面』を寄稿している。

・1938年
カイロで、長年文通を続けていたゲノンとの面会を果たす。
・1939年
インドに向かっていたが、第二次世界大戦の勃発によりフランスへの帰国を余儀なくされ、従軍して数ヶ月後に捕虜となる。
母がアルザス出身であるために自分がドイツ軍によって動員されようとしていることを知ったシュオンはスイスへの脱走を敢行し、以後約40年間はローザンヌで生活する。
・1948年
フランス語による最初の著作『諸宗教の超越的一性』がフランス最大出版会社ガリマール社によって刊行される。
・1949年
結婚。

多くの東西の宗教思想家との交流

日本;鈴木大拙
久松真一
坂東性純
カンチー第68代ジャガドグル
スワミ・ラムダス
チベット僧ロブサン・ラルンバ
ネイティブ・アメリカンのメディスンマンのブラック・エルク
文通や面会で交流した。

・1959年
アメリカを初めて訪問し、ネイティブ・アメリカンのラコタ族の一員として受け入れられる。
・1961年
シュオンの最も有名な著作の一つ『イスラーム理解のために』がガリマールから出版。
→英訳にはスーフィズム研究の世界的権威である元ハーヴァード大学教授アンネマリ・シンメルが序文を寄せた。
・1980年
シュオン夫妻はインディアナ州ブルーミントンへ移住。
ネイティブ・アメリカンとの交流を続けつつスーフィー教団の師として後進の指導も行い、晩年にはドイツ語の詩を多数書いている。
・1998年5月5日
神の名を唱えつつ平安のうちに死去。

シュオン 著作『形而上学とエゾテリスム』

この著作は、シュオンの思想の高度な核心部分をこの上もなく明晰な言葉で表現したものである。
この著作はシュオンにとって最重要著作で、ヴェーダーンタ、仏教、プラトニズム、スーフィズム、スコラ哲学、ドイツ神秘主義の及ぶ該博な宗教的知識とスーフィーとしての実体験に基づく叡智の言葉の輝きを目の当たりにするものとなっている。

 

 

 

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tak

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執筆者:tak

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